高エネルギー加速器研究機構(KEK)と京都大学(京大)の両者は7月9日、ダイヤモンド中の「窒素空孔センター」のスピン三重項状態の3つの量子準位を「量子三準位系」として活用することで、従来法を上回る測定精度を得られることを明らかにし、同手法をダークマター候補の1つ「アクシオン」探索に適用すれば、測定精度を高めて同候補粒子と電子の相互作用に対する感度を最大で約10倍にまで向上させることができる可能性を示したと共同で発表した。
同成果は、KEK 量子場計測システム国際拠点(QUP)のシャオリン・マ博士研究員、QUP 主任研究員/KEK 素粒子原子核研究所 理論センター 兼任研究員/東京大学 カブリ数物連携宇宙研究機構 客員研究員のヴォロディミル・タキストフ特任准教授、京大 化学研究所/京大 スピントロニクス学術連携研究教育センターの水落憲和教授、QUP 主任研究員のエルンスト・デビッド・ヘルプシュレーブ特任准教授らの共同研究チームによるもの。詳細は、米国物理学会が刊行する、原子・分子・光学・量子情報などを扱う論文誌「Physical Review A」に掲載された。
“ダイヤモンド量子センサ”でダークマター探索を高精度化
ダークマターは、天の川銀河系をはじめとする大半の銀河の構造を支える上で不可欠な存在と考えられている。しかし、他の物質とは重力によってのみ相互作用し、直接観測することができず、今もってその正体は明らかになっていない。
多くの候補粒子が提案されているが、その有力な1つが「アクシオン」などに代表される非常に軽い粒子だ。これらの粒子は電子よりもはるかに軽く、波のように振る舞うと予測されている。そのため、精密な計測装置を用いることで、アクシオンがスピンに及ぼす極めて微弱な振動信号を捉えられる可能性がある。
近年発展している量子技術の中で、このような微弱な信号を検出できる有力な手段として注目されているのが「量子センサ」だ。中でもダイヤモンド中の電子スピンを利用するダイヤモンド量子センサは、微小な磁場やスピンの変化を高感度で検出可能なことから期待が寄せられている。
ダイヤモンド量子センサは、ダイヤモンド結晶中に「窒素空孔(NV)センター」と呼ばれる特殊な格子欠陥を形成することで、その量子力学的な性質を利用する仕組みだ。この欠陥は、炭素原子が窒素原子に置き換わり、さらにその隣の炭素原子が抜け落ちて空孔になることで生まれる。この欠陥に存在する電子のスピンをレーザーで制御したり読み出したりすることで、量子コンピュータの量子ビットや、超高感度の量子センサとしての利用が可能になる。
NVセンターは、基底状態で3つの量子準位を持つ。これは通常の量子ビットが0と1の2状態しか扱わないのに対し、0と+1と-1の3つの状態を同時に活用できる「量子三準位系(クトリット)」として動作する。しかし、これまで基礎物理探索への応用では、主に2つの準位のみを使う量子ビットとして利用されてきており、3つの準位を扱えるNVセンターの特徴が、十分に活用されていなかったとする。多準位量子系が量子計測において優位性を持つことは理論的には知られていたが、実際のセンサではノイズなどの影響下でもその利点を維持できる手法が求められていた。
そこで研究チームは今回、高エネルギー物理学と量子センシングの知見を融合し、NVセンターが持つ三準位構造を活用した超軽量ダークマター探索について検討したという。
今回の研究では、NVセンターの量子三準位を利用し、エネルギー差が最大となる2つの量子状態の重ね合わせを用いることで、現実のノイズ環境下でも十分な測定精度が得られることが示された。この手法では、従来法と比較して外部からの微弱な信号によって量子状態に生じる変化の蓄積速度が2倍となる。これにより理想条件下では、量子状態が外部からの微小な変化をどれだけ敏感に反映するかを表す指標である「量子フィッシャー情報」が4倍、信号振幅に対する感度が2倍向上すると結論づけられた。
さらに、量子三準位のうち2つの量子状態の組を比較する手法「二重量子センシング構成」を採用することで、ダークマター由来の信号に対する応答を増強することが可能となる。それに加え、温度変動や電場揺らぎなどのノイズが抑制されるため、さらなる性能向上も期待できるとした。
続いて、最適な量子計測プロトコルが理論的に導出され、この手法が量子力学的な精度限界に到達可能であることが示された。その上、アクシオン探索に適用した結果、アクシオンと電子の相互作用に対する感度が、従来のNV量子ビット方式と比較して、最大で約10倍向上する可能性が明らかにされた。
-

(左)量子三準位系を用いたダークマターセンシングの概念図。波のように振動するダークマター場がスピン1の量子三準位系に結合し、3つの準位間の遷移を誘起する。これにより、量子ビット構成よりも速く位相を蓄積する量子重ね合わせ状態が実現される。(右)Hahnエコー(交流信号検出)シーケンスを用いた場合の、アクシオン電子結合定数に対する感度予測。横軸はアクシオン質量、縦軸は感度を示す。量子三準位系(実線)は量子ビット系(破線)と比較して、広い質量領域にわたり約1桁高い感度を実現することが示されている。※図は掲載論文より転載。(出所:京大プレスリリースPDF)
今回の研究で確立された多準位量子系の量子計測方法の枠組みは、ダークマター探索に限らず、幅広い応用可能性を持つという。さらに、その基本原理はダイヤモンドNVセンターに特有のものではないため、他の多準位量子プラットフォームにも適用できると考えられている。高次元量子系は今後、多様な実験手法を通じて基礎物理学の精密検証を推進する新たな研究フロンティアとなることが期待されるとしている。