東京都立大学(都立大)は5月15日、オスのショウジョウバエが、狭い部屋に一定時間閉じ込められる「狭所ストレス」により性欲が低下して求愛行動が著しく減少することから、ストレスが神経伝達物質「ドーパミン」の働きを変化させることに着目して詳細に解析した結果、求愛行動の低下の持続には、ドーパミンの合成・放出・受容が必要であることを明らかにしたと発表した。

  • ハエも狭所ストレスにより性欲が低下する

    ハエも狭所ストレスにより性欲が低下することが確認された。(出所:都立大プレスリリースPDF)

同成果は、都立大大学院 理学研究科 生命科学専攻の坂井貴臣教授、米・アイオワ大学の北本年弘准教授らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、物理・生命科学・地球科学などの幅広い分野を扱うオープンアクセスジャーナル「iScience」に掲載された。

ドーパミンを介した情報伝達の関与を解明

ストレスは脳に長く残る変化として刻まれ、その後の行動や生理機能に影響を及ぼす。その分子メカニズムにおいて重要な役割を担うのが、神経伝達物質の1つであるドーパミンだ。ストレスの種類や強さによって、その働きは強まりもすれば弱まりもするが、このようなドーパミンの変化はヒトを含むほ乳類だけでなく、昆虫などにも共通して見られ、進化的に広く保存されていることが知られている。

性行動はストレスの影響を受ける本能行動の1つであり、ヒトなどでも確認されているが、そのメカニズムは未解明な部分が多い。そこで研究チームは今回、ヒトと約1万個の共通遺伝子を持ち、脳の遺伝子が機能的に酷似しているほか、脳神経回路の解明が進んでいるなどのメリットを持つショウジョウバエを用いて、ストレスが性行動に及ぼす影響を調べたという。

  • ストレス研究にショウジョウバエを用いる利点

    ストレス研究にショウジョウバエを用いる利点。遺伝学的解析の容易さや、ヒトと約1万個の共通遺伝子を持つこと、脳神経回路の解明が進んでいること、脳の遺伝子機能がヒトと酷似していることなどが挙げられる。(出所:都立大プレスリリースPDF)

今回の研究では、ハエを狭い空間へ閉じ込める「狭所ストレス」という新しいストレスモデルを導入し、その影響が詳細に解析された。まず、成熟したオスバエをアクリル製の小さな容器(直径3mm・深さ2mm)に一定時間閉じ込めることでストレスにさらし、その後の求愛行動が定量化された。その結果、10分のストレスでは求愛行動に変化は見られなかったが、30分および60分では有意に低下した。さらに、30分よりも60分の方で強い抑制が見られ、ストレスの持続時間に依存して求愛抑制が強くなることが示された。

続いて、求愛抑制の持続時間が調べられ、1時間の狭所ストレスによる影響は1時間後まで持続し、2~4時間後には回復することが確認された。一方、7時間や24時間などのより長時間のストレスでは、求愛抑制が少なくとも5日間持続した。これにより、ストレスの長さが行動変化の持続性を決定する重要な因子であることが示唆された。

なお、運動量の低下は1時間後には回復し、摂食行動は特に影響が見られなかったことから、求愛抑制は単なる運動能力や食欲の低下によるものではないことが明らかにされた。つまり、オスの求愛抑制の持続は、メスに対する性的な意欲が低い状態に維持される仕組みが存在する可能性が推測された。

そこで次に、求愛抑制におけるドーパミンの役割が検証された。その結果、ストレス直後の求愛抑制はドーパミン非依存的に起こるが、その後の抑制維持にはドーパミンが必須であることが判明した。さらに、ドーパミンの放出阻害実験により、ストレス中または後のドーパミン放出を止めると、1時間後の求愛抑制が消失したという。このことから、ドーパミンは求愛抑制の「開始」ではなく「維持」に重要であることが示唆された。

これまでの結果を受け、ドーパミン受容体に関する解析が行われた。その結果、3種類の受容体(Dop1R1、Dop1R2、Dop2R)がストレスによる求愛抑制の持続に必要であることが確認された。ハエの脳には、さまざまな感覚情報を統合して学習や記憶において重要な役割を担う「キノコ体」という領域があるが、同領域を構成するニューロンに発現しているドーパミン受容体が、狭所ストレス経験後の求愛抑制の維持に必要であることも突き止められた。

  • 狭所ストレスは脳のドーパミンニューロンを活性化することが判明

    今回の研究により、狭所ストレスは脳のドーパミンニューロンを活性化することが判明した。(出所:都立大プレスリリースPDF)

さらに、神経回路レベルの解析を実施した結果、ドーパミンの放出神経細胞群(PAM、PPL1)からキノコ体への入力が、ストレス後の性欲低下の持続に必要であることが示された。これは、ドーパミンが特定回路を介して性欲を調節していることを示唆するものである。

多くの動物において、ドーパミンを介した神経伝達はさまざまな行動の意欲を調節する。それらの知見と、今回の研究結果を踏まえると、ストレスによりオスバエの性欲が低下し、メスへの求愛行動が抑制されたことが考えられるとした。これまでの「ストレスと性行動の関係」に関する研究は主に現象論にとどまっていたが、今回の研究では、分子・細胞レベルにまで踏み込んで理解が進んだといえるとしている。

さらに、「狭所ストレス」という新たな実験系は、従来の強い拘束ストレスとは異なり、動物に過度な負担をかけずにストレス状態を再現できるため、ストレスの強度が行動や神経活動に与える影響を精密に解析する上で有用なツールとなるとする。また、ショウジョウバエは遺伝学的操作が容易であり、神経回路の特定や分子機構の解明に適しているため、今回の研究成果は、今後の詳細なメカニズムの解析基盤を提供することが期待されるとした。

また今回の成果は、基礎科学において、ストレスが脳にどのように作用するかという普遍的原理の理解を促進させることが期待されるという。ドーパミンは、ヒトを含む多くの動物で重要な役割を担う神経伝達物質だ。今回判明した「ストレスによりドーパミン神経が活性化することで、オスの性欲が低下する」という仕組みは、ヒトを含む多様な動物種に共通する可能性があるとする。特に、ストレスによる意欲低下や行動変化のメカニズム解明に貢献することが考えられるとする。

加えて、医学・臨床の観点からは、ストレス関連の性機能障害やうつ状態、意欲低下などの理解にもつながる可能性があるという。ヒトのPTSDや慢性ストレスに伴う性機能低下の原因はまだ不明な点が多いが、ハエを用いた狭所ストレスモデルは、将来的には、ストレスによる行動異常に対する新たな治療標的の探索や、予防・介入法の開発にも寄与することが期待されるとしている。