九州大学(九大)は4月21日、月などの天体へ低燃費で向かえる一方で、極めて複雑な挙動を示す「カオス軌道」について、個々の軌道を長時間追跡するのではなく軌道の集合の変形に着目することで、その輸送構造をデータから直接抽出する新手法を開発したと発表した。
また同手法を用いることで、軌道遷移の幾何構造を行列演算のみで高速に予測・設計可能となり、実際の月遷移軌道の設計に成功したことも明らかにした。
同成果は、九大大学院 工学研究院のパン・シヤンシヤン助教、同・坂東麻衣教授らの研究チームによるもの。詳細は、非線形力学を扱う学術誌「Nonlinear Dynamics」に掲載された。
日本も参加するアルテミス計画が進展しており、2028年以降の有人月面探査に加え、月周回有人拠点「Gateway」の建設も予定されている。しかし、地球-月系は、複数の天体の重力が作用する複雑な環境ゆえに強い非線形性とカオス性を示すことが特徴だ。わずかな条件の違いで軌道が劇的に変化するため、最も効率のよい軌道を導き出すには、多大な計算と専門知識が必要となり、時間もコストもかかることが課題だった。
そうした中、多体重力を巧みに利用して燃料消費を大幅に抑えつつ遠方に到達できる「隠れた軌道」が存在することも明らかになってきた。一過性の探査ではないアルテミス計画を持続させるには、こうした軌道の活用が不可欠だ。そこで研究チームは今回、この複雑で予測が困難な隠れた軌道を自在に操るべく、その構造を詳細に読み解くことを目指したという。
従来は、軌道の将来位置の予測に、ある初期条件から出発する「1本の軌道」を追跡して計算する手法が一般的だった。しかし今回の研究では、個々の軌道ではなく、「多数の軌道の束がどう変形するのか」が着目された。宇宙機が軌道上で中心となる天体に最も近づく位置である「近点」の集合が描く変形を、直接モデル化する枠組みが構築された。
具体的には、データから観測量の動力学を線形モデルとして近似する「Dynamic Mode Decomposition」に基づき、軌道の近点集合の変形を1つの写像として表現することに成功した形だ。
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データ駆動型で構築された線形写像の反復適用による近点集合の時間発展。横軸は地球と月を結ぶ方向から測った角度、縦軸は軌道の長半径を表す。緑色で描かれた曲線は各反復回数kにおける近地点集合の像であり、反復が進むにつれて集合が引き伸ばされ、折り畳まれながら変形していく様子が確認できる。この結果は、個々の軌道ではなく軌道集合の変形によりカオス的な輸送構造を捉えられることが示されている。(出所:九大プレスリリースPDF)
さらに、今回の研究では2つの補完的な手法も導入された。1つは、精密な軌道ターゲティングに適した、局所領域の変形を高解像度で捉える手法だ。もう1つは、月遷移設計の初期検討や大域的な軌道構造の把握に有効な、位相空間全体にわたる大域的な輸送構造を把握する手法だ。
構築された線形写像により、有限時間の軌道遷移を高速に予測できるだけでなく、軌道がどのような幾何構造なのかを可視化することも可能になった。実際、今回開発された手法を用いて月へ向かう弾道遷移軌道の設計を行い、理論の有効性が実証されたとした。
今回の成果は、カオス軌道の背後にある集合変形の構造を利用して設計に活かすという、新しいデータ駆動型宇宙航行パラダイムを提示するものといえる。現在は基礎理論の段階だが、アルテミス計画などの次世代の月探査構想において、その意義はより明確になることが期待される。
また、今回開発されたデータ駆動型予測手法は、複雑なカオス軌道を線形写像による領域変形として扱える形に変換することで、従来よりも高速かつ体系的な軌道設計を可能にする。これは、月周回軌道への遷移軌道の設計や、月近傍での軌道変更、さらには将来の小型探査機による低コストなミッションの実現に向けた基盤技術となり得る。複雑な重力場を利用するための理論基盤として、アルテミス時代の月航行を下支えすることが期待されるとしている。
