「うちにはIT人材がいないからDXなんて無理」——そんな諦めの声が聞こえがちな中堅・中小製造業において、IT専門部署ゼロからスタートし、生産性50%向上という驚異的な成果を叩き出した企業がある。岐阜県の精密板金プレス加工メーカー・ HIGUCHIだ。
5月20日に開催された「TECH+セミナー 製造業DX 2026 May. 熟練技術をデジタルで未来へ」に登壇した同社 代表取締役の樋口徳室氏は、外注に頼らず、現場の職人を「ブリッジエンジニア」へと育成することで独自のDXを成し遂げた軌跡を語った。
3Kのイメージを払拭し、サステナブルなオンリーワン企業へ
1937年に創業し、現在では日本を含め米国、中国、メキシコの4拠点でグローバルに事業を展開するHIGUCHI。自動車のエアバッグやシートベルト、サスペンションなどの関連部品を製造する同社だが、樋口氏は中小企業が共通して抱える人材不足や働き方改革、コスト競争といった課題に長年頭を悩ませてきた。
何より同氏が悔しいと感じていたのは、日本の製造業がいつしか「3K(きつい、汚い、危険)」の代表のように扱われ、若者に人気のない業種になってしまったことだという。
「ドラマや映画でも、中年の親父が苦しんでいるシーンはいつも町工場です。油まみれの作業着を着て倒れるシーンなどを見ると、私からすれば『もっとキラキラ輝いた世界がたくさんあるのに』と悔しくて仕方がありませんでした。私たちの業種の稼ぐ力がレガシー化しやすいという点も気になっており、サステナブルな会社へと変身したいというのが、DXに取り組んだ根本的な理由です」(樋口氏)
メインの顧客が倒産するという大事件も重なり、新たな価値を創造しなければ生き残れないという切迫した危機感が募るなか、樋口氏の背中を押したのは先輩経営者との何気ない会話だった。ドリンクバーで見慣れない飲みものを持ってきた先輩に「美味しいドリンクはいくらでもあるが、オンリーワンではない。オンリーワンになるためには、特徴を持って何かをやることが大事なんだ」と諭されたという。
「考え方や見方を変えれば、自分たちのイノベーションは自分たちで起こせるのだと気付きました。そこから、デジタル技術を駆使した社内イノベーションを起こしていきたいと強く思うようになったのです」(樋口氏)
外注の限界に気付き、自分たちの足で歩むことを決断
樋口氏は、DXの推進ビジョンを「最新テクノロジーの導入による人と企業文化のトランスフォーメーションの実現」と定めた。当初は、あるシステム会社から「無料でよいから一緒にやらないか」と声をかけられ、リソース不足の同社は飛びついたという。しかし、会議を重ねるうちに違和感を覚えるようになる。
「彼らはいつも『何がやりたいのですか?』『どんなことでお困りですか?』と聞いてくるばかりでした。さらに、システム開発の3割は何かしらの炎上案件になるという話も聞き、『だったら自分たちでやってみるか』と思い立ったのです。外注では現場の課題の本質を見極められないと感じました」(樋口氏)
同社には、2006年に米国拠点を立ち上げた際、コンサルタントを使わずに樋口氏自らが家族とともに移住し、自分たちの足で場所を決め、銀行口座を開設した経験があった。「挑戦するものに限界はない」という当時のマインドが、DXも自前で進めるという決断につながった。
現場とITの架け橋となる「ブリッジエンジニア」の誕生
自前でのDX推進にあたり、主役に抜擢されたのが社内の「ブリッジエンジニア」たちだ。金型職人や製造マネージャー、総務、品質担当など、元々社内にいた人材が中心メンバーとなった。
「ブリッジエンジニアとは、現場とシステム開発の橋渡しができる人材です。現場出身者だからこそ、業務知識をしっかりと持っており、どこに問題があるのかが分かっています。彼らが自らIT知識を学び、改善活動を牽引していくのです」(樋口氏)
社内の人間関係が構築されているため、現場の真の悩みを構えることなく共有できるのが強みだ。彼らが現場と一緒に小さな業務アプリを立ち上げ、何度もPoCを回していくスタイルが定着していった。
失敗から始まったDX、3つのフェーズで確実な成果へ
とはいえ、最初から順風満帆だったわけではない。2018年、ブリッジエンジニアが手掛けた第1号案件は、設備の稼働状況を測るためにシグナルタワーに光センサーを取り付けたものだった。しかし、現場からの評価は「使えない」と散々だった。
「『そんなものを使わなくても分かる』と言われてしまいました。この失敗から『業務改革というからには、現場が使えるものでないと意味がない』という重要な教訓を得ました」(樋口氏)
こうした失敗を糧に、同社のDXは大きく3つのフェーズに分けて進められてきた。
第1ステージは「データの取得」だ。帳票の電子化やRPAの活用により、入力作業を簡素化・自動化し、年間8100時間以上の作業時間削減に成功した。
第2ステージは「データの利用」である。ブリッジエンジニアが312もの自前アプリを立ち上げたほか、社内データプラットフォーム「HDIP(Higuchi Data Integration Platform)」を構築した。これにより、客先の監査対応にかかる時間を40%短縮できたほか、不具合発生時のクレーム対応に向けた調査も、以前は半日かかっていたものが数分で完了するようになった。
そして第3ステージがHDIPを基にした「データの活用」である。自社製のIoTデバイス「CheckMaster」を開発し、材料、金型、人のスキル、設備点検などの条件が全て正しくそろったとシステムが判断したときのみ、設備が稼働する仕組みを構築した。このシステムは特許を取得しており、流出不具合の件数を大幅に削減している。
「Hawk AI」が目指す技術伝承の未来
現在、同社はさらなるデータ活用のステップとして、次世代型技術伝承システム「Hawk AI(Higuchi Advanced Work Knowledge AI)」の開発・実装を進めている。これは、属人化しやすい熟練エンジニアのノウハウをAIに学習させるものだ。
3Dモデルをシステムにアップロードすると、AIが寸法や形状を分析し、抜き幅の狭さや曲げの高さの限界など、実現性や注意点をロジカルにアドバイスしてくれるという。
「これまでは、教えるプロではない職人が若手に技術を教えることに苦労しており、若手も『何度も聞いたら怒られるのではないか』と遠慮してしまう課題がありました。Hawk AIを使えば、何度でもロジカルに学習できます。ベテランが教育に費やす時間を削減しつつ、若手は最新の情報へ容易にアクセスできる、これが次世代の学びのかたちだと確信しています」(樋口氏)
DXはITやプログラミングの話ではない
DXに向けた一連の活動の結果、現場でシステムを使い込み始めた2022年と比較して、1人あたりの生産性は50%向上し、営業利益率も1.9%増加するという成果を上げている。HIGUCHIはこれらの取り組みが評価され、経済産業省の「DXセレクション」に二度選出されるなど、数々の賞を受賞している。
講演の最後に、樋口氏はDXを推進するうえでの本質を次のように総括した。
「一番重要なのは、データの活用を通じて企業文化をトランスフォーメーションしていくことです。デジタルを使って自らPDCAを回せる人材が社内に増えたことこそが、最大の成果だと思っています。DXはITやプログラミングの話ではなく、デジタル技術を使いこなす人材や現場の変化の話です。ガイドは必要かもしれませんが、丸投げの外注化では決して進みません。社内人材を中心にして小さなPDCAを何度も回すこと。特別な人材がいなくても、覚悟を持って進めれば皆さんの会社でも必ずDXは成功すると信じています」(樋口氏)

