植物はなんて頭がいいのだろうか! そう驚いた経験のある人は少ないと思う。むしろ、虫は潰せなくても植物なら平気で引きちぎれるような人も多いのではないだろうか。

このように、植物は長年軽視され続けてきた。これは生物学の世界でも顕著であり、動物に関する研究に比べ植物研究は遅れを取っている。

植物軽視の現状は十六世紀に描かれた「知恵の書」に掲載されている「生物ピラミッド」からほとんど進んでいない。「生物ピラミッド」では、最上位に知能を持つ人間、次に感覚を持つ動物が描かれる。そのさらに下に植物が位置し、最下層に石が配置されている。植物はほとんど石であるが、生きてはいるという扱いである。この感覚で植物に接する人も多いのではないだろうか? 冒頭で述べた植物を引きちぎってしまう人がいい例である。

このような植物観に警鐘を鳴らすべく出版されたのが、「植物は<知性>をもっている」である。著者のステファノ・マンクーゾは TED 等にも出演し、様々なメディアを通して植物の“賢さ”を訴え続けている植物研究の権威だ。

  • 「植物は<知性>をもっている」

    「植物は<知性>をもっている」(NHK出版、1980円、ステファノ・マンクーゾ著)

同書では、『虫に襲われると化学物質を放出して周囲に危険を知らせるトマト』、『細菌と共生し必要な栄養を交換し合うマメ科の植物』、『光を目指して成長する屈光性』など、様々な具体例を通じて植物の“賢さ”の一端を垣間見ることができ、植物が実に“賢い”生き物だと知ることができる。

同書に収められている植物の“賢さ”の一例として、植物のコミュニケーションについて紹介しよう。

植物は、主に化学物質(植物ホルモン)を用いた、人間とは全く異なるコミュニケーションの形態をとっている。このコミュニケーションにより、植物は親族を見分けることができる。

植物の世界では根から放出される化学物質の信号を交換することで、親族かどうかの判定を行う。密集して植物たちが生息する場合、親族でなければ、自分が位置するテリトリーの奪い合いを行わなければいけないため、無数の根を伸ばし、栄養と水を独占しようと試みるのだという。

一方、同じ母親を持つ子供の植物を密集させると、互いに競争を避け、通常よりはるかに根の数を抑えるという実験結果がある。これは植物同士が互いにコミュニケーションを取り、遺伝子の近さによってその振る舞いを変えるほど“賢く”生きているという証拠であろう。

植物の生態は人間とは全く異なるため、理解することが非常に難しい。しかしながら、植物が決してほとんど石と同じ、何も考えずに生きているだけの生き物ではないことが本書からありありと見えてくる。同書を通じて、静かにたたずむ植物たちの“賢さ”に触れてみるのはいかがだろうか?

  • 同書の帯には書評を執筆した細野晴臣氏のコメントが記載されている

    同書の帯には書評を執筆した細野晴臣氏のコメントが記載されている