フラクタル構造
相場の情報、例えばドル・円の為替レートは、テレビのニュース等では二次元の情報として伝えられるのが普通である。「大引けで(時間)いくらで取引された(値段)、昨日との差はいくらである」といった具合に報道される。
ドル・円の昨日の引け値が、仮に100円であり、今日の大引け値を101円であるとすると、1日当たりの変動幅も知ることができる。変動幅は1円であり、これは1%の変動率である。そして変動の方向は、ドル上昇であった。
2次元で表せる相場
これらの引け値情報を、毎日2次元座標のチャートに書き込むと、相場の引け値の折れ線チャートができ上がる。2次元座標とは、縦軸を値段とし、時間を横軸に取ったものである。
このチャートは、ドル・円資産1ドル当たりの資産価値を1日ごとに観察して、連続的に時系列で表現してあり、ドルの価値を歴史的に追っていくのには、何らの不自由もない、便利な表現方法である。2次元とは面のことであるが、相場をグラフで観察すると分かりやすいので、相場は2次元で表せるものであると、いつの間にか誰もが考えるようになった。
2+αの次元で表せる相場
ところが、ひとたびこのチャートを使って投機をしようとすると、詳細に調べれば調べるほど、次のことは全く分からない、という結論に達してしまう。即ち、相場が今安いのか高いのかを、知ることはできない。つまり、その時点で相場が上がっているのか、下がっているのか、厳密に知る事ができない。方向が分からないのであれば、投機をする訳にいかない。相場は、本当に2次元情報で表せるものだろうか?
チャート分析をして相場が上がっているとか、ここは安いので、買い時であった等という解釈は、実は後講釈で都合よく知った結果であり、事後分析の適性化であることが多い。リアルタイムでは、正しく知ることができないのが普通である。そして不思議なことに、こんな重大なことに、全く気がつかない人が実に多いのだ。
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(画像:フラクタル) |
それは、相場というものが、フラクタル構造と呼べる不思議な姿をしているからである。
フラクタル構造とは、なんだろうか?
専門家は、2+αの次元を持つ世界なのだと説明するが、相場において、それは具体的に何を意味するのだろうか? (画像左:フラクタル)
1日変動幅情報の限界
今、相場が、昨日の引け値100円から、今日の引け値101円まで1円上昇したという情報は、歴史的記録情報としては十分であっても、投機的取引情報としては、不十分なものである。次の例を考えてみると、よく分かる。
A氏は、昨日ドルを引け値100円で買った。B氏も、同様に、昨日の引けでドルを100円で買った。今日の大引けで、ドルは101円まで上昇しているので、2人とも1円の収益になっているはずである。
ところが調べてみると、A氏は1円の利益を上げているのに、B氏は50銭の損になっていた。何故か?
A氏は、買い値の70銭下(99円30銭)に、損切りの逆指し値注文を入れておいた。 B氏は、50銭下(99円50銭)に、損切りの逆指し値注文を入れておいた。相場は今日、安値99円40銭を付けており、B氏の損切り注文は、実行されてしまったのである。
つまり、100円から101円に相場が上昇したという情報には、その相場がその間に経験した、損失リスクの情報が、入っていないのである。
レンジ幅はリスク情報
4本足の相場情報には、日付、寄り付き、高値、安値、引け値が記されている。 このうち高値、安値の幅が変わっても、ドル価格変動の記録には変わりないが、この1日のドルの実践的投資リスクは変わる。例を挙げて、説明してみる。
〈表1〉は寄り付き、高値、安値、引け値の情報である。
表1
寄付 | 高値 | 安値 | 引値 | |
---|---|---|---|---|
例1 | 100 | 104 | 99 | 101 |
例2 | 100 | 102 | 100 | 101 |
両方とも、100円で寄り付いて101円で引けている。
1円の収益である。しかし、この間に相場は、[例1]では5円のレンジ幅を走っており、[例2]は、2円のレンジでしかない。[例1]の相場は、[例2]の相場よりもこの場合、リスクが高いという。つまり、レンジが広ければ広いほど、その相場のリスクは上昇するのである。
そして、大きなリスクを犯して得た[例1]の寄り付きから引けまでの1円の収益は、[例2]の1円の収益よりも、「リスク修正後の投資効率が悪い」と言うこともできる。この事に関しては、後にシャープレシオの解説や、「テクニ・ヘッジ・システムの基本原理」の章で詳説する。
このように、始めと終わりが同じでも、その途中のレンジ振幅が変われば、相場の質は全く変わってしまう。それだけではない。実は、相場が上がっているのか下がっているのかも、分からなくなるのである。
相場の輪郭とは何か
100円から101円まで1円変動したのだから、この相場は上昇していると断定できることは、ほとんどないと言ってよい。
[例1]における相場の動きを、もっと詳しく見てみよう。最も妥当と思われる相場の動きは、次のようであったと仮定してみる。
強気か弱気か判定できない
100円で寄り付いた相場は、99円まで下げてその後上昇した。 午後には104円に達したが、そこから下げ始め、引けまで下げ続けて101円で引けた。この場合、相場の最後の動きは104円から引けまで3円下げ続けた「下落相場」であった。
この相場は、寄り付きから引けまで1円上げたから、強気と解釈すべきなのか、高値から3円も下げながら引けたから、弱気相場であると解釈するべきなのだろうか? この答は、相場の1日の動きの完全な軌跡をフォローした秒刻みの情報があれば、出てくるのだろうか?
傾斜が判定できない
都合の悪いことに、1日の動きを秒刻みで記録したデータをチャートにしても、やはり同じ問題のくり返しである。秒刻みでは、相場は最後の20秒は上げているかもしれないが、最後の40秒では下げていることもありうる。さらに、分刻みでは最後の20分は下げているかもしれない。時間刻みではどうなのか?
こうした情報が分かったとしても、結論として相場は上げているのか下げているのか断定しがたいのである。
さらに、日足を週足で見ても月足で見ても、やはり同じことである。全く矛盾しあった答が無数に出てくるだけでますます混乱するばかりである。いったい、どの部分を見れば、相場は上げているのか、下げているのかが判別できるのだろうか?
これが、フラクタル構造の第一の特色である。つまり、フラクタル構造においては、相場を計る時間枠を変えると、相場の輪郭がすっかり変わってしまうのである。相場の輪郭とは、あって無きが如き幻のようなもので、それを正確に知ることはできない。輪郭が分からないので、輪郭の傾斜である相場の方向もやはり分からないのである。
「相場とは安く買って高く売ることなり」とは、よく言われることだが、これは「我に支点を与えよ、地球を動かして見せよう」と言ったアルキメデスの言葉と同じで、もともと出来ないことを言っているのである。
固定時間枠による相場観察
こんなことを考えていてもきりがなく、憂鬱になって行き詰まるばかりなので、楽観的市場観測者は任意に選んだ「時間枠」という「観測窓」を相場に押し当てて相場を見るようになった。20日移動平均だとか、14日RSIだとかがそれである。
さらにいくつかの時間枠を組み合わせて使うようになった。複合移動平均線などがそれである。日足、週足、月足を組み合わせる分析である。
しかし、これらは相場のフラクタルに迫ろうとする分析ではない。相場のフラクタルはミクロからマクロまで無限でしかも中途半端な次元を持っており、 3種類ほどの複合時間枠では分析できないのである。
トレンドラインを引く際も、無意識に時間枠の選択を行っている。この場合、時間枠は後講釈で見て都合の良いように漠然と選択されている。
現在知られているほとんどすべての相場分析法が選択された時間枠を使用しており、すべての時間枠を網羅してフラクタル構造をしらみつぶしに総合的に評価しようとする手法はほとんど考案されていない。
多層時間枠フラクタル解析
筆者が開発した相場の多層時間枠フラクタル解析は、これを試みたものである。 それは、多数の鵜を操る鵜飼いの仕事のような仕掛けになっている。
鵜飼い
鵜飼いは、今日という地点に立っている。鵜飼いは、昨日の相場情報に1羽の鵜を放っており、それをひもで操っている。2日前にも同じように鵜を陣取らせ、ひもを通じて、2日前の情報という魚を獲らせている。3日前にも4日前にもという具合、すべての日にわたって鵜を放ち、魚情報を引っ張ってくる。鵜飼いは、無数のひもを手に持っており、それを解析して、川の流れの輪郭を捉えようとしているのである。
多層時間枠フラクタル解析は、すべての時間枠で相場を見ることによって、時間枠のパラドックスから逃れようとする試みであるとも言える。
テクニカル分析
一方、テクニカル分析とは見るための仕掛けではなく、相場のフラクタル構造を見ないための仕掛けである。
この場合、見ない部分を相場の雑音として平均するか、一部のデータだけを取り出して、それ以外のデータを、無視して見ないようにするのである。テクニカル分析のおかげで、相場は見やすくはなったかも知れないが、相場の本質からは、むしろ遠ざかることになったと言えないだろうか。
エリオット波動理論
相場のフラクタル輪郭をモデル化しようと試みた、古典的理論が一つあった。それが、エリオットの波動理論である。エリオットの波動理論に関しては、キーワードと参考文献を脚注として挙げてあるので、詳しく知りたい方は、インターネットや書籍で参照していただきたい。
この理論が言わんとしていることは、相場のどの部分をどんな時間枠で観察しても、5波の主波動と、3波の修正波動からなる基本パターンでできているということで、相場のミクロ次元から、マクロ次元を統合する自己相似性を、非常にうまくモデル化している。エリオットは株式の取引者であり、その波動理論は、儲けるために書かれた。相場を予測する手掛かりとして、最も広く活用されているのが、この波動理論である。(画像下:プレクター著:エリオット波動原理英語版より)
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波動理論 |
儲からない相場モデル
一方、フラクタルという概念が生まれたのは70年代である。その基となったのが、カオス理論である。
ただしカオス理論は、厳密には現代数学の一分野であり、相場理論ではない。またカオス理論は、相場で儲ける手法や、相場の予測手段について実践的な答を出しているわけではない。むしろ、「儲からない相場」の完全なモデル化と言える。
フラクタルというのは、カオス理論の数値モデルをコンピュータのグラフに変換し、視覚化したものである。
相場が走った距離を計る
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(画像:木のフラクタル) |
フラクタルの特徴は、その輪郭の距離が測れないことである。相場を山や谷のあるジグザグのシルエットとして、仮定してみよう。(左図:木のフラクタルでも同じ)
シルエットの距離
山の高さは、海抜何メートルであるという風に、計測することが出来る。しかしながら、このシルエットの距離を測ろうとしても、うまくいかないことにすぐ気付く。
谷底から山頂までの輪郭は、一直線ではない。人間の足で測れば、10メートルである距離も、虫の足で測ると何十メートルにもなる。小さな石のシルエットも、飛び越すわけにはいかず、一つ一つの石の輪郭を、丹念になぞって歩く必要があるからだ。
同じ理屈で、人間が測った10メートルの距離は、その場所をバイ菌に這わせて測らせると、小さな砂でさえ丹念にその回りを歩いて測らねばならず、その距離は、おそらく何千何万メートルにも達するはずである。
相場の距離
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(画像:フラクタルの一種コッホ曲線の輪郭) |
相場も同じことで、100円から101円まで1円上昇したという前述の例も、1日という歩幅で測った相場の距離にすぎず、この相場の実際の輪郭は、 1円よりもはるかに長いのである。そして、ひとたび日足から週足に時間枠を変えると、相場の輪郭は相対的には、短くなってしまう。バイ菌の歩行距離より、虫の歩行距離の方が、短くなるのと同じ理屈である。(右図:フラクタルの一種コッホ曲線の輪郭)
場節取引はフラクタルか?
日本独自の場節取引は、フラクタルではないのかもしれないという疑問が起きる。第1節で、100円のものが第2節で101円となったとき、この 100円と101円の間は取引が中断しており、この間の連続的なフラクタル構造が、欠けているからだ。
しかし、板寄せをやっている取引所の立会いを見学してみると良く分かることであるが、板寄せそのものがフラクタルであり、第1節の100円と言う結果が出るまでに、相場は109円になったり111円になったり飛び跳ねながら、連続的に単一の最終値段に寄せられていくのである。その本質はザラバ取引と同じであり、ただ記録されないだけのことである。
日本人は、相場のフラクタル構造を見えなくすることによって、相場を分かりやすくしようとしたのである。
田中雅氏のプロフィールはこちら