引退した蒸気機関車の運命は、「廃棄・解体」となるか保存されるか、である。保存される場合は、鉄道趣味の分野で「動態保存」「静態保存」の2通りがある。「動態保存」は動ける状態で、たとえば大井川鐵道や秩父鉄道、JR東日本高崎エリアなどでSL列車を牽引している。大人から子供まで大人気だ。「静態保存」は全国各地の公園などで展示されているような状態だ。外観は現役時代のままでも、ボイラーなどは稼働しないし、地震などで動かないように、車輪やピストン、運転台のレバーなどもガッチリと固定されている。
静態保存された蒸気機関車の中でも、東京で働く人にとって親しみのある車両といえば、新橋駅前にある小さな蒸気機関車「C11形」だ。タンク式といって、機関車1台の内部に水タンクと石炭を搭載する。ただし、それぞれの搭載量は少ないから、おもに近距離路線や駅構内の貨車の入替えなどに使われていた。これに対して、デゴイチ(D51形)のような大型機関車はテンダー式という。長距離を走行するため、機関車の後ろに石炭と水を貯蔵する「炭水車」を組み合わせる。この炭水車を「テンダー」という。
鉄道開業100周年を記念して設置された
新橋は日本の鉄道発祥の地で、その象徴として蒸気機関車が展示されている。そこまでは誰もが納得できるだろう。では、あのC11形蒸気機関車は現役時代、どのあたりを走っていただろうか? 新橋に飾ってあるから、きっと新橋を通る東海道本線や電化前の山手線かな……、と思ったら大間違い。あの機関車は姫路機関区に所属し、中国地方で活躍していた。
現在は見あたらないけれど、かつては蒸気機関車のそばに説明書きがあった。展示車両付近が改築される前、広場に大きな噴水があった頃だ。
そこにあった紹介文には、展示車両「C11 292」が1945(昭和20)年に日本車輌製造によって造られ、姫路機関区に配属し、引退するまで同じ機関区に所属していたと記されていた。おもに活動していた路線は播但線や姫新線とのこと。新橋駅前の設置は1972年10月。日本の鉄道開業は1872(明治5)年で、それからちょうど100周年を記念したという。
新橋駅前にある蒸気機関車が、東京周辺で一度も走っていなかったという事実はおもしろい。「C11 292」が選ばれた理由はおそらく、「引退するときに最も状態が良かったから」ではないか? 1972年8月に現役を退いて品川機関区へ移動され、9月に廃車となって、10月から展示されている。まるで新橋で展示されるためにわざわざ運ばれたかのようだ。
C11形は他に、大井川鐵道、真岡鐵道、JR北海道で動態保存されている。新橋駅前の「C11 292」は、それらとは形が違う部分がある。大きな円筒形ボイラーの上にある「蒸気溜」「砂溜」だ。動態保存機は丸っこいけれど、「C11 292」は角張っている。これは物資が不足していた戦時中に製造された「戦時型」の特徴とのことだ。