JR東日本は9月28日にダイヤ改正を実施し、新潟~酒田・秋田間の特急「いなほ」に、常磐線から転出したE653系を導入する。「いなほ」は東北地方の日本海側の都市を結び、上越新幹線や秋田新幹線と連絡する特急列車だ。この列車は、過去にある分野で日本一だった時期があるという。さて、どんな記録だろうか?
デビュー当時は上野発秋田行、所要なんと8時間!
その答えを紹介する前に、特急「いなほ」の変遷をおさらいしてみよう。特急「いなほ」の列車名が登場したのは、1969(昭和44)年10月のダイヤ改正から。1日1往復で、上野駅と秋田駅を乗換えなしで結ぶ初の列車だった。
下り列車は上野駅13時25分発。高崎駅、水上駅、長岡駅、新津駅、新発田駅、村上駅、温海(現・あつみ温泉)駅、鶴岡駅、酒田駅、羽後本荘駅に停車し、秋田駅に22時0分着。所要時間は8時間10分だった。上り列車は秋田駅9時25分発、下り列車と同じ駅に停まり、上野駅に17時40分着。所要時間は8時間15分。走行する路線は東北本線、高崎線、上越線、信越本線、羽越本線だ。当時の車両はキハ80系気動車で、食堂車も連結していた。
デビューから3年後の1972年、「いなほ」は電車特急となる。使用車両は485系特急形電車で、グリーン車・食堂車を含めた12両編成だった。同時に「いなほ」は2往復体制となり、うち1往復は奥羽本線も経由して青森駅発着となった。青森行下り列車は上野駅10時0分発、青森駅20時35分着で所要10時間35分。上り列車は青森駅7時30分発、上野駅17時39分着で、所要時間は10時間9分である。
東京と東北地方の日本海側を乗換えなしで結ぶ「いなほ」は人気列車となり、1979年に3往復体制となる。このうち2往復は上野~秋田間、1往復は上野~青森間だった。
「いなほ」は1972年以降、編成が短くなり、食堂車も外されたけれど、現在に至るまで40年以上も485系で運行されている。しかし、ついにE653系への置換えが始まった。485系の「いなほ」も、あと少しで見納めとなるだろう。
上越新幹線開業で運転区間短縮
上野~青森間「いなほ」の走行ルートは、現在の寝台特急「あけぼの」とほぼ同じ。走行距離は776.2kmだった。在来線の昼間の特急としてはかなり長距離だ。しかし、当時はもっと長距離を走る昼行特急があった。大阪~青森間を日本海側経由で結ぶ特急「白鳥」だ。新幹線が走る前は、こんな長距離特急が他にもたくさん走っていた。
「いなほ」の最大の転機は1982年の上越新幹線開業だ。大宮~新潟間開業により、「いなほ」は上越新幹線に接続する特急として区間が短縮され、新潟~秋田・青森間の運行となった。ただし、運転本数は増えて5往復体制に。食堂車は廃止されて9両編成となり、やがて7両、6両へと短縮されていった。新潟~酒田間の列車も設定された。
時は経って2010年、東北新幹線が新青森駅まで到達すると、これに接続する特急「つがる」が秋田~青森間に設定される。それまで同じ区間を走っていた特急「かもしか」に加え、青森行だった特急「いなほ」を秋田駅で分割し、これらの列車を統一した形だ。「いなほ」は新潟~酒田・秋田間の特急列車となり、これが現在の姿になっている。
「在来線の昼行特急の走行距離」の日本一記録を持っていた!
上野~青森間の長距離特急「いなほ」が誕生したとき、最も長い距離を走る昼行特急列車は大阪~青森間の特急「白鳥」だった。その後、2001年に大阪~青森間の特急「白鳥」が廃止に。さらに、特急「雷鳥」のうち、大阪~新潟間の列車も消滅した。このとき、「在来線の昼行特急(定期列車)の走行距離」日本一の座が、新潟~青森間の特急「いなほ」に譲られた。
ただし、この日本一は長続きしなかった。前述の通り、2010年のダイヤ改正で「いなほ」の運転区間が新潟~酒田・秋田間に短縮されたことで、日本一の座は特急「しなの」の大阪~長野間の列車に移ってしまった。
在来線で日本一の長距離昼行特急といえば、往年の鉄道ファンには大阪~青森間の「白鳥」の印象が強い。それに比べると「いなほ」の記録は霞んでしまうけれど、2001年から2010年までの9年間、新潟~青森間の特急「いなほ」は間違いなく、「在来線で日本一の長距離昼行特急列車」だったのだ。