今日元気で会った人でも、明日会えるとは限らない。再会を約束しても、次はないかもしれない。
(『喪の旅 愛しい人に出会い直す』より)

愛する人を失ったとき、人はどのように生きていけばいいのでしょうか。悲しみを抱えたまま、それでも日々を重ねていく中で、少しずつ見えてくるものがあります。

今回は、死別の悲しみを抱いてどう生きていくかを取材した河合真美江さんの著書『喪の旅 愛しい人に出会い直す』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)より、妻を亡くした粟田茂樹さんのお話をお届けします。

家族あてのノートや投稿、残してくれた言葉を糧に

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教員だった妻を亡くした粟田茂樹さん


茂樹様
ありがとう。
大好きです。
出会えてよかったです。

妻が亡くなった翌日、家で葬儀のための写真を探していた。食卓のそばの缶を開けると、手のひらにのる小さなノートが数冊あった。家族それぞれにあて、妻の丁寧な鉛筆書きが亡くなる45日前まで続いていた。

こんなことを考えていたのか――。宮崎県延岡市に暮らす粟田茂樹さん(62)は繰り返し読み、今も妻と会話している。

茂樹さんは中学校で技術家庭を教え、妻の紀久子さんは小学校の教員だった。1990年に結婚し、息子2人に恵まれた。妻に家のことは任せっぱなしだった。

乳房の具合が気になるとは言っていた。2001年、妻は39歳で乳がんのステージ4と診断される。

なぜ、早く病院に行くように勧めなかったのか。茂樹さんは自分を責めた。

右の乳房を手術した。間もなく10年という11年1月、再発を告げられる。

2カ月後に東日本大震災が起きた。「いきなり命を絶たれるなんて……伝えたいことがいっぱいあったでしょう」。再発の衝撃の中でも、妻は犠牲者のことを思った。

抗がん剤治療を受け、体がもつ限り働いた。でも、学校の子どもたちに迷惑をかけられないからと退職。家でできることを、と音訳ボランティアや投稿に力を入れた。

一つが朝日新聞の「ひととき」欄だった。食器棚にしまいこんでいた結婚祝いのペアマグカップを出した日のことをこうつづった。

《休日も仕事に出ることが多い夫と、日曜日の昼下がりにこうしてゆっくりコーヒーを味わう、そんなひとときこそ、私にとって「特別」なのだ、と。たとえ明日命が絶たれても「私の人生は幸せでした」と胸を張って言えるだろう。》(11年9月10日掲載、「夫とコーヒーこそ『特別』」)

「載ったから見てね」と言われ、読んで茂樹さんは泣いた。もっと妻に向き合うべきだった。そう思い、休日出勤を減らした。

また、がんを告知した主治医との会話から考えた投稿もある。

《私は、息子たちに何を教えるべきか、日々考えながら生きた。炊事洗濯など家事のあれこれ、困った時は誰かに助けを求めること、困っている人に手を差しのべること、感謝の気持ちを言葉で伝えること……。親がいなくても生きていけるように育てること。親が子供にできるのは、これ以上でもこれ以下でもないと、今、感じている。》(14年7月2日掲載、「親が子供にできること」)

時期を早めた長男の結婚式に車いすで列席した。その2カ月後、18年2月に逝った。56歳だった。

翌年から、茂樹さんは中学校長を務めた。さまざまな業務に追われ、日々張りつめて過ごした。でも、後悔は深かった。茂樹さんは以前、弓道部やサッカー部の顧問をして、休日も出勤した。反省をこめ、校長時代には職場の先生たちによく話した。

「家族との時間を大切にしてほしい。自分や家族が幸せであることが仕事の力にもなる」と。

そして24年4月から、不登校の生徒たちが通う「学びの多様化学校」で働いている。

わが家へ帰ると、ひとり。広く感じる。食卓のまわりやリビングの壁には妻の飾った家族写真が何十枚も。笑顔、笑顔、笑顔があふれている。

妻が亡くなって7年、家の中はほぼそのまま。休日には、思い出のペアマグでコーヒーを飲む。ただ最近、食器などを処分し始めた。幼い孫に「じいじ」となつかれ、次の世代が育っていると実感するから。妻が通勤に使っていた黄色の愛車も思い切って売った。

闘病中、茂樹さんは妻の髪をシャンプーしていた。妻はノートでこう明かしている。

「ほんとは自分でできるのに、気持ちよくてついつい甘えてしまいます」と。そうか、妻にとって私は甘えられる存在だったのか。それなら、よかった。しみじみ思う。

毎朝、妻の写真に「いってきます」と声をかけ、笑顔をつくって家を出る。

プロポーズした時のことを思い出す。気取らず、まぶしいくらい明るい紀久子さんに「僕が幸せになりたいから結婚してほしい」と言ったのだっけ。ほめられたプロポーズではないね。でも、本当に幸せだった。

紀久子、ありがとう。残してくれた言葉を糧に生きていくよ。

出会えてよかった。心からそう思う。

著者:河合真美江(かわい まみえ) 1963年、東京生まれ。1986年に朝日新聞社入社。松江支局や大阪本社整理部、文化部、金沢総局などに勤務し、文芸やジェンダー、死別と向き合う生き方などを取材してきた。2025年6月に退社。「ベルサイユのばら」で宝塚歌劇と出会い、小学生のころから50年以上見てきた。記者として歌劇100周年のころを担当。

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