ミュージシャン、アスリート、俳優、クリエイター。各界のレジェンドの名言を集めてお送りしている本連載ですが、私にとって特に面白いと思うのが、サイエンティストの方たちの発言なのです。
サイエンティストたちも組織人
科学者、特にノーベル賞を受賞した人ともなるとあまりに遠い存在で、そんな人たちの言葉は理解できない、響くものは何もないと思っていたのですが、そんなことはない。なぜ、面白いのか。その理由を考えてみたのですが、まず、サイエンティストたちも会社員と同様、組織人であることがあげられます。組織に属すということは、成果を出さないといけない。研究というものは、すぐに結果が出るものではない、実験も失敗のほうがはるかに多いと科学の世界に携わる人なら誰もが口をそろえていいますが、ずっと結果を出せない科学者を雇い続けるほど、機関は甘くないので、ある程度、なんらかの成果を見せないといけない。
また、研究も時代との親和性が求められます。時代や人々が求めて、かつ自分が情熱を傾けられるものでないと、なかなか日の目を見ないのではないでしょうか。おカネをもらう以上、なんらかの成果を出さなくてはいけないという浮世のしがらみと、生涯を賭けるテーマとの運命的な出会い、そして自身の創造性。このスリーセブンの邂逅が珍しいが故に、科学者の言葉は面白いのだと思います。
超簡単にふり返る、大隅良典博士の来歴
今回は、2016年にオートファジーの仕組みを解明したことにより、ノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典先生をご紹介したいと思います。首相官邸のHPによると、オードファジーとは「生物が生命維持に必要なアミノ酸の生成などのために細胞内のたんぱく質を再利用する重要な機能」だそうで、オートファジー機能を明らかにすると、パーキンソン病などの治療に役立つことがわかっているそうです。
科学者が自分のテーマと巡り合うことはそう簡単ではありません。「続・僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう」(文春新書)によると、大隅先生は東大に進学、その後、京大の大学院、アメリカ・ロックフェラー大学に留学していますが、なかなか職が見つからなかったり、自分の興味の持てない研究テーマを与えられてしまったこともあったそうです。そうこうするうちに、先生は酵母と出会い、そこから酵母の液胞、タンパク質とテーマが広がり、オートファジーへとつながっていきます。
ノーベル賞受賞後、講演会をすることも多い先生ですが、「若者へのメッセージ」として、9か条をお話されているそうです。今日はそのうちの2つを紹介したいと思います。
大隅博士の名言その①「役に立つこととは何か、長い目線で考えよう」
まず①から。科学実験においても、「これが何の役に立つのか」という質問はよくされるそうです。確かに、役に立たない研究をしてもしょうがないと言えば、しょうがない。けれど、大隅先生は「そもそも役に立つとはどのようなことか、議論が進められているわけではありません」「役に立つかどうかは、人類の歴史の中で検証されていくものであって、数年後に役に立つかどうかという短期的な視点で、判断してほしくない」とお答えになっている。これは科学の世界のお話だと思いますが、一般人の世界でも「そんなことをして何になるのか」を気にする人はいます。タイパ重視のもおそらくその一つで、つまらないものに時間を費やすとソンだから、映画などのオチを知ってから映画を見る、カラオケはサビだけ歌うなどの話を聞いたことがある人も多いことでしょう。
でも、「時間を無駄にしない」「役に立つこと」を突き詰めていくと、「生きていることが無駄」になりやしないかと思うのです。オリンピック選手になれるわけじゃないから、運動しても無駄。東大に入れるわけじゃないから、勉強するのは無駄。必ず結婚するわけじゃないんだから、恋愛しても無駄。こうやって考えていくと、ものすごい才能を持つ人以外、生きている意味がなくなってしまうのではないでしょうか。そもそも、人類がいなくても自然界には何の影響もありませんし。
大隅博士の名言その②「自分の理解者を作ろう」
これは山中伸弥先生もおっしゃっていたことですが、科学者というのは失敗のほうがはるかに多いそうです。真面目に研究をしている人ほど、うちひしがれることでしょう。そんな時、心の支えになったのが「面白いことやってるね」と自分に声をかけてくれる人の存在だったそうです。職場の先輩でも後輩でも、友達でもいい。自分に期待して、ちょっと甘やかしてくれる。そんな人が先生の研究を支えてきてくれたそうなのです。
科学者であろうとそうでない世界の人であろうと、私たちは評価から逃げて生きることはできませんし、努力したからといって評価が伴うとは限りません。しかし、世界一の評価を受けた人を支えてきたのが、評価しようがない、人の厚意であるというのは、私たち人間が能率的な機械ではない証拠のように思えるのでした。