海辺の別荘で、父親とその愛人と過ごす少女。近隣の別荘で過ごす少年と恋をし、気ままに夏は過ぎていくはずだった。しかし、亡き母の友達を名乗る女性が現れて、父の心は心変わりして、女友達との結婚を決める。輝いていた日々を取り戻すために、少女がしたたくらみとは――。

未成熟故の少女の残酷さを描いたフランソワーズ・サガンのデビュー作「悲しみよこんにちは」(新潮文庫)は、世界的ベストセラーを記録します。作者であるサガンが若い女性であること、恵まれた家庭に育ったことも注目を集めたのでした。

今回は山口路子氏の「サガンの言葉」(だいわ文庫)をもとに、サガンの人生を振り返ってみたいと思います。

  • イラスト:井内愛

セレブリティと交遊を深めるパリの夜―おしゃれなライフスタイルも注目されたサガン

ベストセラーを記録し、押しも押されぬ流行作家となったサガンですが、彼女のおしゃれなライフスタイルも注目を集めます。避暑地で過ごす夏、セレブリティと交遊を深めるパリの夜、ウイスキーとたばこ、スポーツカー、ギャンブルを愛したサガン。莫大な印税収入があるため、気前よくおごっていたそうです。サガンを信奉する人は“サガニスト”と呼ばれたそうですが、長所と短所は表裏一体。これらの面が裏目に出て、のちのサガンを苦しめます。

まず、スピード狂だったサガンはスポーツカーで交通事故を起こし、生死の境をさまよってしまいます(しかし、この事故がきっかけで、当時の恋人はサガンとの結婚を決意したのだそう。最初の結婚は短いものでしたが、二度目の結婚で息子をさずかります)。この時、治療に用いたモルヒネ系の薬の依存症となってしまいます。この時はなんとか依存から脱したものの、40代になりすい臓炎になった際に、再度モルヒネ系の薬を処方され、依存に陥ってしまったといいます。サガンは60代になるとコカインの使用所持で逮捕されてしまいます。その時、マスコミに対して「破滅するのは、私の自由です」と言い放ったそうです。有名人の違法薬物というと、悪い取り巻きに勧められて手を出したと思われがちですが、サガンの場合は、交通事故の影響で薬物に頼るクセがついてしまったのではないかとも思います。

サガンの名言「やさしさのない人とは、相手ができないことを求める人です」

そんなサガンの名言は「やさしさのない人とは、相手ができないことを求める人です」。サガンはこの他にも「個人的に私が一番重要だと思うのは、やさしさです。真の知性の基準になるのです」という言葉も残しています。つまり、やさしい人は知性が高いと言いたいのではないでしょうか。

確かに、知性の高い人は、そのやさしさゆえに他人に恥をかかせないと言えるでしょう。こんな時に思い出すのが、イギリスの女王さまとフィンガーボウルの話です。フィンガーボウルとは、食事中に指先を洗うために水を張ったボウルのことですが、会食に招かれた客がそれを知らずに水を飲んでしまった。周囲にはそれが間違いであることがわかりますから、無粋な客だといじわるな視線を向ける人もいたかもしれません。しかし、それを見た女王さまは、自分も真似をしてボウルの水を飲んだそうです。もし女王さまがフィンガーボウルで指を洗えば、客は「自分は間違ってしまった」と気づいてしまい、せっかくの食事を惨めな 気分で終えることになるでしょう。フィンガーボウルは「知らない人に恥をかかせない」とう女王さまの優しさだったのです。サガンの「やさしさのない人とは、相手ができないことを求める人です」も同じ意味だと思われます。

サガン的なやさしさは、こちらの知性を値踏みする?

SNSでは他人をぴしゃりとやりこめるのが流行りですが、現実世界で他人に恥をかかせていいことは何もないと私は思います。そういう「恨みの棘」はながーく残るものですし(恥をかかせた方は忘れている)、周りの人からの評判も落ちるもの。なので、サガンの心配りは正しいと思います。

が、同時に怖くもあるのです。なぜなら、サガン的なやさしさとは「知らなそうなネタ、できなそうなことは、相手にフって恥をかかせない」わけですから、無言のうちにこちらの知性やレベルを値踏みされているということでもあるわけです。

「自分の方が上だ」と言葉や態度で示す、マウンティングという言葉は、すっかり定着しました。マウンティングのネタがたいてい恋人や夫のステイタス、子どもの出来であることは、自分の力で勝負できないという日本女性の抑圧が隠されているような気がして物悲しいのですが、「はっきり言葉で言う人」というのは、私にとっては怖くありません。なぜなら、「あの人って嫌な人だよ」と他人に言える証拠を自ら残しているようなものですし、どう思っているか、何を考えているかが非常にわかりやすいからです。

本当に怖いのは何を考えているのか、わからない人。やさしさとは知性というのがサガンの考えですが、同時に残酷なものかもしれないと思うのでした。