……マリア・カラスと松居一代って顔が似てない?

そんなことはどうでもいいですね。オペラに詳しくない人でも知っている、それが歌姫、マリア・カラス。そのマリカラですが、最愛の恋人、アリストテレス・オナシスをジャクリーン・ケネディに盗られてしまったことをご存知でしょうか。

それでは、まずマリア・カラスの生涯を振り返ってみましょう。

超簡単に振り返る、マリア・カラスの人生

ギリシア系移民の子としてニューヨークに生まれたマリアですが、マリアの生まれる前に母親が息子を亡くした後の妊娠だったこともあり、お母さんは勝手に男の子が生まれると信じていたようです。しかし、実際は女の子。お母さんはひどく失望し、マリアに冷たくあたるようになりますが、マリアに音楽の才能があることに気づくと、ここで一山当てることを思いつきます。お父さんと離婚した後はギリシアに戻り、年齢を偽ってパリのコンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)に入学させ、音楽の勉強に勤しみます。23歳の時に、イタリアのヴェローナ歌劇場でデビュー、26歳の時にヴェローナの実業家男性と結婚します。

「アイーダ」「トゥーランドット」「清教徒」など、声に負担がかかるとして名高い曲を、マリアは避けることなく果敢に挑戦していきます。とうとう、スカラ座の初日をも飾る存在になったのですが、やはりガタが来ます。代役を用意していない公演で、第一幕後での降板を申し出て、劇場は混乱します。イタリア政府はスカラ座に、マリアにオファーしないように要請をかけ、メトロポリタン劇場からも一方的に契約を打ち切られるなど、辛酸をなめます。これもマリアに対する期待の裏返しとも言えるでしょう。母親に金銭援助を求められ、拒否すると「苦労して育ててやったのに、冷たい娘だ」とマスコミに吹聴されるのも、スターあるあるでしょう。

弱っているときに、誰かに頼りたくなるのが人情というもの。マリアは同じギリシア人である大富豪、アリストテレス・オナシスにクルージングに誘われ、二人はそこで恋に落ちます。

オナシスに「歌をやめてもいい」と言われたのが、マリアは相当嬉しかったようです。 オナシスは比較的あっさり離婚できたのですが、マリアの夫がイタリア人で、カトリックのお国柄ということもあり、なかなか離婚が認められません。そうこうしているうちに、オナシスはジャクリーンと結婚してしまうのです。オナシスはプリマドンナとしての私を愛していただけ、二人はうまく行きっこないと大騒ぎし、失意のあまり、自殺未遂してしまいます。

マリアの予想どおり、オナシスとジャッキーは結婚二年目からうまくいかなくなり、オナシスはマリアのもとに戻ってきます。オナシスはジャッキーと離婚するつもりでしたが、離婚が成立する前に、病気でこの世を去ってしまうのです。女優として映画進出したものの、評価ははかばかしくなく、いくつかの恋愛をし、53歳で心臓発作のため、この世を去ります。

マリア・カラスの名言「女性の使命は、愛する男性を幸せにすること」

  • イラスト:井内愛

さて、マリアの人生に影響した二人の男性、最初の夫とオナシスについて、考えてみたいと思います。マリアは「最初は母に、次は夫に無理やり歌わされた」と話しています。そして、オナシスは「歌手としての自分を愛していた」とも。つまり、二人の男性は歌手としての自分ばかり見ていて利用した、内面は見ていないと考えていたのでしょう。

でも、人間を聞こえ(肩書)と内面で分けることって、できるのでしょうか。

たとえば、オナシスは20世紀を代表するお金持ちですが、彼が「お金だけを求める人生はむなしい」と言ったとすると、この人は深みがある人だと思われるでしょう。しかし、仕事が続かず、お金がない人が同じことを言ったとしたら、おまえはとりあえず働け!と言われてしまう。多くの女性は人格を外見(含む肩書)と内面に分けたがりますが、結局、内面と外見は連動しているものであり、切り離せるものではないのです。それは、マリアとて同じこと。オナシスがど貧乏でも、恋をしたでしょうか。

マリアは「女性の使命は、愛する男性を幸せにすること」と述べています。実際、ジャッキーとの関係に疲れたオナシスがマリアのもとに戻ったくらいですから、居心地のいい女性だったのでしょう。

しかし、ここで考えてみてほしいのです。それなら、なぜオナシスがマリアを捨てたかを。外見と内面連動説(聞こえがいいと、発言が好意的に解釈されるので内面もいいと考えられる)をベースに考えるのならば、元アメリカ大統領夫人とスランプの歌姫では、マリアは完敗です。オナシスと本気で一緒にいたいのなら、「仕事をしないでいいよ」なんて言葉を真に受けず、オナシスのコネやカネを使ってでも、カムバックをはたすほうが、二人の仲は安定したのではないでしょうか。

相手の望むことをするというのは、人間関係の基本ですが、恋愛関係となると、なぜか女性は食事を作るといったふうに身の回りの世話のことだと決めつけることが多いと思います。特にアラフォー世代は、男性をしのぐなという空気の中で青春を過ごしたために、こういった発想をしがちですが、本当の献身とは、自慢になる女性で居続けることではないでしょうか。

パートナーシップに必要なもの、それは相手のズルさに駆逐されないことです。たとえば、 本連載でも触れたマリリン・モンローはケネディ大統領と不倫をしており、自分が大統領と結婚できると信じて疑わなかったそうですが、ケネディにとっては完全に遊びでした。名門家庭出身で、国民からの人気もあるジャクリーンを手放したら、自分の地位も危なくなるからでしょう。

マリリンやマリアのように男性に対して一途で献身的な人は、往々にして捨てられてしまいます。それは、オトコのズルさを知らないから、うまく使われてしまうのではないでしょうか。無垢よりもズルくあれ。「この人を手放したら、自分の人生にとってマイナスだ」と思われる女性くらい強くならなくちゃダメだと思うのです。

※この記事は2019年に「オトナノ」に掲載されたものを再掲載しています。