先々週、ふと砂漠が見たくなって、ドバイに旅行に行ってきました。久しぶりの海外旅行、もちろん一人旅です。
旅慣れているわけでも、英語が堪能なわけでもない私ですから、行く前はそれなりに不安もあり、面倒だなぁ、いっそ行くのやめちゃおうかな、という思いもありました。しかし、約12時間のフライトを経てドバイに降り立ち、ホテルにチェックインして街に出ると、みるみるうちに私はものすごい解放感に包まれていました。
「私は今、自由……!」
この旅行のために仕事をだいたい終わらせてきたので、今は仕事のことを考えなくても良い、という解放感もあったと思います。しかし、どう考えてもそれだけではない、圧倒的な解放感があったのです。
属性でどんな人物かを判断されない自由さ
海外に行くと、当たり前ですが私のことを知っている人なんていません。アラブ首長国連邦の中では、私の黄色人種の見た目は、圧倒的に少数派で、まさに「異邦人」です。 まずは人種が違うし、習慣も違うし、宗教も違う。なにもかも違うのです。
こういう「土台や背景がまったく違う」人たちであふれ返っている場所では、私が日本で異性にモテるかモテないか、結婚しているかしていないかなど、大した問題にはなりません。いや、正確にはナンパで「結婚しているのか?」「彼氏はいるのか?」と訊かれることはありましたが、それは挨拶代わりみたいなもので、私が「36歳で結婚していない」ということを気にする人など、まったくいませんでした。結婚していない=むしろラッキー扱いなのです。こんなことがこの世にあるとは……。
宗教的な戒律の厳しい国では、自国の女性の貞操が固いので、外国人観光客がナンパのターゲットにされる、ということは私も知っていますが、こうして年齢や人種の違いをものともせずナンパしてくる男性に囲まれていると、今まで自分が日本でいかに「結婚できてない」という劣等感に苦しんでいたか、やっと客観的に見つめることができたのです。
「結婚できてない」だけで、女性としての自分の価値に、まったく自信をなくしていたことにも、気がつきました。
ただ自分の意志で「結婚していない」のではなく、「相手がいないから結婚できない」「モテないから結婚できない」「人間関係をうまく築けないから結婚できない」のだと、どこかで自分を責めていたし、人から責められる前に防御しようとするあまり、自虐の渦潮に飲み込まれそうになっていたことにも、気づかざるを得ませんでした。
それが足かせになり、息苦しさになり、結婚していないだけで「自分はダメなのだ」と思い込む要因になっていました。
しかし、旅行に出てみると、こんなに気ままにフラッと旅行なんかに来られるのも独身の醍醐味、と思えますし、誰かと一緒の旅も楽しいけれど、一人で見る風景は細胞に染み渡るように印象的です。何より、街中を一人で歩く女性がすごく少ないドバイの街で、自分はなんと自由で気楽な身の上なのだろう……と、しみじみ実感しました。
「結婚していない」ことを、誰よりも過剰に気にしているのは自分自身なのだと、まるで岩のように固かった肩こりがほぐれていくような気持ちで、私は思ったのでした。
<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。
イラスト: 野出木彩