
2025年、栃木県日光市を本拠地とするプロアイスホッケーチーム・H.C.栃木日光アイスバックス(以下、アイスバックス)は、前身となる古河電工アイスホッケー部の創設から100年という大きな節目を迎えた。不景気などの理由から廃部となる企業スポーツチームも多い中、100周年を迎えることができたのはなぜか? そのキーワードは「割り勘」だと語るのは、元プロサッカー選手で解説者も務め、2023年に同クラブを運営する株式会社栃木日光アイスバックスの代表取締役に就任したセルジオ越後氏だ。その真意について伺った。
23年間で358ものスポーツチームが廃部に
「日本では、350以上のスポーツチームが廃部になっているのを知っていますか?」
セルジオ越後氏(以下、セルジオ氏)は、開口一番そう切り出した。セルジオ氏が言うとおり、1991年から2014年の間に延べ358もの企業スポーツチームが休廃部となっているという調査結果がある。
「日本のスポーツは1企業1チームが一般的で、野球でもサッカーでも1つの親会社が1つのチームを支えています。業績がいいときはいいけれど、悪化すれば廃部になってしまいます」
多くの場合で新たに別の企業が親会社となるが、セルジオ氏は「だから選手もファンも自覚が薄くなりますが、それも間違いなく休廃部です」と断言。先の358という数字はそうした親会社が変わったケースも含む数字だが、中には本当に消滅してしまったチームもある。1つの親会社が運営するというスタイルは、こうしたリスクを孕んでいるのだ。セルジオ氏が代表を務めるアイスバックスも例外ではない。
アイスバックスは1925年に古河電工(東京都・千代田区)が栃木県日光市に開設した精銅所のアイスホッケー部として発足。一時はインスブルック冬季オリンピックの日本代表チームに9人もの選手を輩出するなどしたが、経済不況などの事情から1999年に廃部。その後、地元の有志などの尽力により、日本アイスホッケー界初となる市民クラブとして生まれ変わった。

その際、資金となったのは、古河電工の他、地元企業の援助金やファンからの募金だった。しかし2年後には、古河電工の支援がなくなり、2000年11月にチームの廃部と運営会社の清算が発表された。ところがまたしても、地元企業や市民、さらには今市市(現在は合併し日光市)が支援を申し出て、チームは存続。その後、紆余曲折を経て2006-2007年シーズンから、セルジオ氏がシニアディレクターに就任、2023年からは代表取締役を務めることとなったのだ。
廃部の危機を救ったのは「割り勘」の経営
セルジオ越後氏といえば、ブラジル出身の元プロサッカー選手。現役引退後も、辛口の評論でサッカー界ではその名を知らない人はいない人物。それがなぜアイスホッケーチームにかかわることになったのだろうか。
実はセルジオ氏がシニアディレクターに就任した当時、アイスバックスは慢性的な財政難から存続が危ぶまれるような状態だった。そのため当時のセルジオ氏は無償で仕事を引き受けたという。
「知人から『このままではアイスバックスがなくなってしまう。でも、セルジオさんが手伝いにきてくれたら、みんな頑張れるから』と言われて手伝うことになったんです。チームには3億円もの負債があって、選手は給料が4ヶ月も未払いだったから、自分だけが報酬を貰えるはずないです」
そんな危機的状況を救ったのは、セルジオ氏曰く「割り勘」の経営だ。現在、アイスバックスには親会社はなく、パートナーと呼ばれる200を超える企業からの支援で運営されている。企業といっても、大会社ばかりではなく、生花店、居酒屋、歯科医院など地元の個人店が名を連ねているのだ。
「日本には地域の人の寄付で成り立つお祭りがありますね。それと同じで、チームは神輿のようなもの。お祭りは何百年と続いていますよね。それは神社だけじゃなくて、地域のみんなでお金や力を出し合っているから。でも、これが神社だけがお金を出していたら、景気が悪くなった時には『ごめんなさい』の一言で終わってしまいます。飲み会もそうです。会社の業績が悪くなったら、経費で飲む飲み会はなくなるけど、割り勘での飲み会はなくならない。それと同じです。それに、1社から1000万円を出してもらうのは大変だけれども、1000人から1万円ずつもらうことはできます」

景気や会社の経済状況に左右されず、スポーツチームを安定的に維持するには、「割り勘」の経営が最適だとセルジオ氏は言う。さらに「割り勘」の経営には地域密着、地域の活性化といった効果もあると言うのだ。
「お金を出すと、みんなチームに愛着が湧いて応援したくなったり、自分ごととして考えたりするようになります。支援する値段は関係ありません。1000万円出しても5万円出しても同じ。応援にきたスタンドで友達、仲間ができるんです。割り勘じゃないチームはチームが負け続けたら、だんだん応援に来なくなってしまいますよね。でもファンが自分でお金を出して自分ごとにしているチームなら、応援に来てくれる」
そうしたファンたちはスタンドでアイスバックスを応援しながら、仲間意識を高めていく。
「選手やその家族、ファンとその家族、地域の人々、みんなバックスファミリーという仲間、家族です。そうやって仲間が増えれば楽しい。その関係がスタンドから飛び出して町に広がっている。仲間が町に増えれば治安もよくなって町が安全になるでしょう」
セルジオ氏自身も現在、日光に生活の拠点を移しバックスファミリーの一員としてすっかり町に溶け込んでいる。そうした、地域の人が自分ごとにできるようなチーム運営こそが、真の意味での「地域密着」なのだとセルジオ氏は実感しているそうだ。
仲間に会える場所を作ることが地域貢献に
アリーナのスタンドはファンが応援する場であると同時に、ファン同士が仲間に会うための場所でもあり、セルジオ氏は、そうした場所を無くさないためにもチームを存続する必要があると考えているそうだ。
「僕が最初にアイスバックスへの協力を頼まれたとき、『チームがなくなったら友達に会う場所がなくなるから、どうにかしてほしい』と頼まれました。僕はスポーツってこういう力があるんだ、勝ち負けじゃなくて、みんなが友達になって、スポーツ観戦が憩いの場になっているんだと驚いたんです」
だからこそ地域貢献において、選手がプレーするフィールドはきっかけでしかないとセルジオ氏は語る。
「スポーツは試合に出られる人の数は限られている。でもスタンドには選手になりたい子ども、なれなかった大人たちがあふれています。フィールドはもちろん大切だけれども、それは人が集まるためのきっかけでしかありません。人が集まれるスタンドがあり、彼らが仲良くなれる環境をつくること、それが地域貢献です」

ただ、年間を通して試合が開催される期間は限られている。そこでアイスバックスはいろいろなイベントを開催したり、選手が地域の幼稚園や特別支援学校を訪問したりと、ファン同士、地域の人と選手がコミュニケーションを図る、ハッピーとちぎプロジェクト、略して「ハピトチ」という活動を行っている。
こうした歩みを続け100年を越えた今、次の100年に向かってアイスバックスは何を目指すのかを伺ったところ、こんな答えが返ってきた。
「時間が経てば選手も地元の人も入れ替わっていきます。今、応援してくれている子どもたちが次の選手になる。選手は引退したら、ここに残って地域に貢献する。勝った負けたじゃなくて、そういうことを積み重ねていけるチームを作るという理念はぶれちゃいけません。そうやってお祭りと同じように、地域に密着して何百年と続けていきたいですね」
今回の取材は日光と東京をオンラインで繋いで行った。こうした科学技術の進歩は便利であると同時にとても危険なことだと警鐘をならす。「科学の進歩は否定はしない。ただ、今、世界中の社会で争いが起きているのは、人と人のぬくもりがなくなってきているからじゃないですかね」。
人と人が繋がり、喜びや悔しさを共有し、互いを思い合う、そんな機会が失われつつある今。スポーツは、地域を、そして世界を繋ぐ救世主になってくれるのかもしれない。
text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
写真提供:株式会社栃木日光アイスバックス