もし、明日、自分や身近な人が突然『輸血が必要だ』と言われたら――あなたはどうしますか?

近年、少子高齢化などの影響もあり、特に若年層の献血可能人口は減少傾向にあります。特に冬場は、体調不良や天候の影響もあり、血液の安定確保が課題となる時期です。こうした状況を受け、厚生労働省と都道府県、日本赤十字社は、令和8年1月1日から2月28日までの2か月間、「はたちの献血」キャンペーンを実施しています。令和8年、掲げられたメッセージは、「誰かの今をつないでいく。はたちの献血」。

それは、特別な誰かの話ではありません。普段は意識することのない場所で、見知らぬ誰かの善意が、確かに別の誰かの命や日常を支えている――その連なりの中に、私たちは生きています。


「実は献血を必要とするのは、事故よりも、病気の人の方が多いんですよ」。そう教えてくれたのは、自らも2020年に白血病を患い、輸血によって命をつなぎ止めた経験を持つ、アマゾンジャパン合同会社の金子卓司さん(48歳)です。

  • アマゾンジャパン合同会社の金子卓司さん

健康には人一倍気を使っていたなか、突然発覚した白血病。コロナ禍中の1年2ヶ月に及ぶ闘病の末、金子さんは現場への復帰を果たしました。ふくらはぎが腕の太さほどになるまで筋力が低下しながらも、働く意欲を見失わなかったのは、復職を信じて待っていた仲間の存在と、見知らぬ誰かがつないでくれた「献血」という善意のバトンだったと言います。

今回は、そんな金子さんに大病を経験したことで変わった仕事観と今まさに困難の中にいる人へ届けたいエールを伺いました。

「3ヶ月前の血液検査では何ともなかった」定期検査で発覚した白血病

―― はじめに、金子さんのこれまでのキャリアについて簡単に教えてください。

大学卒業後、2012年に3社目としてアマゾンジャパンへ入社しました。最初は入荷工程部門のエリアマネージャーとして入り、シニアマネージャーへ昇進。その後も新設する物流拠点の立ち上げに携わるなど、業務の幅を広げていきました。入社8年目の2020年2月、埼玉での物流拠点の新設を任された矢先に、病気が発覚したんです。

―― どのような経緯で発覚したのですか?

もともと肝臓が悪く、3ヶ月に一度は大学病院へ定期検査に通っていました。転勤を伴う異動を控えていたこともあり、予定より前倒しで受診したのですが、結果を見た先生から「すぐに血液内科でも検査を受けてほしい」と言われて。そこで骨髄液を取る検査を行い、夕方には「奥様も呼んでください」と。妻と2人で診断結果を聞くことになりました。

―― 「急性リンパ性白血病」のなかでも、「フィラデルフィア染色体陽性」というタイプだと診断されたのですよね。

はい、そう告げられましたが、医師から説明を受けたときは、どこか他人事のような感覚でした。当時の同疾患の5年生存率は3〜4割程度。それを聞いて「イチローの打率よりも高いな」と、少し気軽な気持ちでいたんです。

隣にいた妻は泣き崩れていましたが、私の頭にあったのは仕事のことでした。新しい施設の設計から携わっていたこともあり、プロジェクトに関わるいろいろな人の顔が思い浮かんでいて。医師からはすぐに入院するよう言われましたが、引き継ぎ等のために1日待ってもらいました。

―― 体調には、特に異変はなかったのですか?

全くありませんでした。その前の週は家探しのために埼玉へ行っていたくらいですし、週に一度はジムで運動もしていました。私としては、いつも通りの検査を受けにきたつもりだったのです。ただ、結果を聞くと血小板の数値が通常の5分の1まで下がっていて、いつ血が止まらなくなってもおかしくない状態だったそうです。

1年2ヶ月に及ぶ休職と命懸けの移植治療。そこで感じた「献血」の大切さ

―― 治療はどのように進められましたか?

まずは体内の白血病細胞を5%以下まで落とすため、分子標的薬による治療を行いました。しかし、遺伝子の異常が残っていたため、抗がん剤による治療へと切り替えることに。副作用で手足に痺れが残ることもあり、子どもたちの顔を触っても、指先の感覚がないのは辛かったです。

―― 完治を目指すにあたり、骨髄移植をされたそうですね。

競泳の池江璃花子選手の影響でドナー登録者数は増えていたそうですが、私と型の合う方は見つからず、最終的に兄から移植を受けることにしました。7月の移植入院を前に、私は遺書を書いたり、友人たちに電話をしたり……。今振り返っても、それだけ覚悟のいる選択でした。

移植後の約60日間の入院中は、本当に過酷でした。自分の骨髄を空にするために全身に放射線を浴び、猛烈な吐き気や高熱、全身の皮膚疾患に苦しむ日々。医療用麻薬を使わなければ耐えられない激痛が3週間続き、体重は約20kgも落ち、ふくらはぎが腕の太さぐらいになっていました。この時は、看護師さんに支えてもらわなければ起き上がることもできませんでした。

―― 当時、金子さんを支えていたものは何でしたか?

支えとなったのは、まずは家族です。クリーンルームに居たため直接は会えませんでしたが、妻が届けてくれる3人の子どもからの手紙やチャットが支えでした。そして、結果として治療のために約1年2ヶ月休職したのですが、会社の同僚や友人がSNSで送ってくれた寄せ書きも、部屋に貼って毎日眺めていました。

また、病のとらえ方も意識していました。「病は気から」と言うように、ネガティブな気持ちを持つと、悪いことばかり考えてしまいます。だから私はあえて「孤独のグルメ」のような食レポ番組を観て、退院したあとの自分、つまり未来の姿を想像するようにしました。動けるときには「復職したら何をしようか」と考えたり、英語の勉強をしたりもしましたよ。

―― 闘病中、献血の存在を意識した瞬間はありましたか?

移植は成功しましたが、その後、なかなか自力で血を造ることができない時期がありました。2〜3日に一度は輸血が必要で、赤血球はもちろん、特に血小板は寿命が短いために、まさに“自転車操業”のように絶えず輸血をうけ続けなければなりません。当時、コロナ禍の影響で献血が思うように集まらないというニュースがあったかと思います。それでも定期的な輸血のため、各地で献血に協力してくれた方に支えていただきました。

生かされた実感が仕事観を変えた

―― 復職はどのように進められていきましたか?

2021年4月1日に、週5日の出勤で復帰しました。まずは現状、どこまでできるかを試してみたいと思い、自分から提案しました。闘病中も支えてくれた仲間がサポートしてくれるという信頼があったのも大きかったですね。免疫への影響を考えて清掃活動を代わってもらったり、施設内をみんなと同じスピードで歩けない私を気遣ってくれたりと、本当に助けられました。

また、上長からも「自宅勤務でも大丈夫」と言ってもらえましたし、週に一度の通院中も、代理のマネージャーが業務をサポートできる体制を整えてくれていました。

また、その他にも職場では細かな配慮がありました。例えば、当時は感染症対策でなるべくエレベーターを使用しない方針になっていましたが、物流施設は一般的に天井が高く、階段も普通のオフィスよりは長くなっています。。まだ筋力が戻りきっていなかったため、特別に利用を許可してもらいました。

―― ご自身の「仕事への向き合い方」に変化はありましたか?

すごく変わりました。入院前は、入社後の昇進に続き、次の4月にもさらなる昇格が決まっていた時期で、とにかく「ガツガツ」と自分のために走っていたんです。でも、多くのメンバーにサポートされて戻ってきたとき、自分一人の力なんて本当にちっぽけなものだなと痛感して。

そこからは、自分の喜びが「自分が評価されること」から「メンバーが評価されること」へシフトしていきました。彼らが豊かな生活を送れるように後押ししたい、自分は支える側に回りたい。多くの人に生かしてもらったことで、仕事観そのものがガラッと変わっていきました。

―― Amazonでは献血イベント「Amazon Blood」という取り組みが行われていますね。

「Amazon Blood」は埼玉の物流拠点の責任者を務める同僚が立ち上げたプログラムです。全国20〜30箇所の拠点に献血車を呼ぶ活動で、2022年から本格的なプログラムとして動き出しました。昨年は、協力企業の方々も含めて2,000人近くの方にご参加いただきました。

輸血というと、事故などによる急な出血で利用されるイメージが強いかもしれません。しかし、輸血用血液製剤の多くは、がんの患者さんの治療に使用されているそうです。私自身、実際に血液が届くのを待っていた経験があるからこそ、今、血液を必要としている誰かのために動いてくれる仲間の存在を、頼もしく感じています。

「待っているよ」という一言が、不安な人の心を灯す

―― 突然の病で先が見えない不安の中にいる人に、伝えたいことはありますか?

大きな病を経験するということは、そうそうあることではありません。もちろん、放射線治療後などのしんどい時はそこまで考えられないものですが、ずっと苦しい時期が続くわけでもなくて。今振り返ると、私はこの経験を「成長のチャンス」だったと、とらえています。

病気を通して初めて、献血を必要としているのは事故よりも病気の方が多いことや、小児病棟で懸命に生きる子どもたちの姿、そして医療従事者の方々の献身を知りました。そうして外の世界に目を向け、自分以外の誰かに関心を持ってみる。すると、少しずつ自分の病気から「気を散らす」ことができ、結果として自然と前向きになれる瞬間が訪れるのだと思います。

―― 家族や職場のメンバーなど身近な人が病に見舞われたとき、どう寄り添えばよいかアドバイスをください。

本人はすでに十分頑張っています。だからこそ、例えば私の場合は、「頑張れ」という言葉ではなく、会社のメンバーが言ってくれた「待っているよ」という言葉が何より嬉しかったです。妻も、余計なことは言わずに背中をさすってくれたり、ただそばにいてくれたりしました。無理に励まそうとせず、話を聞き、寄り添うだけでも力にはなれますよ。

―― ハンデを抱えながらも自分らしく働き、生きるために、金子さんは何が必要だと思いますか?

生きることも働くことも、実は多くの人に支えられているのだと改めて感じることです。会社に所属している以上、同僚や部下、そしてお客様との「つながり」の中に自分がいます。それを意識し直すことで、自分一人では生きていけないという謙虚さと、周りへの感謝が生まれました。「自分は支えられている」という確かな実感が、ハンデがあっても自分らしく前を向いていくための、一番の土台になるのではないでしょうか。