ナラ・シネフロと映画音楽の新潮流──『スマッシング・マシーン』の革新性と若き作曲家たちの台頭

日本でも高い人気を誇るアンビエント・ジャズの旗手、ナラ・シネフロ(Nala Sinephro)の最新作となる、ベニー・サフディ監督による〈A24〉の新作映画『スマッシング・マシーン』(5月15日より全国公開)のサウンドトラック国内盤CDが、2月13日に日本先行リリースされた。本作が切り拓く映画音楽の新たな潮流について、ライター・hiwattが解説する。

サフディ兄弟の映画における音楽

1995年生まれの私が小学生の頃は、ボブ・サップがお茶の間レベルの人気で、コロコロコミックには彼が主人公の漫画まであった。少し遡ると、アンディ・フグがウルトラマン映画にカメオ出演するなど、2000年前後のPRIDEやK-1といった総合格闘技バブルは、子供が触れるコンテンツにまで浸透するほどであった。そんなムーブメントの黎明期の目玉選手こそがマーク・カー、その人(日本ではマーク・ケアーが主流の表記)。

4歳から始めたレスリングにおいて、高校、大学とカーはチャンピオンであり続け、食べていくために始めた総合格闘技でも、デビューから無敗をキープ。来日の際には”霊長類ヒト科最強”と謳われ、本国では”ザ・スマッシング・マシーン”という二つ名で呼ばれていた。身長190cm・体重125kgにも関わらず体脂肪率は5%という、その名に違わぬマシーンであったが、『The Smashing Machine: The Life and Times of Extreme Fighter Mark Kerr』(2002年)と題したドキュメンタリーで映された、1999〜2000年のカーは、闘うことを恐れ、鎮痛剤などの合法ドラッグ依存に苦しむ弱く脆い人間。そのドキュメンタリーを観た、ザ・ロックことドウェイン・ジョンソンと、彼の制作会社が映画化を企画。ジョンソンが1997年から2000年にかけてのカーを演じる、そんな映画『スマッシング・マシーン』の監督として白羽の矢が立ったのがベニー・サフディだ。

彼は兄のジョシュ・サフディと共に『グッド・タイム』(2017年)や『アンカット・ダイヤモンド』(2019年)などの傑作を送り出してきたが、2024年に友好的に共作関係を解消したと表明。だが、コンビ解散後初のそれぞれの作品、ベニーの『スマッシング・マシーン』とジョシュの最新作『マーティ・シュプリーム』(3月13日より全国公開)は、いずれもアスリートが主人公で、競技の舞台が日本であったりと、共通点が非常に多い。同じ家庭で生まれ育ち、同じカルチャーに触れ、共に創作のキャリアを築いただけあって、思考や感性は確実に共有されているのだろうが、ただ、彼らそれぞれのソロ作品を鑑賞して思うのは、サフディ兄弟作品はジョシュの作家性が強かったということ。

ベニーは『グッド・タイム』では俳優として、何らかの知的障がいを持った人物を演じきり、後にはポール・トーマス・アンダーソンの『リコリス・ピザ』や、クリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』などにも出演しており、どちらかと言えば俳優としての才覚が注目されてきた。俳優という職業特性も然り、今回の監督作も言ってしまえば雇われ仕事であり、この”誰かに主導される創作”こそ、ベニーが最も活きる環境なのかもしれない。一方で、カーのドキュメンタリーを見たベニーは、「他者のために自分を脇に置き、感情を隠し、周囲をサポートするために常にプレッシャーを感じ続ける姿に共感した」とも語っており、今作のテーマとして”Radical Empathy”(徹底した共感)を掲げている。

ベニーはヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞し、ジョシュはオスカー候補となっている。これだけで芯にあるテーマ性が真逆であり、比較対象として相応しくないということは分かるかと思う。ただ先述の通り、作品の外縁は似通ったものであるし、舞台となった当時の流行歌と、場面説明的なポップスの並行した使い方など、やはり演出家としての手癖のようなものは、2人の監督が長年にわたって共有したもの。それは劇伴でも例に漏れない。

サフディ兄弟作品では、ワンオートリックス・ポイント・ネバーことダニエル・ロパティンが劇伴を手掛けてきたが、基本的にはジョシュとロパティンの二人が蜜月関係にあるため、今回はジョシュの『マーティ・シュプリーム』の方を手掛けることになったのは自然な流れだ。一方のベニー自らが音楽を託したのは、ロンドンのジャズシーンきっての才媛、ナラ・シネフロ。両者は共に〈Warp〉から作品を出しており、いずれも広義の意味でのニューエイジとされる音楽性で知られている。

ダニエル・ロパティン『マーティ・シュプリーム』サウンドトラック国内盤は2月27日リリース

ロパティンが手掛けた『マーティ・シュプリーム』のスコアは、50年代を舞台にした作品で80年代サウンドを当てた、かなりアクロバティックなものなのだが、自身で”時間で遊んだ”と語るだけあって、ララージなどのゲストを招聘して、時代性を感じさせない、ある意味でスピリチュアリズムをハックした、異常な音楽を作り出した。一方のシネフロは、いわゆるアンビエントとジャズを越境する作家性はそのままに、ベニーの掲げる”徹底した共感”を共有した、ディープなマインドスケープの音像化であったり、他に類を見ない斬新な音表現を試みている。彼女が『スマッシング・マシーン』の劇伴で成し遂げたことは、これからの映画音楽に小さくはない影響を与えるはずだ。

ナラ・シネフロ、2024年の初来日公演にて撮影(Photo by Yukitaka Amemiya)

若きアンビエント・ジャズの旗手、ナラ・シネフロ

北ロンドンのトッテナムを拠点に活動するナラ・シネフロは、29歳にして時代を代表する才能として評価を受けている。彼女は、カリブ海の島国マルティニーク出身のジャズ・サックス奏者である父と、クラシックピアノ教師であるベルギー人の母の元、1996年にブリュッセルで生まれた。3歳でピアノ、6歳でバイオリンを始めた一方で、自宅の側にある森の中で鳥のさえずりを聴きながら何時間も過ごしたという原体験があり、それがナチュラリズム的な思想や、コズミックな作家性へと繋がっていった。

彼女が得意とするハープは、高校時代に独学で始めたもの。その後はバークリー音楽院や、ロンドンのジャズカレッジを転々と学びながらも、中退して個人の創作に集中する。それから、ロンドンのジャズ・コレクティブ〈スチーム・ダウン〉に参加し、シーンで頭角を現し始め、そんなスチーム・ダウンのメンバーらと作り上げたのが、2021年の1stアルバム『Space 1.8』だ。

タイトルにもあるように、同作では一つずつの楽曲を”空間”として捉え、楽曲ごとに全く異なった8つの世界を描いているのだが、動物の鳴き声がフィーチャーされた1曲目から、2曲目はピアノが主体であったりと、半自伝的な側面もあり、自身のアイデンティティや深層のインナーワールドの変容までをも反映している。

2024年の2ndアルバム『Endlessness』では、これまでの作家性を引き継ぎつつ、音楽芸術には切っても切り離せない”時間”について、ループやリフレインなどの表現を用いて探求しており、ここでの取り組みは『スマッシング・マシーン』の音楽でも効果的に引き継がれることになる。ベニーはそんな彼女の音楽に感銘を受け、オファーしたのだが、インタビューでは起用理由についてこう語っている。

「彼女を選んだのは、彼女の音楽が好きだったから、そして僕自身のものではない、ある種の感情を呼び起こしてくれると思ったから。リング上の残虐さに対して、映画の中には美しい音楽を置きたかった。僕は(劇中に登場する)格闘家たちを美しいと思うし、大好きなんだ。彼らはお互いを思いやり、支え合っている。その感覚がジャズに重なると思ったんだ」

ベニーは、SNSでいくつか映画のアウトテイクを公開しており、その一つにマーク・カーが秋葉原でMDプレイヤーを購入し、ピンク・フロイドを聴きながら千葉にある寺を参拝するシークエンスがあるのだが、ベニーの思惑として、”禅”のイメージを作品に結び付けたかった節がある。ただ、それはカーの実像と乖離するし、ステレオタイプが過ぎるので、カットするという判断は正しかったと思うのだが、”禅”の精神性を表現できる、メディテーティブな音楽家として、シネフロという人選は適任であったと思う。

伝説的ファイターの「インナーワールド」

今作のサウンドトラックはすでにストリーミング配信されており、このたびフィジカル版も先行リリースされた。さらに、〈A24〉が公式プレイリストを公開しており、そこでは(他の既存曲を含めた)作中で使用された楽曲が時系列に沿って並べられている。もちろんサントラをトラックリスト順に聴くのも良いが、ぜひ一度、劇中で使用される順に再生してみてほしい。というのも、人物紹介に始まり、試合前の心象、試合中の場面描写、そして試合後の心象風景に至るまで、一連のナラティブが音楽の中に織り込まれているからだ。

シネフロが奏でる、抒情的でアトモスフェリックなシンセサイザーに加え、ジェームズ・モリソン(Sax)とヌバイア・ガルシア(Sax, Flute)によるウッドの息吹は、無軌道なディレイと、フランジャーやロータリーなどの回転系フィルターで、酩酊しているかのようなサウンドに変貌。それらは、カーの人物説明にあたる「Mark」及び「Mark Ⅱ」での、その繊細な内面や、壊れかけの心、居合わせた子どもに”喧嘩するなよ(Dont fight)”と語りかけるほどに平安な人物像の描写、「Dawn」及び「Dawn Ⅱ」での、試合前の興奮や緊張、恐れなどで揺れる心象や、その言葉通り、彼の内側で起こる変化の兆しを克明に表現している。

最も印象的なのが、試合中に流れる「The Smashing Machine」だ。サンズ・オブ・ケメットのエディ・ヒックと、ブラック・ミディのモーガン・シンプソン、ロンドンのシーンを代表する2人の若手最強ドラマーが、劇中の闘いと同期して乱打戦を繰り広げる。とは言っても、昔のアニメーションのように、打撃に合わせてドラムを叩くようなことはなく、バディ・リッチとマックス・ローチのドラムバトルの如く、2人のファイターの鍔迫り合いを演出する。もしくはジョン・コルトレーンの『Meditations』における、エルヴィン・ジョーンズとラシッド・アリに通じるようなマッドネスとも言えるだろうか。

劇中で相手を殴りつける打撃音は、非常に生々しい音声が用いられているのだが、シネフロはそれに合わせてピアノを叩く。楽曲の中盤でも聴けるそのピアノには、分厚いシマーリーブがかかっており、もはやピアノと認識できないほどであるが、その鈍い音が重たいパンチをより際立たせることとなり、他の映画では感じたことのない残虐性の演出として大きく寄与している。

楽曲の終盤、つまり試合の終わりを意味するが、この瞬間はカーの格闘家人生において決定的なもので、ベニーはここでセンセーショナルなエレキギターを入れ込む想定だったという。だが、シネフロはそれにノーを突きつけ、モジュラーシンセなどを用いた重厚なドローンサウンドを乗せたのであった。

「The Smashing Machine」のドローンサウンドを引き継ぐ「KO」では、許容しきれない感情の軋みを、グリッサンドした不協和音を鳴らすストリングスで表現し、その軋みを落ち着けようと、無意識のうちに虚無に堕ちる様を、足元で蠢くかのようなサブベースで表現している。この曲は、ある種の円環構造を備えているが、それは2ndアルバム『Endlessness』で追求された試みとも地続きであり、”永遠に感じる一瞬”を映し出すシークエンスにおいて結実している。

「The High」はこの劇伴の中で唯一、平穏さを湛えた楽曲と言える。ガルシアとモリソンのサックスで奏でる、エチオジャズの要素を感じる旋律、湖畔に押し寄せる緩やかな波のように指を運ぶシネフロのピアノ、そしてハープの音色が、金色の夕空をバックにしたサウンドスケープへと誘う。

「Grand Prix」は作中、最後の闘いの裏で流れる曲だが、これだけを聴いて勝敗を言い当てられる人はいないだろう。楽曲の構造としては「KO」とほぼ同じで、ストリングスを主体としているのだが、こちらは対照的に協和音で奏でられている。そこには痛みにも似たハーモニーもあれば、あらゆるものから解き放たれたかのような全能感を帯びた響きもある。ナラ・シネフロは、マーク・カーという人物に対し、最初から最後まで”徹底した共感”を音楽で示している。

若き先鋭的な音楽家たちの映画進出

近年はナラ・シネフロのように、若い世代のレフトフィールドな音楽家が、三大映画祭の主要部門にノミネートされるような大作/注目作に携わるケースが増えている。

ダニエル・ブルンバーグ(1990年生まれ)はその筆頭だろう。ヤック(Yuck)というインディロックバンドの中心人物が、『ブルータリスト』でオスカーを受賞すると誰が予想しただろうか。彼は旋律での音楽表現に長け、この点ではこれから挙げる音楽家よりも秀でているし、圧倒的とさえ言えるほどだ。ジョン・ウィリアムズに似たセンスを感じるし、そういう意味で保守的なアカデミー会員にもウケたのかもしれない。

ジャースキン・フェンドリクス(1995年生まれ)は、『哀れなるものたち』以降のヨルゴス・ランティモス監督の奇妙な世界観を音楽で表現し、奇跡的なまでの相性を見せつけ、オスカーの常連となりつつある。彼はキャッチーな旋律をミニマルにも、スペクタクルにも紡ぐことのできる音楽家で、尚且つ、ピッチベンドやディチューンなど、現代的な実験的アプローチのサウンドデザインも魅力だ。ブラック・カントリー・ニュー・ロードなどと交流があるように、ブリクストン・アカデミーを中心とした、ロンドンのエッジーなシーンから出てきた背景を持っている。

シネフロやブルンバーグにも共通して言えることだが、近年の〈A24〉は音楽レーベルにも力を入れ始めているだけあり、若手音楽家の起用に積極的な印象だ。『アース・ママ』の音楽を手掛けているのは、ソランジュとの共演でも知られるケルシー・ルー(1991年生まれ)。彼女の得意とするコントラバスは重厚なドローンとして作用し、『ジョーカー』などのヒドゥル・グドナドッティルからの流れを感じるが、それに加えてメランコリックな旋律と、ドリーミーなムードのオーケストレーションが作品に寄り添う。個人的に、彼女の映画音楽家としてのポテンシャルはかなり大きなものだと思っている。

2月に日本公開となる『センチメンタル・バリュー』は、ポーランド人音楽家のハニャ・ラニ(1990年生まれ)が音楽を担当しており、音楽性としてはシネフロと最も近い。私も昨年、彼女のライブパフォーマンスを体験したが、シーケンスやループ、アルペジエイトなど、マシンコントロールされたシンセやビートの上で、アコースティックピアノとベースラインを奏でていた。規律的な音と即興性のある音、意図的な音と事故的な音、これらが渾然一体となる手法は映画音楽を手がける際にも同様であり、彼女の作家性なのである。

シネフロやルー、ラニは、映画演出における音楽での場面説明や心象表現を、旋律よりも、いかにアンビエントやサウンドデザイン、トラックの構造で表現するかに重きを置いている。無論、とっくの昔からあるアプローチではあるのだが、コンボリューションリバーブの登場以降、近年はAIによる更なる技術進化もあり、残響の表現はより先鋭化を見せており、それを挑戦的に取り入れているのが若い世代の特徴とも言えるだろう。また、立体音響への心得も、映画音楽にとって強力な武器である。彼らのような有望な音楽家が、個人では経験できない巨大な制作の場を若い頃から経験し、そして個人の創作にもフィードバックする。こうした循環こそが、音楽や映画だけでなく、アート全体を推し進めることになるだろう。

ナラ・シネフロ

『The Smashing Machine』

国内盤CD:発売中

輸入版CD/LP:2026年3月13日リリース

詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=15407