
Dos Monosが昨年発表した2作のEPを一つに再構成し、通算5作目のアルバム『Dos Moons (Full Moon)』 として緊急リリースした。ホラー漫画界の巨匠・伊藤潤二のアートワークが目を惹く今作には、ヒップホップクルーを経てロックバンドとなった彼らの現在地が強烈かつ赤裸々に刻まれている。
2024年の前作『Dos Atomos』は、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文が主催する「APPLE VINEGAR -Music Award-」で大賞を受賞。最新作収録の「Oz」でラップしているように、荘子itは映画『万事快調〈オール・グリーンズ〉』で劇伴を手がけるなどトラックメイカー/文筆家としても存在感を発揮し、TaiTanはポッドキャスト/クリエイター界隈の第一人者としてForbes JAPAN最新号の表紙を飾り、没 a.k.a NGSは5 Star Cowboyの一員としても活躍するなど、東京アンダーグラウンドのスターとして煌々と輝いている。
そう書くと絶好調のように映りそうだが、同じ「Oz」で〈解散の危機で緊急会議〉とも歌っているように、Dos Monosは昨年2月に一触即発の大ピンチを迎えていた。2019年にデビューして以来、彼らのキャリアは万事快調とはほど遠く、常に空中分解しかねない緊張感と隣り合わせ。でもだからこそ、どのジャンルやシーンにも収まりきらないインパクトを放ってきたとも言えるだろう。
1月31日(土)には没の主導で、自主企画「Theater D vol.5」を開催。自分たちに絶大な影響を与えたUSオルタナティブヒップホップの二大巨星、billy woodsとBy Stormを深夜の恵比寿リキッドルームに招聘し、Dos Monosはバンドセットで『Dos Moons (Full Moon)』 を完全再現する。
そこで今回、彼らの所属事務所である(株)十六小節でインタビューを実施。中高の同級生でありながらバラバラな価値観で動く3人は、馴れ合うことをよしとせぬ一方、どこかで互いを認め合い、良くも悪くもいびつな運命共同体であり続けようとしている。Dos Monosの今と過去を知るだけでなく、バンド論/組織論としても興味深い内容になったと思う。
「Oz」MVの撮影では、Dos Monosの3人が通った母校の校舎が使われた
今の3人を繋ぎとめるもの
―とりあえず、当面は解散しないってことで大丈夫ですか?
3人:(爆笑)
TaiTan:保留です。いつまでもあると思うな(笑)。
没:マジでそうだね。よぎることはある。でも今は保留です。
荘子it:何か大きな問題を抱えてるわけじゃないよね。日常のいざこざくらいはあるかもしれないけど。
没:そうやって喧嘩できてるほうが、バンドとしては健全だと思うんですよ。最近はみんな普通に意見とか言うようになったし。解散寸前の時はコミュニケーションが一つもない状態だったから。
荘子it:むしろ俺の認識ではみんな意見だけは言ってて、あの頃は曲作りで集まっても、考え方や美学の議論ばかりで何も形にならない感じだった。これじゃ集まってもしょうがないから「じゃあもう辞めるか」となって。
―でも、5年ぶりに居酒屋で話し込んで持ち直したそうですね。
荘子it:そうそう。辞めるつもりで膝を突き合わせたら、最初から「やるしかないよね」っていう合意形成は既にみんなの中で無意識下にされていたことがわかって。場を設けて、そういう経験をしたことによって「色々あるけどやろうよ」と思えるようになりました。

左から没 a.k.a NGS、荘子it、TaiTan(Photo by Mitsuru Nishimura)
―バンドとして死にかけたけど蘇って、そこからはいい感じ?
没:そうですね。初めての全国ツアー(「Tour D」)を組んだら、ちゃんと熱を持ったお客さんたちが来てくれて。
―以前よりたくさんライブをやってますよね。フェスや対バン企画も含めて。
没:俺らはデビューした次の年がコロナだったから、何もわからないままキャリアだけ積んじゃって。やっとコミュニケーションの仕方を覚えてきたというか。そういえばツアー中に、TaiTanが「ライブが楽しくなった」と言ってたよね。
TaiTan:Dos Monosのバンドセットのライブより楽しいものは、少なくとも現存する世の中には存在しない。
3人:(爆笑)
没:「少なくとも」の使い方を間違ってる(笑)。
TaiTan:そこが厄介なんですよね。例えば、今日のインタビューに荘子itが遅刻したけど、その待ち時間とかめっちゃ嫌いなんですよ。「帰りてぇ」と本心から思う。でも、ライブをやってるとおもろいんだよな。メンバーにもずっと伝えているけど、Dos Monosのライブが一番ヤバいと思う。ライブの身体的な悦びが、俺らを繋ぎとめているところはあります。
2026年元旦に出演、「NEW YEAR LIVE AT LIQUIDROOM 2026」の様子を収めたVlog
『Dos Moons』のテーマは「自由と光」
―前作『Dos Atomos』が出るまでには3年かかったけど、『Dos Moons』のEPはそこから1年とスパンが比較的短かった。そこも「ライブが楽しい」って話と関係あります?
没:時系列でいうと、解散寸前の時に『Dos Moons』の1作目を作っていて。あれは気合いで出しました。
荘子it:危機的状況から話し合って「やろうよ」となったから、まずは頑張って作って。その後にツアーを経て、そこで感じた楽しさと勢いに任せて『2』を仕上げた感じです。

Photo by Mitsuru Nishimura
―『Dos Atomos』には〈太陽と原子力〉というコンセプトがあり、そこには2022年にブラック・ミディと廻ったヨーロッパ・ツアーを経て、「日本人であることの意味を再考したい」という思いが反映されていた。『Dos Moons』のナラティブは、自分たちのなかでどのように共有されているんでしょう?
荘子it:僕が作品ごとにステートメントを書くのが恒例になっていて、僕自身、そのときに初めて頭の中をまとめるんです。最初のアルバム『Dos City』(2019年)の時は、「東京にいながら東京のシーンにまったく属していない、もう一つの街に住んでいる」みたいなコンセプトだったけど、いざ海外に出てみれば「日本人だし東京の人間として見られている」という視点を前作で経た。そんなふうに自分たちを規定している〈構造〉の話を一回したうえで、次はそこを出発点として、改めて個々人がどれだけ自由に生きられるか、〈自由〉を一つのテーマにするのがいいんじゃないかと思って『Dos Moons 1』を出しました。
とはいえ、それは僕の中の物語であって、自分の中では綺麗に繋がるけど、他の二人からすると「知らんわ」って感じじゃないですか。だから、テーマとして〈自由〉を掲げたのに、現実は筆が進まないというイビツな状態だったのが『1』だとすると、『2』は……これは僕の楽観的な感触かもしれないけど、TaiTanが言う「身体的快楽」をライブを通じて感じたことで、没とTaiTanの自発的なノリが「KIRA KIRA」みたいな曲に封じ込められていった。 『1』と『2』の間にトラブルもあって少し時間が空いたけど、その時期にツアーを挟んだことで、二人が勝手に楽しんでいるノリ──僕のコンセプトや建前だけじゃない、本当の自由が生まれたのかなと思います。
―『1』の曲は〈太陽〉と対になる〈月〉、もしくは核や原爆など、前作と繋がりのあるモチーフを丁寧に取り上げていますが、『2』の2曲目以降は関係なくなってきますよね。
没: あんまり関係ないです、正直。
荘子it:1曲目(「LETSUGOU」)も、俺がフックで〈月光〉と言ってますけど、そこも韻を踏んでるだけで、TaiTanが言い出した「れつごう」って言葉が始まりだし。そういう意味では、自分のコンセプトを一旦離れて、できるだけ他の二人が勝手にやっていることをDos Monosに取り入れてみようという意識でした。
没:強いて言うなら、『2』は〈光〉がテーマになってますね。ジャケで伊藤潤二さんのアートワークを不遜にも光らせたように。「KIRA KIRA」もそうだし、「LETSUGOU」もある意味で光ってるし。
EP『Dos Moons』『同2』のアートワーク
TaiTan:「光になりたい」みたいな話を没としていて。LINEで、何かのタイミングで……。
没:「光になろうぜ」みたいな。
TaiTan:「光って、めっちゃかっこよくない?」みたいな。だんだんそういうムードに俺もなってきて、それを落とし込みたいなと。もう鬱々としたモードは嫌だ、みたいな。ツアーが終わったあとだったかな。
没:(スマホで調べて)5月11日だね、「Tour D」初日のすぐあと。
TaiTan:(5月9日に)O-EASTでやったあと、「あの時、俺たちは光そのものだったな」みたいな話をしたんだ。
荘子it:二人だけでしたの?
TaiTan:そうそう。二人だけのグループがあって。
荘子it:〈Dos Monos (2)〉みたいなLINEグループがあるの?
TaiTan:いや、〈光〉だね。そこで「俺は光になりたい」「動き続けたら光になれる」みたいな熱い話をして。
没:その時は『2』がこういうふうになるとは意識してなかったけど、結果的にそうなりましたね。
古典的な意味でのソングライティング
―前作『Dos Atomos』は、日本人としての歴史やルーツと誠実に向き合った作品で、あそこまでのスケール感は国内だと珍しいし、率直に素晴らしいなと思いました。かたや『Dos Moons 2』は、自分たち個々人のアイデンティティに向き合っている印象で、「そもそも俺たち、なんでDos Monosやってるんだっけ?」というパーソナルな歌詞が多くなった気がします。なぜそうなったんでしょう?
没:なんでだろう……。やっぱり『Dos Atomos』の時は、 もちろんヨーロッパツアーの経験なんかも反映されてはいるけど、妄想で作っている部分が多かったから。でもその後、ツアーなどで実際にいろんな人と会って、個人レベルでコミュニケーションする機会が多くなったから、以前より「個人のこと」を考えなきゃいけなくなったというか。
―3人で「そういう方向性で行こう」と話し合ったわけではない?
没:してないですね。リリックに関しては、未だにマジですり合わせをしないので。
―例えば「Bikini」という曲は、曲名こそ核実験が行われてきたビキニ環礁に由来しているけど、リリックは途中から荘子itさんの青春時代の話になってますよね。
荘子it:自分としては『Dos Atomos』のテーマを引き継ぎたい気持ちもあったけど、僕一人が言ってるだけでは、あのコンセプトはできないんですよ。二人のノリがついてこないとなると「じゃあ、別の話をした方がいいんだな」となる。僕自身の生涯のテーマとしては、そういうテーマについてもっと勉強したいし、いつか別の形でコンセプトを掘り下げたい。でも、今のDos Monosでまずやるべきは個々人の話だろうと。だから「Bikini」も、ゴジラが生まれたビキニ環礁から流れて行き着いた先の、多摩川の河川敷の話にしました(※荘子itは多摩川河川敷にほど近い大田区の出身)。「まずはそこから始めよう」というのが今のDos Monosですね。
そういう意味では、僕も難しさを感じていました。「シケる」「萎える」みたいなところから、人間ってどんどんやる気を失っていくじゃないですか。今言ってくださったように、『Dos Atomos』みたいに音楽で大きなテーマを扱う人って少ない気がするし、すごく大事なことだと思う。でも、それをやり続けるためには、他にも必要なことがいっぱいあるぞと。
―『Dos Moons』は前作から音楽性を引き継ぎつつ、変化している部分も多いですよね。前作がミクスチャーロック的だと語られたのに対し、今作はもっとプログレやフリージャズに近い音像だと思いました。
没:前作は俺も(トラックの)制作に関わっていたんですけど、今作は原点に立ち返ろうということで、荘子itがまた全部作っていて。荘子itの嗜好がより色濃く出ているんじゃないかな。そこも個人的と言えるのかもしれない。
荘子it:バンドセットでやるようになったので、「この編成のライブでできることをやろう」という発想から生まれた曲が多いですね。『1』は全体的にそうだし、『2』の「Really Free」もそう。ギター、ベース、サックス、生ドラムが入るので、打ち込みの圧縮された音じゃない微細な質感があってこそバンドでは映えるかなと。
一方で『2』に関しては、「LETSUGOU」や「KIRA KIRA」みたいに、改めて3人でライブするときに映える曲も意識的に作りました。その場合は情報量を詰め込みすぎたトラックよりも、ビートとウワモノの役割が綺麗に分担されているほうが映えやすい。それぞれ僕の中ではレイヤーが全然違う感覚ですね。
Photo by Mitsuru Nishimura
―前作にはバトルスを思いきり参照した曲(「BON」)などもありましたが、今作のサウンドはあまり「リファレンス」という感じがしませんでした。
荘子it:僕は最近、鼻歌をボイスレコーダーに入れて、あとでそのフレーズをMIDI化したり、ギターで弾き直したりしながら曲づくりしていて。そういう意味では、具体的に何かをサンプリングすることがなくなってきました。それこそ10年以上前に聴いていたマーズ・ヴォルタっぽさみたいなものが、特定の曲やフレーズを意識しなくても自然と出てくるんですよ。10代や20代前半の頃に聴いていたものが、自分の子供と遊んでいるときの鼻歌に出てきちゃう。もともと浴びてきた音楽の中から、自分が「良い」と思っていた部分を掘り返すような感覚で作っています。
没:今回の制作中、マイク・オールドフィールドとかアイアン・メイデンをめっちゃ聴いてたと言ってなかった?
荘子it:そうだけど、(直接的には)まったく影響を受けてなくて。もともとフランク・ザッパも好きだし、去年のアルバムだとクアデカ(Quadeca)もよく聴いたけど、正直クアデカも(作品そのものは)全然好きじゃないんですよ。 ただ、その人がこれまで聴いてきた音楽を、その人なりのやり方で出すっていうあり方にすごく共感していて。
つやちゃんも言うように最近の音楽は、テクスチャーとバイブスに重きが置かれていますよね。でもマイク・オールドフィールドなんかを聴くと、プログレ的な展開で様々な景色を見せてくれるけど、まったくテクスチャー重視って感じがしない。あくまで古典的な意味でのメロディやリズムが大事で、僕の感覚で言うと文字通りソングライティング、「音楽を書いてる」感じがするというか。最近はそういう作り方をする人が減っていて、ヒップホップでも質感そのものにこだわった曲が多いと思う。それはそれで現代的な魅力だけど、一人の人間が色々聴いてきた音楽を吐き出すとなったら、古典的な意味でのソングライティングというか、摂取してきたものを曲として作り直す作業が僕は好きなんです。
人間関係と政治/美学の話
―収録曲の話もしていくと、「LETSUGOU」はどういう経緯で生まれたんですか?
TaiTan:一昨年くらいから、俺がポッドキャストとかで口癖のように「れつごう」と言ってたら、ライブでお客さんも合唱するようになって。それで俺らも「Let's go」となって。 そういうわかりやすさで立場関係なく繋がれるのってめっちゃいいなと、その時すごく思ったんですよね。
―「LETSUGOU」が初披露されたのは去年8月、Spotify O-nestで開催された全国ツアーの追加公演でしたよね。この曲を作ろうと言い出したのは誰?
荘子it:僕です。「今のツアーの流れで、すごく勢いのある曲が作れそうだわ」とだけ事前に伝えて、蓋を開けたら「LETSUGOU」というタイトルだったみたいな(笑)。最初のフックや僕のファーストヴァースの叩き台を書いた状態で二人に共有しました。演劇を観ている2時間のあいだに、頭の中に歌詞とトラックのイメージがどんどん出てきて。
没:マジで5月のツアー中に、速攻でデモが来ましたね。
Dos Monos、1曲目から新曲レツゴーで超絶盛り上げてその後も異常熱気でフロアの温度が大変なことになってた。nestだから密度も熱量も半端ないし日本で今一番ヤバいライブやってる可能性ある。帰りのお客さんがみんな汗だく笑
↓せっかくなので新曲フルで撮影してみた pic.twitter.com/4ta4m9YU30 — 小熊俊哉 (@kitikuma3) August 30, 2025 「LETSUGOU」初披露の様子(筆者撮影)
―「LETSUGOU」という曲を制作中と知って、TaiTanさんはどう思いました?
TaiTan:最初はちょっと危ういなと思いました (苦笑)。自然発生したスラングをあえてラベリングするのは、ある種の魔法を解く行為になりかねないので。あと、最初に荘子itから送られてきた歌詞に〈参政党〉とか入っていて……。
荘子it:それは「Really Free」だね。
TaiTan:違うか、あれだ。〈俺ら中高ボンボン〉だ。これをそのまま行くのは違うかも、みたいな話をした気がします。俺の思う「れつごう」とは違うなと。
没:そういう細かい修正はありましたね。多くの人に開かれた曲にしたかったのもあるし、ライブでお客さんが大手を振って「れつごう!」って叫べる曲があるのはいいと思う。
去年8月、Spotify O-nestで開催された全国ツアー「Tour D」追加公演にて(Photo by Hiroto Hayashi)
―話の流れで、「Really Free」はどういう背景で作られた曲でしょう?
荘子it:他の曲では「レッツゴー」「キラキラ」とか言ってますけど、現状の世の中は……それこそ二人が「鬱々としたムードはもうええわ」と言いたくなるくらい、普通に生きていたら鬱々とするような状況じゃないですか。だからそういう要素のある曲も作りたくて、前半のビートはおどろおどろしいけど、後半はそのテンションのままハイに振り切っていく曲にしようと。 そこで今の暗い状況を歌おうと思って、「参政党が躍進」みたいな言葉を入れたら、そこは二人が嫌がったのですぐに直しました。
―3人で政治的な話もしたりするんですか?
没:しますよ。
TaiTan:ちょくちょくしますね。
荘子it:僕が『Dos Atomos』のコンセプトを単語レベルで説明したとき、TaiTanから「右傾化してるんじゃない?」と言われて、「いや、そういうことじゃないんだよ」って説明したりして。しっかりコミュニケーションを取らないと、メンバー同士ですら緊張が走るんだなと。ちゃんと言葉を尽くさないと「こいつ、もしかして……」って誤解されかねない。
でも、そういう緊張感がない表現って意味がないと思うんですよね。リベラルな人が喜ぶことをリベラルな人が言っても、もしくは保守の人がその方面を喜ばせることだけを言っても、その言葉は界隈のなかでしか回らないからあまり意味がない。それよりは近しい仲間でも緊張が走るけど、きちんと話したら「なるほど」となるのがいい表現だと思う。
『Dos Atomos』はそういう意味でもリスキーな作品で、核や原子力をテーマに扱うことについて家族からも説明を求められたりして。子育てもあって精神的にしんどい時期に、しんどい作品づくりをしてかなり消耗したんですよね。それで『Dos Moons』が個人的な方向に進んだというのもあるかもしれないです。
TaiTan:あとは「何を達成したいか」という感覚が、3人で若干違うんだと思います。僕は現実に作用できること、現実に人が踊ることそのものが好き。 だからこそ、「LETSUGOU」でその空間がカーニバルになる感覚を信じたい。あとは普通にお金の話も好きで、「それめっちゃ稼げそうじゃん」みたいな話もちゃんとしたい人間なんです。
俺はかなり身勝手で、俺が楽しいことをやるのが一番大事。そうすれば必然的にオーディエンスも集まるだろうし、副次的に経済や新しい展開を生んでいくはず。実際にそうやって活動の自由を享受してきましたし、そういうリアリティもこの世にはあると伝えたい。 まあ、いつもこういう話から(3人が)美学論争になってしまうわけですけど。
―必ずしも3人の価値観が噛み合うわけではないと。TaiTanさんは身体的・快楽的、かたや荘子itさんは哲学的・観念的みたいな。
荘子it:いや、俺も同じことを目指しているはずなんですよ。でも俺の感覚では、それだけだと人はやがて本気で踊れなくなるから……。
TaiTan:それもわかるんだけど、ステップバイステップだと思うんだよね。没が最近「TaiTanが一番ラッパーっぽい」ってよく言うんですけど、俺は現実に寄与しないものがめっちゃ嫌いなんですよ。衒学的なものがあってもいいと思うし、そういうのも好きだけど、自分が関与するものが記号ゲームになっていくのは時間の無駄だと思ってしまう。
没:目指しているものが違うというより、アウトプットの仕方が違うんだよね。
荘子it:3人それぞれの目線があるし、TaiTanが言うように「今何をやるべきか」という認識もそれぞれ違う。誰がリアルでフェイクかって話じゃなく、3人とも違うレイヤーで現実を見ているわけですよね。そこで補い合って共闘できればいいんだけど、議論になると……。
没:危ういね。
TaiTan:政治の話よりも、よっぽど美学の話のほうが人間関係は危うくなると思う。
没:本当はそういう話を、ビートの上でやった方がいいんだろうけどね。ラップならそこで誰が何を言っていても成立するし。
TaiTan:少なくとも俺はそういう感覚でやっている。主題に必ずしも沿わないというか。
没:たしかに、TaiTanが一番早く抜けていった感じがする。俺はまだ「Dos Monosにおける自分」を意識しちゃって、俳優みたいに演じている部分があるけど。
すべてがキラキラしていた毎日
―「既存のDos Monosらしさから抜け出す」という意味でも、「KIRA KIRA」は象徴的な曲ですよね。
没:そうですね、荘子itが参加してないし。
TaiTan:あそこのブース(事務所内のスタジオ)で、没と二人で遊びながら歌詞を書いたんですよね。そうやってフリースタイルしてたら、俺の鼻歌から〈すべてがキラキラしていた毎日〉が出てきて「めっちゃいいじゃん」って。
没:ついて出た感じだったよね。「Lee Merlin」の〈生きてるだけで満額査定〉もそうだった。二人だけでブースに入っていたら自然に出てきて。
TaiTan:そういうエネルギーを俺はレップしたいし、俺にはレップする権利があると思っていたい。

(株)十六小節の中にあるスタジオで撮影(Photo by Mitsuru Nishimura)
―じゃあ、ほぼ二人で完成させたわけですか。
没:そうっすね。歌詞は1時間ちょいで完成しました。
荘子it:ビートは『Dos Moons 1』の制作中からあったけど、ずっと手つかずで。それが急に息を吹き返したよね。
TaiTan:ここに荘子it(のラップ)が入っても全然よかったけど。
荘子it:いつものプロセスなら最後に俺も参加するけど、この曲は「もうこれでいいかな」って。そこは俺の判断で。
―さらに、二人でイチャイチャしているだけのミュージックビデオまで制作して。
TaiTan:あれこそ1時間で撮ったよね。六本木でデートしているだけ。
没:まだ20歳くらいの映像作家、Higurashiくんを呼び出して。
TaiTan:こんなふうに、これからはMVもVlogみたいになっていくんじゃないですかね。
―これまた青春時代のノスタルジーを歌った曲ですが、リリックにもあるように、本当にキング・クリムゾンを並んで歌ってたんですか?
没:歌ってました(笑)。最近はNumber_iのプロデュースとかしているMONJOEの家に、みんなでよく集まっていて。この二人(荘子itとTaiTan)はMONJOEとバンドをやってたので。「21世紀のスキッツォイド・マン」を猫の鳴き声っぽく真似して歌う、みたいなことをよくやってました。「ニャー、ニャニャニャ」みたいな感じで。
荘子it:「Burn」のMVを撮ってくれた岩崎(裕介)監督もいてね。

没 a.k.a NGS(Photo by Mitsuru Nishimura)
―TaiTanさんは〈Iwskはいつも勘定を誤魔化していたし/Monjoeの婆さんは俺の前で泣いちゃったけど〉とラップしてますが。
TaiTan:それも本当の話(笑)。岩崎は酒を呑まないから、大学時代にいつも割り勘でちょっと少なめに出してたなとか。MONJOEは俺と同じ大学を目指していたけど、俺は合格してあいつだけ落ちて。その合格発表があった日、たまたまMONJOEの家に行ったら、あいつは落ち込んで部屋に引っ込んでて。そしたら婆ちゃんが「彼を慰めるために来てくれたのね」って泣き出したんです。そんなつもりなかったんだけど。
荘子it:なんの話だよ(笑)。
TaiTan:そのすべてが〈キラキラしていた毎日〉ってことだね。
荘子it:話の実態は何もエモくないんだけど、思い出すと全部がキラキラしているみたいなね。海もそうだよね。キラキラしているのはゴミだから。
TaiTan:そういうことを全員で合唱できたほうが、俺は幸せ。
没:この曲、俺とTaiTanのどっちも岩崎とMONJOEの話をしてるんだよね。もっ家(MONJOEの家)にとにかくずっといたから。yahyelもあそこで結成されてたし。
TaiTan:俺たちのアイデンティティはそこにあったはずだし、そういうものを開示せずに活動するのは難しいというか。それ以外の言葉のあり方に、もう俺は関心がない。

TaiTan(Photo by Mitsuru Nishimura)
―そう考えると、荘子itさんが青春時代を歌った「Bikini」は……。
TaiTan:絶対「KIRA KIRA」にインスパイアされてるよね。だけど別の曲で一人でやってる(笑)。その切なさが面白いというか。
荘子it:しかも俺のはそういう人間関係じゃなくて、モノの話ばっかりしてるんですよね。一人で餃子とかトンカツ食ってシネコンで映画を観たとか、地元の河川敷で濱口竜介や庵野秀明が映画を撮ってたみたいな話とか。
―これまでの記号的な表現とは違う形で、3人のエモさや素の部分を共有し合っていると。
TaiTan:単なるノスタルジーもあるけど、俺としては「今ここにいる現実の自分は、そういう過去を通過してきた体なんだ」っていうことを見せたいんです。自分も当たり前に普通の人間だったんですよ、という部分でオーディエンスと繋がりたいんですよね。
荘子it:自分も『Oz』のリリックで初めてやりましたけど、一回そうやって過去を洗いざらい歌詞にするっていうのは、Dos Monosにとっての新しいステップかなと。

荘子it(Photo by Mitsuru Nishimura)
どこにも属せない3人の決意
―没さんが「Theater D vol.5」に向けて公開したステートメントも、過去があるからこそ今があるというリアルな決意表明だと感じました。TaiTanさんもポッドキャスト・奇奇怪怪の「没くんの話」で感動したと話してましたね。
TaiTan:あの回は名作ですよ。俺は没に対して「伝わってないよ」というフラストレーションがずっとあったんです。多くを語らずに届けるクールさも十分に知っているけど、現実主義者の僕からすれば、伝わってなければ何も起こっていないのと一緒だと思うので。そこで意固地になって状況が打開できないのであれば、そのほうがよっぽど惨めじゃないかって。でも20年来の付き合いで、没が初めて「本当の気持ち」めいたものを世の中に出すという、ある意味一番恥ずかしいことをやってくれた。友達として純粋に嬉しかったですね。
没:俺は音楽を通じてファンタジーを作りたいタイプで、基本的には音楽だけ作っていたい人間なんですけど、今回はやらなきゃと思って。そもそもこれまで、俺がDos Monosの活動で何かを背負うことってほぼなかったけど、背負う以上はやるかって。今までのDos Monosを全部振り返りながら書きました。

―そこにもあるように、Dos Monosはデビュー当初からどこにも属せないグループであり続けてますよね。自分たちの立ち位置を特異たらしめているのは何だと思いますか?
荘子it:この3人で始めた時点で、必然的に変なことになるのは目に見えていたというか(笑)。絶対に食い違うし、「みんな違ってみんないい」みたいな生ぬるいマインドでもない。 でもそれによって、特定の色に染まらないということを担保し続けているのかなって。そういうグループはいくらでもいるようで、意外といない気がします。
没:俺らはミュージシャンじゃないんですよ。 日本だと音楽は「ちゃんと音楽ができる人がやるもの」という意識が強いし、聴く側もそれを求めている気がする。でも、そうじゃない奴らが無理やり音楽をやっているところが唯一無二だと思うし、それである程度受け入れられているグループは他にいない気がする。アメリカとか海外にはそういう土壌があると思うけど、もっと日本でも享受されるようになってほしいですね。ヒップホップも最初に出てきたときは、楽器ができない人間が無理やり音楽を作ってたわけだし。
TaiTan:ミュージシャンでありたいというよりは、Dos Monosというプロジェクトをやりたい。「Dos Monos的な存在があり得る」という新しい現実を作りたいんですよね。それを実現するためには、目の前にある現実を食い破らなければいけない。そのための強さを求め続けてきたという感じですね。

Photo by Mitsuru Nishimura
―そんなDos Monosが共鳴したのが、ブラック・ミディやInjury Reserve(現・By Storm)といった海外のカルトヒーローだったわけですよね。前者の創設メンバーであるマット・クワシニエフスキ=ケルヴィンは残念ながら先日亡くなってしまいましたが。
没:マットがあのバンドで一番「無理やり音楽をやる」部分を担っていたと思うんですよ。突然iPhoneでヒップホップを流したり……結局、全然話せなかったけど。
荘子it:1stから(マット脱退後の)2ndで音楽性がだいぶ変わったもんね。
没:ブラック・ミディは本当にレベチだと思いますね。音楽性も超高度なのに、Dos Monosみたいな存在を面白がってくれる。日本にもそういう人が出てきてほしいです。
―今回、billy woodsとBy Stormを数百万円のリスクを背負ってまで呼ぶことにした理由も改めて聞かせてください。
没:配信で聴くだけじゃわからない、直接ぶち喰らわないとわからないかっこよさが絶対にある。メチャクチャかっこいい音楽をやっている人を実際に観てもらうことで、日本に還元したかったというか。
荘子it:実際にライブで彼らのパフォーマンスを観れば、音楽のコンテクストに詳しくない人でも絶対に食らうものがあるはず。そこからDos Monosと通じ合うものを感じ取ってもらえると思います。
billy woods:濃密な詩の世界と強力なラップ、実験的なサウンドで知られるNY拠点のラッパー。盟友ELUCIDとのユニット・Armand Hammerでも精力的に活動
By Storm:Dos Monosとの共作曲もあるアリゾナの実験的ラップトリオ・Injury Reserveが、メンバーのStepa J Groggsの逝去にともない改名。イベント前日1月30日にリリースされるデビューアルバム『My Ghosts Go Ghost』にはbilly woodsが客演
―深夜イベントと聞いて躊躇する人もいそうだけど、この記事をここまで読んだ人には、土曜の夜だし頑張れば来れるだろうって伝えたいです。
荘子it:1時間仮眠すれば余裕ですよね。
没:俺も荘子itも、深夜イベントで海外アーティストを観て人生が変わったので。セオ・パリッシュやフライング・ロータスを生で観て「音楽をやりたい」って思うようになったし。間違いなくそれと同じか、超えるくらいのものを用意しているので来てほしいです。
Dos Monos「Gilda」ライブ映像、2025年5月9日「Tour D」東京・渋谷Spotify O-EASTにて

Dos Monos presents「Theater D vol.5」
2026年1月31日(土)東京都 LIQUIDROOM / LIQUID LOFT
OPEN 23:30 / CLOSE 5:00
出演:Dos Monos(Band Set)/ billy woods / By Storm / BBBBBBB / bringlife / Karavi Roushi / Killer Bong / ~離
チケット詳細:https://eplus.jp/sf/detail/4437260001-P0030001

Dos Monos
『Dos Moons (Full Moon)』
配信URL:https://linkco.re/6MXxuBCq

ツタロックフェス2026
2026年3月20日(金祝)・21日(土)・22日(日)
幕張メッセ国際展示場4・5・6・7ホール
※Dos Monosは3月20日(金祝)出演


