
フォーミュラ1エンジニアたちが完璧なスーパーカーを理詰めで追求したとしたらどのようなものが生まれるか。それがホンダNSX-Rである。
【画像】端正なルックスにホンダの先進技術とF1計画からのフィードバックが詰め込まれたNSX(写真3点)
レーシングドライバーと白いソックスの関係は?と突然問われてもとまどうばかりかもしれないが、皆さんは『Faszination auf dem Nurburgring』というPR動画をご存知だろうか。テストドライバーのステファン・ローザが、ルーフCTR通称”イエローバード”をニュルブルクリンク北コースで縦横無尽に振り回す映像である。走行シーンのビデオとしては最高のものではないだろうか。463bhpを誇る鮮やかな黄色の911があらゆるコーナーでタイヤスモークをまき散らす姿はロックンロールそのものだ。ローザはヘリコプターに搭載したカメラに向かって、とんでもない角度でドリフトして見せるのだが、それ以上に信じられないのは室内の映像だ。ごく普通のTシャツをまるで無頓着に着たローザの足はペダルの上を踊っているが、その足元は白い靴下にお洒落なスリッポン・ローファーなのである。
もうひとつお気に入りのビデオクリップは、1992年のNSX-Rの発表に際して、F1のスター、アイルトン・セナが鈴鹿サーキットを走ったものである。タイヤスモークとともにピットを飛び出し(今では許されないことだが)、特別なホンダ車を思い切り走らせる彼の足元(それほど激しい”セナ足”ではなかったが)を捉えたオンボードカメラには、やはり白いソックスと茶色のスリッポン・ローファーが映っている。
最後のマイベスト・ビデオクリップも「R」バッジのついたホンダ車、シビック・タイプRのものだ。イタリアのF1ドライバー、リカルド・パトレーゼが妻のフランチェスカを隣に乗せて、スペインのへレス・サーキットでホットラップを見せた時のものだ。パトレーゼは妻を怒らせるほど猛スピードで走りながら、下ろし立ての白いホンダのシャツを着た彼自身は、コーヒーを飲んでいるかのように気楽に運転している。正直に言うとその足元は確かではないが、白いソックスを履いていたと信じたい。
ホンダとマクラーレン
ホンダとマクラーレンは1988年からパートナーとしてF1選手権に参戦、その最初のシーズンに全16戦中15勝という空前の成績を残した。その当時ゴードン・マーレイはテクニカル・ダイレクターを務めていたが、80年代後半にはマクラーレン・ロードカー開発のほうに仕事の比重を移していた。彼の目標は真のスーパーカーだったが、それはいわば偽装したレーシングカーではなく、本当の”ロードゴーイング”スーパーカーでなければならないと心に決めていた。彼はまず、ポルシェ959やブガッティEB110、フェラーリF40やジャガーXJ220といった当時のスーパーカーを研究したが、どれもコンパクトでドライバーにとって扱いやすいという要求を満たすものではなかった。ポルシェ911はかなり目標に近かったが、マーレイはリアエンジンゆえのそのハンドリング性能には納得していなかった。
マクラーレン・ホンダの黄金時代、マーレイはアイルトン・セナとともにホンダの栃木研究所を訪ねたことがあった。「偶然にも、NSXのプロトタイプがテストコースの近くに停まっていた。アイルトンがNSXの開発を手伝っていることも、ホンダのミドシップ・スポーツカーが我々の目指すドライバー・フレンドリーなスーパーカーであることも知っていた。その車は完璧なエアコンディショナーと実用的なラゲージスペース、そしてもちろんホンダであるからには高い品質と信頼性が備わっていた。NSXを運転した瞬間に、他のベンチマークは頭の中から消えてしまった」
NSXがマーレイ自身のスーパーカー、すなわちパウル・ロシェ設計のBMWV12エンジンを積んだはるかに強力なマクラーレンF1ロードカーの開発に影響を与えたことは疑う余地はない。マーレイはNSXの先進技術、つまりオールアルミニウム・ボディとサスペンション・レイアウトに注目していた。NSXのシャシーならばもっとパワフルなエンジンにも容易に対応できるし、控えめなスタイルにももう少し手を加えられるというのが彼の見立てだった。また、マーレイは自身のロードカー用にホンダV12の供給を熱望したという。
NSXのプロダクション・プロトタイプは、チーフデザイナーである中野正人の指揮の下で開発されたが、彼はその際、チームメンバーに自分たちのやり方で、信頼性と手ごろな価格を実現しながらフェラーリ328を打ち負かすのだと鼓舞したという。目指す性能を考慮して、2リッターエンジンは2977㏄のC30A型DOHC24バルブのV6エンジンに換装された。VTECと称する可変バルブタイミング機構を搭載したそのエンジンは280ps/7300rpmと30kgm/5400rpmを生み出していた(訳注:280psは日本の自主規制によって定められた最高出力値)。可動部分重量の削減と強度のためにチタン合金製のコンロッドが採用され、エンジンのレブリミットは+700rpmの8300rpmまで引き上げられた。
実のところVTECシステムは開発の終盤で導入されたものだ。ハッチバックのインテグラに既に採用しているのに、F1でも勝ちまくっているホンダが造るフラッグシップ・スポーツカーに搭載されていないのはなぜかと開発スタッフが疑問を呈したことがきっかけだったという。その声を聞いた川本社長が即断。ホンダは6ボルトのメインキャップを持つ新しいシリンダーブロックと、複雑なVTEC(Variable Valve Timing and Lift Electronic Control)メカニズムを収められる大型のシリンダーヘッドを開発した。ただし開発の最終段階でのエンジン変更によって、新しいC30A型エンジンは、もともとVTECなしのユニット用に作られたNSXのエンジンルームに搭載するには大きすぎることが判明。結局後方に5度傾けて搭載されることになった。
いっぽうエクステリアデザインは、F16ジェット戦闘機のコクピットを参考にして作業が進められていた。いわゆるキャブフォワードのレイアウトは良好な視界を生み出し、長いテールは高速での直進安定性を向上させる役目を果たしていた。
こうして誕生したのが「New Sportscare Xperimental」、すなわちNSXである。1991年に発売(註:日本や北米では1990年)されたNSXは、ホンダの先進技術とF1計画からのフィードバックを詰め込んだショーケースだった。
・・・後編へ続く。
編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA
Words:Robert Coucher Photography:Drew Gibson