「E30 M3にビッグシックス」これぞ、完璧プラスアルファ!|アルピナB6 3.5S

抜群の人気を誇るE30型M3だが、足りないものがあるとすればそれはビッグシックスと夢見る人は多い。それを実現したのがアルピナである。その希少な作品を『Octane』が試した。

【画像】ベストな組み合わせとはまさにこのこと!? あらためて、アルピナB6 3.5Sの魅力に注目(写真9点)

古来中国では陰と陽という互いに対立し、同時に補い合うふたつの力が常に相互に作用し、全体としてより大きくダイナミックな世界を形作ると考えられてきた。同様のことはE30型3シリーズについても言えるのではないだろうか。

オリジナルM3にビッグシックス

M3を賛美する人たちはそのバランスと叫ぶようなS14型4気筒エンジンを美点として挙げるが、一方で批判的な人は、どこでもスティーブ・ソーパーのように運転できるなら別だが、そうでない場合は驚くほどでもないと指摘する(訳注:ソーパーは英国のレーシング・ドライバー。BMWシュニッアーチームから全日本ツーリングカー選手権に出場。95年には3勝して年間チャンピオンを獲得)。

それに比べて325iに搭載されたM20型ストレートシックスのクリーミーで豊かなトルクとレスポンスこそ、現在に至るまで小型スポーツサルーンの代名詞と言われる車により相応しいのではないかと考える人もいる。さらにまた、時代遅れのリア・サスペンションとスローなステアリングは擦り切れたクリスマスの飾りのように色褪せているという意見もある。だが、それらの中からベストな部分だけを組み合わせることができたならどうだろう? それがアルピナB6 3.5Sである。

もちろんE30型 M3がこれほどもてはやされる理由は明らかだ。国際的なモータースポーツの世界で、しかもたぶんその黄金期に突出した存在だったからだ。1960年代を賛美する人も多いが、レースはまだそれほど身近なものではなかった。1980年代になると自動車メーカーはとてつもない予算を注ぎ込んでその成果を得ようとした。グループBはその象徴と言えるかもしれないが、グループAはより多くの競技者を必要とした。グループBは200台のロードゴーイングモデルの生産が必要だったが、グループAの場合は5000台を売らなければならなかったのである。

初代M3の生産期間を考えると、それはまったく無理な注文と思われた。実際の車はといえば、張り出したフェンダーとフロントのスプリッター、それにリアウィングが明らかな特徴だった。だがより細かく見れば、Cピラーとリアウィンドウの角度が寝かされており、トランクリッドも40mm高くなっていることに気づくはずだ。これらはグラスファイバー製でより良いエアロダイナミクスを実現するためのものだ。さらにウィンドスクリーンもゴム製シールではなく接着剤で取り付けられている。

マクファーソン・ストラットとセミトレーリングアームのサスペンション形式は他の標準型E30と共通だが、専用のステアリングラック(19:1)は325iのドライバーが夢見たクイックなタイプである。M部門は3度にわたってフロントのキャスターも増やし、リアのセミトレーリングアームは15°に設定された上に、スプリングとダンパー(フロントにはツインチューブの油圧ダンパーを採用)を強化しスタビライザーも変更して車高を下げた。

その結果として、M3レーシングカーは世界各地のチャンピオンシップを総なめにしたのである。しかしながらロードカーのS14エンジンのパワーは100bhpほど低かった。今運転してみると、他のグループAホモロゲーションスペシャルと同様に、いささか失望するのではないだろうか。何しろ5000rpm以下ではあまりドラマチックなことは起きないのだ。実際のところ、M3が輝くのはドライバーが激しく鞭を入れる時だけであり、そうでない時は非常に高価でやかましい4気筒BMWに過ぎない。

そこで別の考え方がある。ミュンヘンからA96号線を70kmほど西に下ると、ブッフローエという小さな街があり、そこでアルピナがB6という3シリーズベースの特別な車を生み出していたのである。

M3に優るハンドリング

1986年にM3が発表される2年前、アルピナは当時635CSiと535i、そして735iに搭載されていたM30B34型3.5.直列6気筒をベースに独自のユニットをハンドビルドしていた。すなわち、アルピナ設計のカムシャフト、バルブ、シリンダーポート、マーレ製ピストンと長いコンロッド、プログラムし直したボッシュ・モトロニックECUを採用。圧縮比も10:1に引き上げられた結果、261bhpと237lb-ft(321Nm)にパワーアップを果たしていた。触媒コンバーター付きのB6 3.5Sは254bhpに若干パワーダウンしていたが、それでもM3の200bhp、さらには325iの170bhpとはまったく比較にならなかった。

弟のフローリアンとともに現在のアルピナを率いるアンドレアス・ボーフェンジーペンは、当時大学を卒業したてで、ミシュランがスポンサーについた明るいグリーンのM3でDTMに参加していた。「本当にたくさんの顧客がM3を話題にしていた。M3は素晴らしい車で、BMW史上最高のハンドリングマシーンだと思う」と彼は言う。「ただし、エンジン・パワーのせいで素晴らしいシャシーの実力を存分に引き出せてはいなかった」

M3シャシーにB6のパワートレーンを組み合わせたB6 3.5Sは1988年に報道陣にお披露目され、その一年後に正式に発表された。

アルピナがMモデルに挑む姿はもはや見られない。ご存知の通り、アルピナ・ブランドは来年からBMWに吸収されることになっており、ボーフェンジーペン・ファミリーはアルピナ・クラシックを軸にしたビジネスを手掛けることになる。「あの当時、BMWモータースポーツはレースに集中していた。ロードカーを売ることも大切だが、あくまでモータースポーツでの成功が第一だった」とアンドレアスは語る。BMWはレーシングカーのホモロゲーションを取得するために、単純に5000台のM3を売らなければならず、それは4気筒搭載のコンパクトBMWとしてはとても実現できない数字と見られていた。それゆえM部門は買ってくれるなら誰でもどこにでも喜んでM3を販売した。アルピナはただM3を買ってブッフローエに運び、手作業でコンバージョンを行ったのである。

そこでは、より硬いフロントスプリング(エアコン装備のM3用)に交換、最終減速比を3.25から2.79に変更するなどの作業が行われたが、あくまでエンジンが中心で、他には細かな装備類が変更された程度だった。ハンドリングでその名が轟くM3の鼻先に2気筒分の40kgを加えたらどうなってしまうのか。その点こそ、レストアラーのミューニック・レジェンズの近くの、イースト・サセックスロードに向けて走り出した時に私の頭の中を占めていたことだった。

杞憂というのはまさにこういうことだ。まったく心配する必要はなく、しかもきわめて文化的だった。M3譲りのゲトラーク製5段ギアボックスは明確に引っ掛かり気味で、ゆっくり丁寧に操作する必要があったが、ビッグシックスの広いトルクバンドのおかげで予想よりずっと従順で柔軟、シフトダウンを考えなくても逞しく加速する。だがそんな楽をするためにここにいるわけではない。即応するレスポンス、リニアに溢れ出すパワーもさることながら、回転計の針がリミットの6750rpmに上り詰めるにつれて胸が躍るような唸りもアルピナ・ユニットの特長だ。しかし254bhpのピークパワーがこの車の真価ではない。それはトルクだ。そしてそれこそM3に欠けているものだ。

M部門製E30は相対的にやや貧弱な173lb-ft(234Nm)/4750rpmを生み出すが、B6Sは4000rpmで237lb-ftである。紙の上ではさほど大きな差ではないように見えるが、実際には大違いだ。中間加速は4速の60~80mphが5.7秒、70~90mphも同一だ。0-60mph加速は6.6秒、一部の雑誌のロードテスターは6秒ちょうどを記録したというが、だとしたらそれはフェラーリ・テスタロッサと同タイムである。

アウトバーンでの覇権のために作られたアルピナであるからには、大トルクを生かした逞しい直線加速はさほど驚きではない。目を見開いたのはB6SがスタンダードのM3よりも優れたハンドリングを備えていることだ。ひとつにはM3スポーツ・エヴォリューションと同じ225/45サイズのタイヤの効果だろう。標準型M3は205/55である。ターンインは鋭く、アンダーステアのわずかな気配は感じるが、リアアクスルに活を入れる大トルクと25%ファクターのLSDのおかげでノーズを引き戻すのは容易である。

ドライバーに自信を与えてくれる源泉は素晴らしいステアリングとそこからのフィードバックである。おかげでストレートシックスのパワーをいつでも解放できる余裕が生まれる。ギアリングは驚くほどワイドで、2速で70mph(113km/h)、3速では93mph(150km/h)まで引っ張ることができるから、ステアリングホイールだけに集中すればいい。これがM3ならば、S14ユニットを高回転に保つためにゲトラーク・ギアボックスと格闘しなければならないだろう。

快適に5時間でハンブルクからミュンヘンへ

後日アンドレアスと話したところ、まさにそれがこのプロジェクトの狙いだったという。

「当時の他の高性能車とは違うのは、速く走っても手に汗を握らないで済むということだ。緊張を強いる車ではなかった」と彼は振り返った。「我々は、仮に後輪が滑り出しても、それはスムーズに推移しなければならないと考えていた。2km速く、だが突然リアのグリップを失うのではなく、わずかに遅くてもスムーズであることが重要だ。ハンブルクを朝 6時に出発して、リラックスしながら250km/hかそれ以上で走って5時間後にはミュンヘンに着く。そういう車が理想だった。150km/hで5速に入れたらB6Sではもうシフトダウンの必要がない。エンジンは十分すぎるほどのトルクがあるからただ加速すればいいんだ」

アルピナ・カラーをまとった逞しいボディワークにもかかわらず、B6Sは当時のもっと派手な高性能車に比べればあまり人目を引くことはなかった。911やフェラーリは結局、限界付近ではリスキーな車であり、B6Sは同等の速さを持つばかりでなく、バランスではそれらを上回っていたのである。

アンドレアスは今も鮮明に覚えているアウトバーンでの経験があるという。

「911が私の乗るB6Sに追いついてきた。ちょうど前の車につかえてちょっとスピードを落としたのだが、彼はインジケーターを点けて、何と言うか勝負を仕掛けて来た」と彼は微笑しながら語った。「高速コーナーに差し掛かったところで、ステアリングと格闘している911を引き離した。彼はこんな車が250km/h以上出るとは思いもしなかったんだろうね。勝ち目がありそうな車にも見えなかった。だが実際にはより長いホイールベースとサスペンション・レイアウトのおかげで

速く走ることができた」

ミューニック・レジェンズへの帰路で考えた。この車は明らかにこれまでで最高のE30である。20世紀のBMWとして最も魅力的なE28 M5と同レベルだろう。M3が苦手な領域でもパワフルで、かつハンドリングは2000年代のMモデルと同等以上にシャープである。おそらくCSとCSL仕様のE46 M3、さらにはZ4Mだけが、このような6気筒のパワーの奔流と繊細なフィードバックを併せ持つと言える。

残念なのはわずか62台しか製造されていないことだ。手に入れるにはもはや25万ポンド近い金額が必要と思われる。この車はまた、アルピナのあるシリーズの最後のモデルでもある。Z1ベースのRLEとE34 B10ビターボ以降、1990年代からアルピナはラグジュアリーを旨としてきた。高性能チューニングパーツでスタートし、ツーリングカーレースにおけるBMWの最初の成功(まだMが存在する前だ)を勝ち取ったにもかかわらず、である。

「E30を除けば、より優れたM3やM5を作ろうと思ったことはない。最もラグジュアリーなBMWであることを常に目指してきた」とアンドレアスは語る。「それが私たちの場所だ」

まったく筋の通った話だが、それでもアルピナがミュンヘンに吸収される前に、ちょっとした無理を言いたい。M2をベースにした現代のB6 3.5Sは、非現実的かもしれないが魅力的なアイディアではないだろうか。あの当時、BMWはアルピナのプロジェクトを注意深く観察しており、それどころか自分たち自身で同じような計画を実行した。数年の後、BMWMは最初の6気筒M3であるE36型M3を発表。それ以降、V8エンジンのE90世代を除いて、ターボ化されてもずっと6気筒にこだわってきている。より良い調和を目指して互いに働きかける陰と陽とはこういうものではないだろうか。アルピナとBMW M、そしてB6 3.5Sに改めて目を向けて欲しい。

1989年アルピナB6 3.5S(触媒付き)

エンジン:3430㏄ OHC直列 6気筒 ボッシュ・モトロニックⅡ燃料噴射 最高出力:245bhp/5900rpm

最大トルク:237lb-ft(321Nm)/4000rpm トランスミッション:5段MT、後輪駆動 ステアリング:ラック&ピニオン、パワーアシスト

サスペンション(前):マクファーソン・ストラット プログレッシブレート・コイルスプリング、ビルシュタイン・ガスダンパー、スタビライザー

サスペンション(後):セミトレーリングアーム プログレッシブ・ミニブロックスプリング、ビルシュタイン・ガスダンパー

ブレーキ(前/後):ベンチレーテッドディスク/ディスク 車重:1320kg 性能:最高速度156mph(251km/h)/0-60mph加速6.6秒

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA

Words:Nathan Chadwick Photography:Jayson Fong

THANKS TO Munich Legends, munichlegends.co.uk, where this car is for sale.