
かつてトゥーリングのスーパーレッジェーラ工法で造られたマセラティ3500GTが、特別なレストアを受けた。生まれ故郷のカロッツェリアへ戻り、そこで甦ったのだ。
【画像】カロッツェリア・トゥーリング・スーパーレッジェーラの熟練職人の手で、徐々に新車同然の状態に甦るマセラティ3500GT(写真7点)
「ベリッシマ(美しい)!」それが私にいえる精一杯だった。目の前で停車しようとしている白い車を表現したいと思っても、初歩的なイタリア語しか知らないのだから、しかたがない。ここはミラノ近郊のアレーゼのすぐ近くで、大邸宅へと続く絵のように美しい並木道に私は立っている。冬にしては季節外れの好天だ。傾いた日射しを反射する磨き抜かれたクロームが、マセラティの優美なラインを際立たせ、この1台が紛れもなくグランドツーリングの黄金時代に生まれたことを強く印象づける。
カロッツェリア・トゥーリング・スーパーレッジェーラのクラシック部門を率いるアンドレア・ドラゴーニが、自慢の最新作を駐車して、鍵を私に差し出した。この瞬間に至るまで長い時間がかかったが、いよいよ私がステアリングを握るときが来たのだ。その前に、そもそもなぜ私が北イタリアを訪れたのかを説明しよう。
伝統の継承
カロッツェリア・トゥーリング・スーパーレッジェーラ(CTS)は、イタリアの歴史的なスタイリングハウスの仕事を継続するため、2006年に設立された会社だ。おそらく最もよく知られているのは、現代版としてまばゆく復活した2012年のディスコ・ヴォランテだろう。昨年は、フェラーリ550マラネロにオマージュを捧げたスーパーレッジェーラ・ヴェローチェ12で話題を呼んだ。
こうした作品ほど認知されていないかもしれないが、CTSはトゥーリングの偉大なヒット作のレストアにも積極的に取り組んでいる。顧客の依頼や自社のプロジェクトとして(この車は後者)、トゥーリングがボディワークを手がけた優れたモデルを選び、かつての輝かしい姿に甦らせているのだ。この3500GTを、CTSは偶然見つけた。興味深いヒストリーを持つ1台で、マセラティとトゥーリング両社の進化を象徴する記念碑的モデルだけに、レストアせずにはいられなかったのである。
マセラティ3500GTは、グランドツーリング全盛期の幕を開ける重要な役割を果たした。ミッドセンチュリーの自動車産業は、再生の象徴として、世界経済の先頭に立った。ある国では戦後の経済復興が進み、ある国ではファシズム打倒を支えた産業がさらに発展した時代だ。後者の代表がアメリカで、新たに富を手に入れた実業家らは、贅沢品をヨーロッパに求めた。
こうした目の肥えた新しい客層を引きつけるため、マセラティはレーシングカーやごく少数生産のロードカーから、新しい高級2+2モデルに重点を移した。このモデナのメーカーにとって初の量産モデルとなったのが1957年に登場した3500GTである。カロッツェリア・トゥーリングが手がけたエレガントなボディによって、たちまち世界中の富裕層や有名人の必需品となった。
1950年代後半といえば、豪勢な旅の定番だった遠洋定期船が、新興勢力の定期航空便に押され始めた頃だ。エルビス・プレスリーは大スターへの階段に初めて足をかけ、ソビエト連邦は世界初の人工衛星を打ち上げた。こうした出来事と時を同じくして、不朽の名声を得たハリウッドのスター、ロック・ハドソン、ディーン・マーティン、トニー・カーティス、エリザベス・テイラー、アンソニー・クインなどが、ポップカルチャーの頂点に上りつめた。この全員がドライブしていた車がマセラティ3500GTだ。
マセラティ・クラシケに残る資料によれば、この1台は、1959年にモデナからカリフォルニア州パロアルトのアリンガー・モーターズへ送られた。最初のオーナーは前述したような実業家のひとりだ。ホレス・エルジン・ダッジ3世、あのダッジの共同創業者の孫にあたる。3500GTは30年近くダッジ家で所有されていたが、売却されてイギリスとドイツで一時期をすごし、やがてスイスのディーラーにたどり着いた。ここで、この物語に再びトゥーリングが登場する。
「私たちは偶然、この白いマセラティと巡りあいました」とアンドレア・ドラゴーニは説明する。「これをトゥーリング・スーパーレッジェーラのレストアサービスの名刺代わりにしようと考えて、2022年末に購入しました」。元々質の高いレストアをしていたCTSだが、この車では、さらに高い水準を目指した。「一切の妥協をせずにレストアすることにしたのです」
最高の仕事のために
ボディワークのノウハウに関しては疑問の余地がないから、その面のレストアはいいとしても、機構部を任せられる一流のパートナーが必要だった。「私たちはカンディーニ・クラシケに連絡しました。モデナにあるクラシック・マセラティの著名なスペシャリストです」。創業者のジュゼッペ・カンディーニと息子のマルチェッロは、3500GTとクラシックマセラティ全般の第一人者として知られる。「カンディーニは、すべてのメカニカルコンポーネントを整備し、オーバーホールや修理を行いました」
こうした作業が進む間に、ボディはCTSに戻され、第一段階として、過去に関する詳細な調査が行われた。「CTSではどんなレストアでも、過去の調査を最重要事項のひとつにしています」とドラゴーニは説明する。「これには複数の段階があります。まずは純粋なヒストリーです。誰が所有し、過去に何が起き、どこにあったか。次に、この車両が最初に販売された時期を特定します。モデルは常に進化するからです。キャブレターを装着していたか、だとしたら、2種類あったうちのどちらか。フロントブレーキはディスク式かドラム式か。トランスミッションは4段か5段か、といった調子です」
CTSの経験に加えて、この3500GTが本物であることを認定したマセラティ・クラシケとカンディーニのアーカイブも調べて、新車当時の仕様が判明した。すると幸いにも、大きな変更はないことが分かった。
「全般にパーツが揃い、オリジナルの状態でした。つまみなど、失われたパーツもわずかにありましたし、ステアリングも違うものでしたが」とドラゴーニは話す。幸い、修正を要するものは少なく、正しいパーツをすぐに調達できて、プロジェクトを次の段階に進められた。
いったん分解し、外装も内装もすべてのパーツを慎重に取り外して目録を作り、裸のボディシェルにウェットブラストをかけた。金属の状態を調べたところ、深刻な問題はないことが分かったとドラゴーニは話す。「大きな事故によるダメージが一切ないことは明らかでした。過去に二度ほど修理を受けていただけです。また、当然ながら、典型的な箇所に腐食も何カ所か見られました。シルやドアの下、トランクのくぼみなどです。フロアも過去に修理を受けていましたが、適切ではありませんでした。正しい補強パターンを使っていなかったのです」
1箇所だけ、金属部分が失われ、CTSの職人の優れた技術で製作する必要があった。ここからはサンティ・ダンジェロに説明してもらおう。「フロントとリアのガラスフレームとトリムは、なくなっていたため、ゼロから造り直しました。基になる型はなかったので、すべて自分たちで製作しました。手作業で形を決め、ハンマーで成形し、曲げる。あらゆる道具と知識を総動員して…。私はここに勤めて19年、金属加工に携わって33年です」
ダンジェロのような熟練職人は、CTSではめずらしくない。数十年におよぶ実地経験のある職人が何人も重要な役割を果たしている。ダンジェロをはじめ職人たちの言葉からは、あふれんばかりの情熱が伝わってくる。「私は最近、BMW 507を1台とフェラーリ250を2台完成させたばかりですが、この車はさらに特別です。私にとってこうした車は、自分の子どもも同然なんですよ」
ダンジェロの見事な技術は、このマセラティの”斜視”を直す際にも活躍した。過去にフロントエンドを軽くぶつけた際に、片方のヘッドライトの位置がわずかに下がっていたのだ。「構造を支える補助的な鋼管がいくつか外れていたので、位置を修正し、再び溶接しました。ダメージのない車両を測定して、それに合わせました」とダンジェロは説明する。継ぎ目がまったく分からないので、いわれなければ補修作業が行われたとは夢にも思わなかっただろう。
・・・後編に続く。
編集翻訳:伊東和彦 (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵
Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) Translation:Megumi KINOSHITA
Words: John-Joe Vollans Photography: Lorenzo Colombo & Carrozzeria Touring Superleggera S.r.l