脚本を書くにあたり、現役高校生や教師などへの取材も行ったという。
「先生方がおっしゃっていたことで印象に残っているのは、例えば高校生が恋愛で悩む時、それこそ死活問題くらいに悩んでいる生徒が多いというのです。ですが僕ぐらいの年齢になりますと、そもそも高校生の恋愛ってほぼほぼ理想通りになってる人はいないよなぁとか、そういうもんだよと思ったりします。でも彼ら彼女らの中では真剣なんですね。そういった目線と、あとは年齢的に世代間ギャップがあるように思いがちですが、話してみると意外と根本的な部分では僕らの時代と変わらないんだなと。普遍的に、生きている人間として変わらないというのはすごく感じました」
では、見どころである“神説教”の部分に関しては、どのように描くのか。
「まず僕が言いたいこととして描き、そこにプロデューサーや監督から“こういう意見もある”といった声を聞きながら調整していきました。僕はバナナマンさんとよくお仕事をする機会があるのですが、設楽(統)さんから台本の矛盾をよく突かれることがありました。その時、設楽さんがおっしゃったのが“矛盾をなくせば笑いが生まれる”ということ。要は都合の良いシーンにしようとすると矛盾点が生まれてしまうのですが、この人はこうだからこういう行動になったんだという理由をつけていくと、だんだん面白い笑いが生まれてくる。説教シーンに限らず、“この行動に至るためにいろいろな精神状況があり、それがこういうふうにさせてしまったんだ”ということが笑いとなり、そしてコメディが生まれるんだと感じていたことがありました」
そんなオークラ氏が、脚本を書く時にこだわっているものとは。
「お笑いやコントを軸にやって来た人間なので、ドラマでも基本、笑えるものを作りたいなと思っています。どんなに真剣で重いシーンでも、それだけじゃないクスッとできる部分は入れていきたい。ずっとシリアスが続かないようにしていますね。それにエンタメの中で、あまり笑いがないまま進むよりも、笑いがあって進むもののほうが性に合ってますし、人間って生きている中でどんなに真剣な場面でもクスッとしてしまう時ってあるじゃないですか。そういうものを描くことが元々やりたく、自分のテーマにしているので」
“神説教”シーンは「切り抜かれても誤解なく伝わるように」
昨今、テレビを取り巻く環境は大きく変わり、リアルタイムで見てもらうことはもちろん、見逃し視聴や配信サービスで“選ばれる”ことも大切になってきた。さらにはSNSなどでいかにバズるかということもヒットの鍵に。こんな時代だからこそ、脚本の作り方なども変わってきているのだろうか。
「今の時代って、すごく一部分を切り抜かれ、それでセリフの強さがSNSで出回ったりするじゃないですか。そうすると、“たぶんここが切り取られるんじゃないか”と考えるので、このシーンのこの部分は切り抜かれても伝わるようにしたい。そこを見て、どうしてこのセリフに至ったのか気になってほしいなと考えています。これは笑いに関しても同じなんですね。これがあるからこの笑いがある。だからこそこのシーンだけ切り取っても面白いとバズっていく。このドラマでは“神説教”と言われている部分だけは、切り抜かれても誤解なく伝わるよう気にしながら書いています」
SNSでは特にバラエティ番組の切り抜き動画が多く見られるが、バラエティ畑を歩んできたオークラ氏ならではの意見のようにも思える。ちなみに、前述のバナナマン設楽の“矛盾をなくす”についても、キャラの行動原理は考えられていて、主人公の静はただただ思ったことを瞬発的に出せるほどの強さはない。
「学園ドラマでも教師が説教するシーンがあるけど、その教師たちってその場で考えているのかなとすごく思っていたんですよね。いつの時点で考えていたんだろうって」というオークラ氏。ゆえに、“考える”をテーマに据え、静も1日中何を生徒に言いたいのか考え、スマホにメモをし、そして“神説教”は、そのスマホのメモを見ながら行われる。オークラ氏ならではのユニークな設定といえるだろう。
「昨今のテレビドラマは事件が大仰になっている傾向がある。でも高校時代にはもう少しリアルな事件があり、今、そのリアルで日常的な事件に目が向いてないような気がするんですよ。高校生だけじゃなく、日常的に皆に当てはまるような普遍的な問題に対して、“こんな静の目線がある”ということが言えたらいいなと思っています。それが正解じゃなくたっていい。一つの考え方として“なんで私が”と思いながらも思い切り言ってる静の姿を、ぜひ見ていただけますと幸いです」