
ロードゴーイングカーは市販の量産品である以上、工場のラインで画一的かつ効率的に生産されることが、どうしても運命づけられる。いわゆるオーダースーツが、じつはパターンオーダーによるファクトリー・メイドであるのと同じ話で、職人が総手縫いで仕上げる昔ながらの「丸縫い」のスーツとはやはり違う。そんな需要も、それができる職人も、何より見分けがつくほど目の利く大人のいずれも、消えてなくなりつつあるのが今の時代だ。
【画像】マセラティのクラフトマンシップを極める「オフィチーネ・フォーリセリエ・マセラティ」(写真10点)
ところがマセラティは、悠然とそこに反旗を翻してきた。顧客の要望に限界を設けず、理想の1台を実現するため、モデナ市内のマセラティ工場に3月下旬、革新的な塗装プロセスを設けたと発表した。その名も「オフィチーネ・フォーリセリエ・マセラティ」である。
元々、マセラティに存在したパーソナライズ・プログラムである「フォーリセリエ」自体が、直訳すれば「アウト・オブ・シリーズ」、つまり量産から逸脱することを目的とするものだった。それですら、モータースポーツに着想を得た「コルセ」と、エレガントかつ前衛的な「フトゥーラ」という、二つの異なるテーマに沿ってカスタマイズ選択肢を用意していた。そこへさらに今回、「ビスポーク」と呼べる完全なテーラーメイドのカスタマイズ・プログラムが加わったのだ。
「マセラティが創業した当時、あらゆる車はテーラーメイドで顧客の要望に応じて仕立てられていました。車をビスポークで創ることは今や、単なるヒストリーの一部ではなく、ラグジュアリー・カーの未来でもあるのです。だから私たちはカスタマイズのあらゆるプロセスを再構築して、高度なオートメーション設備にも投資し、製造面での卓越性を私たちの素晴らしいスキルをもつ従業員たちによるヒューマン・タッチに結びつけました。特別な顧客だけが過ごせる、旅そのものを作り出したのです」
と、マセラティのコミュニケーションを統括するアンドレア・ポラード氏は熱っぽく語る。実現サンプルとしてこの日、披露された「MC20チェロレス・イズ・モア…?」は、ポラード氏がとくに好きだというカンディンスキーの抽象画作品からインスピレーションを得た、スペシャル仕立ての幾何学模様のグラフィック、そしてストライプをまとっていた。
ポップなようで、深いアズーロがベース色のMC20チェロは、逆にシックでもある。細かなところではオレンジのアランチョ・デビルというカラーも用いている。250FでF1に女性として初出走したマリア・テレーザ・デ・フィリップスの栄誉を称えた色だ。パターンのみならず色数という点でも、通常の生産車のプロセスでは考えられないほど複雑な塗装であり、カッティングシートによるグラフィカルな外装仕上げとはまったく違って、MC20のシルエットがもつデザインの美しさ、デリケートな面構成の精妙さを見事に伝え切っている。
オフィチーネ・フォーリセリエは、現住所で80年以上の歴史をもつモデナのマセラティ本社で4000m2もの面積を与えられ、現行モデルすべてを対象にスペシャルな塗装を施すことができる。そのオーダーメイド体験は、オフィチーネの一角に設けられた顧客専用のラウンジから始まる。カタログやオーダーメイド素材のサンプルを試し、専用コンフィギュレーターで色味やグラフィックを確認しながら、マセラティのデザイナーや職人たちと対話を重ねながら、初期設定となる選択を行う。それから最新の自動塗装と、職人の手作業による細部カスタマイズや塗装を施し、80度の焼成を含む仕上げへと進んでいくのだ。完全にワンオフとなるマセラティ車を手がけられるスタッフや職人は110名で、1シフトで最大8台、1日に最大で24台を仕上げることができるという。
いってみればオフィチーネ・フォーリセリエとは、ただ個性的でありたいだけではなく、唯一無二の何かをクリエイトすること、それに身を包むこと、さらには共に旅をすることを好む、そんな特別なコノサーやコレクター、愛好家にのみ向けられた、エクスクルーシブなサービスといえる。その恩恵に俗するには、財力や幸運はもちろん美意識や芸術的なセンス、何よりマセラティと同じパッションをもつことが求められるのだろう。
文:南陽一浩 写真:マセラティ
Words: Kazuhiro NANYO Photography: Maserati