
1969年3月のジュネーヴモーターショーでフィアット2300の後継として登場したフィアット130。当初はセダンのみだったが、1971年にはピニンファリーナによるデザイン/生産されたクーペもラインナップに加わった。フィアット130は4輪独立サスペンション、4輪ディスクブレーキ、パワーステアリング、リミテッドスリップデフを標準装備するなど、半世紀前としては進歩的なメカニズムを備えていた。3速ATだけは時代を感じさせるが…
【画像】「イタリアの伊達男」お気に入り!? パパラッチにも撮られた特注のステーションワゴン(写真14点)
そんなフィアット130をベースにステーションワゴンを特注したのが、フィアットを率いていたジャンニ・アニェッリだ。そして今、その車がRMサザビーズの「シールド(封印)」と呼ばれるオークションに出品されている。シールドは通常のオークションとは違い、”競る”のではなく”入札”方式を採っている。現在、アニェッリ・コレクションと称したシールド・オークションには当該車両のほか、15年間所有したフィアット・パンダ4×4、ザガートが手掛けた1985年式ランチア・テーマ・ファミリアーレ(2台作られたプロトタイプの1台)が出品されている。
ジャンニ・アニェッリはフィアット創業一族で、1966年から2003年まで同社を率い、その名を世界に轟かせた。”イタリアの伊達男”としても知られ、彼のスタイルは世界中で称賛された。時計をシャツの袖の上に巻く、ボタンダウンシャツの襟を外すなど独自の着こなしを確立し、スーツは常にオーダーメイド。そのファッションセンスはアンディ・ウォーホルにも称賛され、「エレガンスの審判者」として時代を超えたスタイルアイコンとなった。
そんなジャンニ・アニェッリは当然、数多くの特注車両に乗ってきたわけだが、この車はスキー用車両としてスイス・サンモリッツのアニェッリの邸宅に常駐。ルーフラックとバスケットにスキー板を載せてゲレンデとの往復に活用された。イタリアで強大な影響力を持つ人物であったアニェッリは常にパパラッチの注目を集め、この車と共に何度も写真に収められている。彼が130ファミリアーレを気に入ったことは、1985年まで所有し続けたことからも想像できる。
フィアットのデザインスタジオ、チェントロ・スティーレが「130ファミリアーレ」をデザインし、イタリア・コモ湖近郊に拠点を置くコーチビルダー、オフィチーネ・イントロッツィによって製作された。オフィチーネ・イントロッツィはもはや存在しないカロッツェリアだが、軍用車両、霊柩車、救急車製作を手掛けたほか、イタリア首相向けの防弾車両、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が乗ったGクラスの防弾車両(通称、パパモービル)なども彼らの作品である。
130ファミリアーレはわずか3台しか製作されず、当該車両はジャンニ・アニェッリ自身が使用するために製作された。残りの2台は弟であるウンベルト・アニェッリとアニェッリ家が懇意にしていた美術品修復家であるグイド・ニコラに贈られた。オランダのフィアット130エンスージャストのサイトによると、さらにもう1台(グリーンのルーフ)存在するようだが、オフィチーネ・イントロッツィが現存しない今、真偽のほどは確認できない。
ウンベルト・アニェッリに贈られたものはシルバーのボディにベージュのルーフ、グイド・ニコラのものはシルバーのボディにメタリック・レッドのルーフとなっている。ジャンニ・アニェッリの車両はボディもルーフもシルバーだが、ボディサイドに木目調のトリム、そして籐のバスケットを備えたルーフラックを装着。また、警備チームが後方からジャンニ・アニェッリの動きを把握しやすいように、非対称の第3ブレーキライトも設置されていることが特徴的だ。
当該車両は2014年のヴィラ・デステ・コンコルソ・デレガンツァや2022年のザ・アイス・アット・サンモリッツなどの著名なイベントに出展され、後者では「クラシックドライバー・スピリット・オブ・サンモリッツ賞」を受賞した。なお、RMサザビーズが掲載している書類には当該車両と映るラポ・エルカン(ジャンニ・アニェッリの孫)の写真も含まれている。
落札価格が明かされることはないが、RM/サザビーズによる見積もりは17万〜30万ユーロ(2,750万円〜4,860万円)となっている。入札締め切りは4月24日なので、気になる方はチェックされたい。
文:古賀貴司(自動車王国) Words: Takashi KOGA (carkingdom)