
yahyelのフロントマン、池貝 峻が自身初のソロアルバム『Black River, Far East』をリリースした。パンデミック契機に引き裂かれた時代のなかで追い求めた自己救済としての歌たちが本作を形作っている。都心から246を通って、人としても、ソングライターとしても自らのルーツが息づく東東京へ。共同ソングライターには旧知の仲であるDYGLのドラマーの嘉本康平、プロデューサーにはRyu Kurosawaを迎えている。池貝の心底から湧き出る声としてのフォークソング、あるいはブルースが、その静謐なまま暴れるような衝動にモノクロームのダイナミズムを纏わせるサウンドデザインとバンドサウンドとともにうごめいている。俺はここにいる、ここで踊っていると、叫んでいる。『Black River, Far East』が2025年3月末に産声をあげるまでの生々しい軌跡を、池貝が語ってくれた。
─ガイくん(池貝)がソロ作品を制作していることは、2023年3月リリースのyahyelの3rdアルバム『Loves & Cults』リリース時のインタビューでも語っていたので、パンデミック以降にソロ作品に向かっていたことはなんとなく把握していて。
はい。
─当時のyahyelの動きとガイくんがソロ制作に着手したことは相関関係があると思うので、まずはその背景からお聞きできたらと。
はい、ノーフィルターで(笑)。
─ぜひ(笑)。
それこそ『Loves & Cults』のリリース時のインタビューでもお話しましたけど──上手い言い方がなかなか見つからないけど──当時、yahyelがバンドとして体調を崩していて。今考えると、yahyelを始動した2015年くらいってまだ状況がよかったんだなって思うんです。その「よかった」にはいろんな要素があるんですけど、今考えるといかに幻想だったかという感じですが、みんな今よりももっと余裕があったし、表現領域とのつながりという点においても実はみんな恵まれていた時代だったなと思うんです。
─はい、異論はないですね。
当時の僕らは2015年当時から自分たちの中では普遍的な怒りを表現していたけれど、今よりは状況はずっとよかったと思う。2020年以降から今に続く流れって音楽業界も決定的な危機を経験して、そこからの期間をいい時間だったと言える人はそう多くないと思うんですね。政治的にも経済的にもそうだし、世の中の状況を見ながら「音楽ってそもそもいるの?」という話にもなったし、いかに社会と接続していくかを誰もが考えざるを得ない時代になって。アーティストはみんなそうだったと思うけど、そのなかでサバイブするためにyahyelのなかでもクリエイティブの方向性とか、意見をすり合わせていく余裕自体がなくなっていって。バンドという社会のなかの余裕がなくなっていたんだと思います。で、僕ってそういう人の関係性に関してはとことん不器用なんですよ(苦笑)
─知ってます(笑)。
ですよね(笑)。こういう形に世の中が変わったんだって理解して、割り切るのにすごく時間がかかったんですよね。その分、メンバーのことも制作においても待たせちゃっていたと思うし、僕自身もそれまでの疲労もあって完全に糸が切れちゃって。バンドの時間も止まって、世の中的にも何もできないとなったときに、結局やっぱり僕は音楽を書くことに逃げちゃうんです。
─パンデミックで行動自体が制限される、バンドの歯車もなかなか噛み合わないとなったときに音楽から離れるんじゃなくて、むしろ近づいていったという。
そうですね。たぶん、音楽を始めたときの感覚にすごく近かったなと思うんですけど──本当に自己救済というか、何もやることがない状態の隙間を埋めながら自分の考えと向き合うために音楽を書いていたという感じです。世の中のためにも、バンドのためにも書いてない。ただただ自分の途切れない思考をちゃんと拾って、それに向き合うための方法として。やっぱりバンドのためじゃなくても音楽を書くしかねぇじゃん、みたいな状態になって。自分のためにもう一回それをやり直したという言い方が一番正直かなと思います。
─このアルバムを聴いたときに、ラストの「Open Ending」という曲で逞しい終わり方をしているなと思って。この曲を歌うためにその前の楽曲群があるとさえ思ったんですね。
それは本当に結果でしかないですし、あの、皮肉だなと思うのは、yahyelのときも三宅さんに同じことを言われてるという(笑)。
─ああ、はい(笑)。『Loves & Cults』において「Four」という曲にたどり着くためにそれまでの時間があったんじゃないかという話になりましたね。
そう(笑)。その感想は本当にうれしいんです。でもね、僕は結局そういう書き手なんですよね。それでしか曲を書けないというか。ただ、ソロの僕はyahyelのアルバムのときと悩んでいたことが全然違うんです。バンドはどうやったらこの4人がうまくいくかとか、どうやったらみんなでもう一回ちゃんと音楽と向き合えるかとか──僕が差配するとかじゃなくて、それぞれにちゃんとスペースがあって共存するための家をいかにみんなで守れるかという悩みだった。で、ソロはバンドにそういうことが起きていた裏側にあることで。家に帰ったときに「今日も4人で集まったけど2時間みんな無言だったな」とか思いながら過ごす家の時間というか。結局、自分を救えなかったら周りの仲間のことなんて考えられないし、そのためにも自己救済するプロセスがこのアルバムになったんだと思います。一個人としてのドロドロした説明しきれない苦悩がここにあって。でも、僕はだからこそ音楽のマジックがあるとも思っていて。説明できないし、しなくてもいいプロセスを音楽として出すことができる。このアルバムができたということ、「Open Ending」のような結論が出たこと、今僕がこうやってみなさんと一緒にお話できていることも含めて、プロセスを閉じ込められたことがすごくうれしいとも思います。
─すごく意地の悪い、無粋なことを聞いてしまうと、パンデミックも起きずyahyelも止まることがなければこのソロアルバムは創造しなかったとも思いますか?
いや、それでもいつか作っていたと思いますね。そこは世の中の流れみたいなこととも関わってくると思うんですけど、ミステリアスなものに対してみんなもうあんまり興味がないんだなって個人的にすごく思っていて。
─ああ、世の中の流れとして、SNSでもなんでも個人を肥大化して数字を取ることに躍起になってるもんね。生身のミステリアスさはその裏側にあると思うし。
それもそうだし、2020年からの流れで本当に世の中に余裕がなくなってきたと思うんですよ。なんか、バレちゃったというか。個々人の生活が何かを消費しながら動いてることにみんな気づいちゃったと思うんです。その状況が生んだのが、SNSもそうだし、個人を個人のまま放おっておくことができなくなった世の中なんだなって。ある程度距離を置いたり、詮索しすぎず相手が言ってることを尊重するとか、そういうことがパブリックスペースのなかでできなくなっちゃったのかなって思う。その影響って表現領域にも大きくて。個人が何かと戦ったり苦悩する表現の繊細さにかまってる余裕がなくなったと思う。それよりも棚の一番上にある、一番誇張されたドラマチックなファンタジーを個人に持ってこさせようとする世の中のエンタメ化が進んでるという感覚がすごくあって。僕はそういう時代の流れに共感できなかったし、僕の音楽的ルーツを形作ったソングライターたちは正直で、地に足がついてる状態で出せることだけを表現していた。僕はそこに惹かれて音楽を始めたんですね。天邪鬼なんで(笑)、だったらむしろそういうことをもう一回やり直したいなって気持ちがすごく大きくあったんです。自分なりの、豊かさへの問いというか。
─俺が心底どうしようもなく好きな音楽表現はこういうものだと提示したくなった。
そうですね。で、yahyelの初期も正直ビビってたんですよ。「みんな音楽をショービズにしすぎじゃない?」という疑問や苛立ちがあってビビリながらも顔を隠してたりしいてたけど、そういう状況が今はどんどん拡大しているし、底が抜けちゃったなと思って。一人の時間の中の救済としての音楽がここ数年で力を失ったなって。世の中がそれに触れる余裕もなくなった。だから音楽という媒体にもう一回、誇張しない自分がシンプルに思ったことをあらためて表現したくなって。バンドは4人でやってるので足並みをそろえなきゃいけないけど、いつかソロとしてもちゃんと立ち止まってやり直したいとずっと思っていたので。
─今の話はラップがここまで日本で流行ったこととも通じるような気がしますね。とにかく稼がないと話にならないという風潮も含めて。それが悪いという話でもないし、ラップが流行ったことでポジティブな影響も、もちろんたくさんあるんだけど。
実質経済がここまで悪かったら、稼がないといけないじゃないですか。
─そうですね。貧困がリアルな話になったわけで。
そういう話がいよいよこの国で出てくるんだなとも思うし。ただ同時に、日本人の国民性においては革命的だったのかなとも思います。さらけ出して、開き直って、過剰に個人を主張することって今までのコミュニケーションのなかではなかったものだから。そういう意味ではきっと多くの人が自由な風みたいなものをそこに感じたと思うんですよね。それと僕が過ごしやすい世の中なのかは別問題なんですけど(苦笑)。僕が表現する音楽はビジネス的には裏目に出てるけど、ひとりのアーティストの側面で言えば、自分がやれることはやっぱりこれなんだって思いますね。
仲間たちとのつながり
─今作においてとても重要なのは、共同コンポーザーを担っているDYGLのドラマーの嘉本康平氏やプロデュースを務めている幾何学模様のRyu Kurosawa氏を筆頭に、ガイくんの極めて個人的な音楽表現を支えてくれた仲間たちがいることだと思います。そのつながりについても訊きたくて。
はい。嘉本はちょっと特別で。本当に僕がyahyelを、彼がDYGLを始める前からの仲なんですよ。10代、高校生くらいのときからの友人で。宅録を覚えたてくらいのときに2人で音楽を作っていたという歴史があって。
─あらためて、本当にガイくんたちの世代の横のつながりですごいよね。この世代に確実に何かが起きてたんだなと思う。
それは時代的なこともあったと思います。僕らの少し上の世代までは自分たちが本当に好きな音楽と商業的な音楽としての成立という二項対立があったと思うんですよ。そのなかでこの世代は上にも下にも属すことができないまま、アイデンティティを求めて音楽を追求しようというある種の決断みたいなものを無意識にも共通して持っているような気がしていて。もちろん僕らだって、折り合いは必要ですが、現状に存在しないものを真摯に考えてるというか。そういう世代だと思います。今考えると、同時多発的にそういうアーティストたちが出会って、それを実践できるという時代性も含めてラッキーな状況だったなと思うんです。嘉本とも最初はたまたま留学してた期間が一緒で、そのときに出会って同じ匂いがするやつがいるな、みたいな感じで。本当にたまたまなんです。で、このアルバム制作で出会った人たちもマジでたまたまなんです。たまたま率が高い世代(笑)。
─想像するに嘉本氏とも常に距離が近いわけではなくて、遠い時期もあったと思うんだけど、パンデミック以降にガイくんがソロ制作に着手したタイミングで距離がまたグッと近くなったということですよね?
本当にそうです。それはお互いのバンドの状況がすごくリンクしていたからで。僕がこれについて話すのはDYGLの他のメンバーの本意ではないと思うから詳細には語らないけど、当時を振り返るとおそらくyahyelもDYGLも同じような状況に陥っていいたんだと思います。それがこのプロジェクトで嘉本と曲を書くことやいろんなアーティスト、ミュージシャンに出会えたひとつの要因になっていると思います。幾何学模様のRyuさんはSOIL&"PIMP"SESSIONSの社長に紹介してもらったんです。
─へぇ! そうなんだ。
社長から代々木上原の居酒屋に呼び出されて、行ってみたらRyuさんがいて。「幾何学模様、聴いてます」みたいな。そこでいろんな話をして。幾何学模様というバンドの成り立ちも、僕らがyahyelでやりたかったことをもっとエクストリームに突き詰めてるというか。「なんで俺らは日本で受け入れられないのだろう?」という疑問を飛び越えて結果的にその音楽がいろんな国まで広がっていって。Ryuさんのそこに対する自信を感じたときに当時すごく自信を失いかけていた自分にとってはすごく新鮮で刺激的だったんです。あと、Ryuさんは全然人をジャッジしないんですよ。「わかる、わかる。でもやるしかなくない?」みたいな。そういうまっすぐさに僕はすごく救われて。
─制作行程としては、まずはガイくんが少しずつ書いていった曲を嘉本氏に共有していって1曲ずつ育てていったという感じですか?
そうですね。最初は4曲くらい。あの、症状が落ち着いてる今だから言えますけど、当時、僕はパニック障害になってしまって。髪もボロボロに抜けちゃうような状態で。そんななかでとりあえずパソコンの前に身体を縛りつけて曲を書いてるような感じでした。とりあえず曲を完成させなきゃという気持ちで毎日すごくゆっくり、でもずっと曲を書いてました。
─完膚なきまでに満身創痍のなか、自分の心の声を聞いてアウトプットするという。
はい。僕のなかではそれが音楽の一番ピュアなフォームでもあるんですけど。でも、今この時代に聴くと新鮮に聴こえるから不思議だなって。
─アルバムタイトルである『Black River, Far East』、直訳すると『極東の黒い川』というニュアンスだと思うんだけど、内省的な表現活動にひたすら身を置いたときに自分の出自である東東京の情景や空気と結びついていったのは必然だったのかなと。
そう、僕にとっては必然でした。人にはそれぞれ悩みの方の型ってあるじゃないですか。当時、僕は人間らしい寛容さみたいなところに戻れないくらい暴走したり空回りしていて、「どうしてこうなっちゃったんだろう?」という思いがすごくあったんです。自分自身の状況もそうだし、バンドが動けなくなってる状態もそうだし、結局、僕に足りてなかったのって自分と周りに対する寛容さだと思うんですよね。「なんでそうなっちゃったんだろう?」って考えたときに、やっぱり向き合うのは自分のルーツと癖かな、と。
─そういう自分にとっての最初の土の感触や匂いもいつかはソングライターとして向き合わなきゃいけないと思ってたのかな。
本当にそうだと思います。自分の地元の葛西は東京のなかでも独特な立ち位置の場所というか。荒川を越えた先というのもあるし、千葉にも片足を突っ込んでるし、どこか東京なんだけど東京じゃないみたいな感覚があって。ぶっちゃけた話、中央の人からしたら、ただの埋立地じゃないですか(笑)。
─それは地元の人しか言えない(笑)。
中央からの疎外感は感じつつも、地元の人工物の雄大さみたいなものが僕のなかですごく寄り添ってくれた景色だったわけです。同時にすごくミクロな人と人の関係性や成り立ちがある。それが、この時代のなかではテーマ性としてはすごくズレてはいるけど、一回取り戻したかったものでもあるし、僕の当時のメンタルヘルスとも結びついて。東京の都心部の街の雰囲気もここ数年ですごく変わったなって感じていたし、東京のミクロな生活みたいなものってもはや誰のものでもない、外から来た人の夢みたいなものですらあるなという感覚があって。
─全方位型の観光地みたいなね。
そういう東京の変化も苦しかったから僕は音楽に逃げたし、yahyelというバンドでもそれを糧にしてやってきたけど、もう一回、自分の”癖(ヘキ)”みたいなものをちゃんと音楽を通して見てみようと思って。
─最初にできた曲はなんですか?
ほぼ曲順が時系列に沿ってるんですけど、最初はおそらく1曲目の「Route 246」ですね。
─ああ、合点がいきますね。246を通って地元に踵を返すという。
当時、三宿に住んでいて、246の隣に住んでいたんですけど。都会を突っ切る道のそばに住みながら「なんでわざわざこっちに来てまで体調壊してんだろう?」と思って。そこから地元の葛西に戻っていく最初の道というか、結局、246を通って帰るという。
─東京のど真ん中に感じる閉塞感、厭世観、嫌悪感。そこから逃避するために246を通って、自分が本当の姿で踊れる場所である出自に帰っていく歌ですよね。
そうなんですよね。
「音楽と人を信じること」の大切さ
─あとは他の曲でも浮かび上がるのはずっと見つめている部屋の天井であったり、深夜3時に衝動が消えていく恐怖感とか。
はい。本当に直喩で書いてるんですよね。自分に起きたことをそのまま書いていて。さっきも言いましたけど、「そういうテーマ選び自体が今すごくレアだよね?」ということを言いたかった。腹のなかに燃えるものがあったら、たぶん三宿に住んでるなら渋谷に行って金を稼ぐみたいなフレックスがいまっぽいじゃないですか?。でも、僕は246から首都高に入ってそのまま葛西に向かう。そんな余力はないわけです。その経路の違いみたいなものは人の数ほどあるはずじゃないですか。そういうやり方しか僕はできなかった。
─サウンドデザインにおいて工業地帯の営みを想起させるようなインダストリアルな音を随所に配しているのも意識的ですよね?
めちゃくちゃ意識的です。葛西は首都高が上を通ってるんですけど、でも空間はめっちゃ広いんですよ。工場もたくさんあって、やっぱり反響音が独特なんですよね。海に抜けてもいくけど、コンクリートや鉄の音が反響もしている。それが僕にとってルーツになっていて。実は偶然にもRyuさんの地元も近くて、そういう話で盛り上がったりもしました。
─yahyelともまた異なるバンドの音を求めた歌たちなんだなと思います。
曲を書くことで人に会えることだけでも驚きだったし、救いだったので。あまりに痛々しくて、ひとりきりで全部話しきれなくても、彼らのアイデアに感動したり音を一緒に出すことで共有できることは、言葉でなくても切実なコミュニケーションとして真摯なものになる。そういう側面の音楽の素晴らしさを彼ら一人ひとりが思い出させてくれたからこそ、その後のyahyelでのコミュニケーションにもつながってると思います。音楽と人を信じることができれば、向き合わなくてはいけないことに、向き合える気がしたんです。
─ライブはどんな編成でやるんですか?
面白いですよ。3月30日にWALL&WALLでやるリリースパーティーはベースはJan(Urila Sas)さん、ギターはGateballersの(濱野)夏椰くん、ドラムは今作にも参加してくれているhinaちゃんです。
─音源ともまた違うめちゃくちゃ刺激的な音がガイくんの歌を持ち上げてくれそうですね。
本当にそう思います。自分でもめちゃくちゃ楽しみで。
─ライブやったらまた曲を作りたくなるんじゃないですか?
そうなんですよ。めちゃくちゃやりたくなると思います。
─今後はyahyelとソロの両軸で自分の音楽表現をそれぞれにフィードバックさせていきたいというビジョンがありますか。
そうですね。バンドとソロは全然違う社会なので。世の中という社会との接続ともまた全然違いますし。そのなかで悩みがなくなることはないと思いますけど、そこに向き合っていけるような制作をそれぞれのフィールドでずっと続けていきたいと思ってます。
─今のガイくんはすごくヘルシーな状態なんだなと話していても思います。
まぁまぁ、そうっすね(笑)。でも、みんなそうだと思いますけど、相対比較しでしかないと思います。「あのときよりはよかった」を繰り返しながら生きていくんだなって。
─でも、あきらかに顔が優しくなったよ(笑)。よく言われるでしょ?
いや、そうなんですよ。言われますね。めっちゃ面白いですけどね。俺、そんなに怖い顔してたんだと思って(笑)。
『Black River, Far East』
池貝 峻
Andless
配信中
【Track List】
M1. Route 246
M2. 27 oclock
M3. Crisis City
M4. Heist in Black Suits
M5. Blue/Black
M6. Run
M7. M
M8. Feel It
M9. A Walk in Nishikasai
M10. Arakawa
M11. 505
M12. Open Ending
”Black River,Far East”Shun Ikegai Album Release Party
日程:2025年3月30日 (日)
会場:WALL&WALL
時間:OPEN 17:15 / START 18:00
価格:オールスタンディング前売り4,500円 (税込•D別)
※小学生以上チケット必要/未就学児童入場無料(保護者同伴の場合に限る)
前売り先行チケット :
※小学生以上チケット必要/未就学児童入場無料[保護者同伴の場合に限る] 整理番号順での入場