
BMSG所属の8人組グループ・MAZZEL、ソロインタビュー連載。昨年3月からスタートした本連載では、「Maze=迷路」、「Zeal=情熱」、「Mazel=幸福」の意味を持つ「MAZZEL」のメンバーがどんな迷路を歩んできたのか、それぞれのライフストーリーを聞いた。第7弾にはEIKIが登場。
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EIKIは努力の人であり、優しい世界を本気で願っている人だ。
EIKIは、他のメンバーのように子どもの頃から歌やダンスを習っていたわけではなく、球児として日々を重ね、高校時代は、今年の「選抜高校野球大会」にも出場が決定している甲子園常連校の野球部で厳しい練習に耐えていた。その運動神経と心身のタフさを活かし、昨年10月には「最強スポーツ男子頂上決戦2024秋」(TBS系列)にも出場。
高校1年生の頃からレギュラーの座を掴み、高校野球界で注目を集めていたEIKIが、なぜ突然音楽の道を選んだのか。部活引退後に歌のレッスンを受け始めたというが、ダンスは未経験の状態でオーディションに飛び込んだEIKIが、いかにして高い壁を越えてきたのか――EIKIの目の奥にある、彼の本当の強さに触れさせてもらった。
―みなさんに幼少期から今に至るまでの話を聞かせてもらっています。小2のときに野球を始められたそうですが、それまではどんな少年でした?
本当にスポーツが大好きな子どもでした。2歳から水泳をやっていました。だから最初に始めたスポーツは水泳。野球を始めたあとも、小6までは続けていました。
―もともとは水泳が大好きな子どもだったんですね。
いや、めっちゃ嫌いで(笑)。「今すぐやめたい」という感じだったんですけど、「行きなさい」と親に言われて行ってました。
―それなのに10年以上続けた経験は、EIKIさんの努力の姿勢の根幹になっていそうですね。野球を始めたきっかけは?
3つ上に兄がいるんですけど、進路がずっと一緒なんですよ。水泳も、野球も、学校も、バイト先とかまで全部お兄ちゃんのあとを追っていて。やっと違う進路になったのがBMSGなんです。
―お兄ちゃんへの憧れがずっと大きかったとかですか?
それもありつつ、親に「ついてきなさい」って言われる感じでした。
―小2から野球をずっと続けられていて、高校では、甲子園出場校の野球部に所属されていましたよね。EIKIさんの高校生活とは、どういうものでした?
当時は坊主で、本当に毎日野球のことを考えていました。いつも朝6時頃の電車に乗って、学校へ行って、朝から練習して、授業を受けて、午後はまた部活で、夜遅くに帰って、みたいな。部活の練習が嫌すぎて、逆に授業中がめっちゃ楽しかったんですよ。友達としゃべったりもできますし。
―部活がキツすぎて、授業が解放の時間になっていたんですね。成績もオール5だったという情報をどこかで見ました。
勉強、めっちゃ好きだったんです。いいのかどうかわかんないですけど、「ゲーム感覚」というか。いい点を取れた方がいいな、やれないよりやれた方がいいな、というモチベーションで頑張れていました。
―EIKIさんって、正しい努力ができる方だという印象があるんです。だからこそ勉強も、野球も、アーティストとしても、自分が求めるところに早く到達できているのだろうなと。野球部でも、1年生からレギュラーだったんですよね?
そうです、3年生が引退したあとの1年生の秋からですね。それも泥臭く食らいついて掴み取った感じでした。でも……色々ありましたね。調子悪い日もあったり。なんだかんだ背番号はもらっていたんですけど、2桁になったり。最上級生になってからはずっと1桁だったんですけど。
―野球部にいた3年間で、一番強烈に印象に残っている出来事は?
先輩の代の試合で、自分のミスで負けたことがあって。そのときは悔しさと申し訳なさがありすぎました。そこからスイッチ入って、練習の意識が変わりました。
―そういった経験から培った大事な試合に向けた準備の仕方と、今アーティストとして大事なライブに向けた準備の仕方は、通ずるところもありますか?
たしかに。当時、すごく意識していたチームの方針があったんです。それは「失敗をしないために練習するのではなくて、失敗するのは大前提で、何が起きてもいいように準備をしておく」ということ。それが今のアーティスト人生にもすごく活きているなと思います。たとえば、本番中にイヤモニが聴こえなくなったら焦るだろうけど、「もし聴こえなくなったらこういう対応をしよう」というプランを持つようにしています。
―それはすごく大事なことですね。3年生のときは野球部の副キャプテンをやられていたんですよね。そこで培ったもので、今グループで活動する上で活きていることもありますか?
キャプテンではなかったものの、チームをまとめる瞬間が多かったんです。キャプテンは一番上の立場で、しかもひとりで抱え込んじゃうタイプだったので、キャプテンの一番近くにいる自分がチームをまとめつつ、キャプテンのことも気にかけつつ、という役割でした。それは責任感もありましたし、重要な役割だと感じながらやっていました。
―EIKIさんの、誰かのことを想像して言葉をかけてあげる優しさは、そこから繋がっているんですね。他に、チームワークを常にいい状態でキープするために大事なこととは、EIKIさんは何だと思っていますか?
やっぱり常々言っている、愛とリスペクト。それが一番大事なんだなって、この会社(BMSG)に入ってからさらに思うようになりました。
(スタッフが取材部屋に入室。EIKIが立ち上がって挨拶する)
―礼儀も、野球部の頃は厳しかったですか?
いやもうマジで厳しくて。挨拶も立たないと怒られていて。紙を受け取るときも、両手じゃないと怒られたり。今も自然と気をつけちゃいますね。人間力は鍛えられたなと思います。監督が「野球の神様は絶対いる」と言うタイプの人で。「道端に落ちているゴミを拾いなさい」「グラウンドは常に綺麗にしなさい」「道具を大切にしなさい」とか、そういうところを大切にされている方で、それも今に活きているなと思います。
―野球と勉強の日々から音楽の道を進んだことは、大きな決断だったと思うんです。そこにはどういった想いがあったのでしょう。
部活時代、オフがあるときの唯一の楽しみがカラオケに行くことだったんです。昔から歌うことが好きな家庭で、自分もずっと好きで。カラオケで歌うと友達が褒めてくれて、「歌って楽しいな」「聴いてくれる人がいるって幸せだな」ということに気づき始めて。しかも文化祭で歌ったときに、歌った瞬間「キャー!」ってなって、そのときの「気持ちいいな」という体験が忘れられなくて。そこで「アーティストになりたい」という夢が定まって、高校3年生で部活を引退してからEXPGで歌を習い始めました。
―文化祭では何を歌ったんですか?
二宮和也さんの「虹」。引退したあと、友達と「文化祭で何か歌おう」ってなって、たまたま二宮さんがピアノで弾き語りしてる映像がTikTokに出てきて。「これを弾けたらめっちゃかっこいいな」と思って、そこからピアノを始めて、1、2カ月後くらいに弾き語りしました。短期集中型でしたね。
―やっぱり凄すぎる! その頃、大学に行かないという決断もされたんですか?
大学には行ったんですよ。でも2年生でやめました。この業界だと遅い方だとわかっていたので、保険として一応大学にも行って、体育の先生になるための免許を取れるように授業を受けていました。でも2年生になったタイミングで、「本気でやらないとアーティストになりたいという夢は叶わないな」と思ったのと、なんとなく「今年いけるんじゃね?」みたいな直感があったので、お母さんを説得して大学をやめました。
―この連載で「直感」を信じた、と語ってくれるメンバーが多いんですよね。直感を信じる強さのある人たちが集まってますね。
わかんないんですけど、なんか「いける!」っていうのがありました(笑)。
―そのとき、親からは反対されなかったですか?
1年間通ったあと、「休学でもいいんじゃない?」と言われたので1年休学していたんです。そのあとの更新のタイミング「もう行かない」って言ったら「わかった」と言ってくれました。
―ちなみに、地元の友達からは応援されてました? 突然「アーティストを目指す」と言って笑われたりしなかったですか?
そうやって思われるのがめんどくさくて、言ってなかったんですよね。すごく仲いい友達くらいにしか言ってなかったです。
―私も地方出身なんですけど、特に東京の都心とかではなく地方に住んでいると、「アーティストになる」「音楽・芸能界に入る」なんて「自分とは別世界の遠い夢だ」くらいに感じません?
逆に、愛知にいたからこそかもしれないです。東京に来てから「うわ、こんなにすごいやつがいっぱいいるんだ」と思ったんですけど、愛知にいるときは逆に「絶対にいけるっしょ」みたいな自信がありました。だからこそ決断できたのだと思います。
―でも実際にオーディションを受けてみると、書類審査で落ちるものが多かったと。
そうなんです、色々ありましたね。もともと歌もダンスも習いたかったんですけど、ダンスの体験レッスンに行ったとき、僕は部活を引退した直後だから真っ黒で坊主で。だから馬鹿にされたというか。それがめっちゃ恥ずかしかったし、もっと上手くなってから習えばいいかと思って、ダンスレッスンは受けるのをやめたんです。
―そこからYouTube見たりしながら、独学でダンスの練習をしていたんですよね。BMSGのオーディション募集を見たときは、EIKIさんにとってどういう気持ちの時期だったんですか?
年齢的にも事務所を選ぶ立場ではないとわかっていたので、有名なオーディションはほぼ全部受けていて、でも全部落ちて、「どうしよう」ってなっていたときでした。たまたま『THE FIRST』(BE:FIRSTを輩出したオーディション)がTikTokで流れてきて、ホームページに行ってみたらたまたま募集していたので、「これは来たかも」ってなりました。
―何が「来たかも」と思わせたのでしょう?
『THE FIRST』の前に、BE:FIRSTの初期のライブだと思うんですけど、黒いスーツで「Brave Generation」を歌っている映像を見て衝撃を受けたんです。K-POPだとがっつり踊っていることが多いけど、全然踊らずに、ただステージの上手下手に移動しながら歌っていて、「こんなにカッコいいグループがあるんだ」と思って。その中でも特に「この黒髪のかっこいい子、何?」と思ったのがSHUNTO。年齢を調べたら僕の2個下とかで、「こんなに若い子がデビューしてるのなら、この事務所も(自分は)さすがに無理か」みたいな諦めがあったんですけど、そのあと『THE FIRST』に出会って、ホームページを見たら年齢もクリアしていて。「入りたいけど、これは無理だろう」と思っていた会社にチャンスが現れたので、「これは来たかも」という感じでした。
―SHUNTOさんのどういった部分にそこまで惹かれたんですか?
想いを伝える歌やアーティストが好きで。ただかっこいいだけじゃなくて、魂から歌ってる感じ。もちろんみんなよかったんですけど、特にSHUNTOに「すげえかっこいい」ってなりました。
―しかも「Brave Generation」を書いたのはNovel Coreさんで、そのNovel Coreさんの曲(「DOG -freestyle-」)を二次審査で踊ったというのは縁を感じますね。BMSGや『THE FIRST』の方針にも、心動くところがありました?
日髙さんの温かさに惹かれましたね。それまでのオーディションでは、一次の書類審査が通って面接を受けることになっても、パフォーマンスや今までの経歴だけを見られているのだろうなという認識があったんです。『THE FIRST』を見て、「この人だったら自分の内面までちゃんと見てくれるだろうな」というフィーリングがありました。「この人に会いたい」って率直に思いましたね。
「世界や日本を獲る」ということよりも大事にしたかったこと
―オーディション期間中、曲を作って日髙さんに送られたそうですが、オーディションを受ける前から曲作りはされていたんですか?
『THE FIRST』にクリエイティブ審査があって、「これができないとBMSGには入れないよな」と思って1曲作ったんです。日髙さんにお聴かせしたのは、人生2曲目です。
―1曲目は、どんな曲だったんですか?
その頃から言葉に意味を込めることが好きで。切羽詰まっていたけど、やっと音楽を作ったり表現したりという大好きなことに出会えたから、「お前、頑張れよ」って未来の自分へ宛てた手紙みたいな曲です。今も聴けば「こんな時代もあったな。頑張ろう」という気持ちになれる曲なんです。
―その頃からEIKIさんの素敵なリリシズムを発揮されていたんですね。日髙さんに送った人生2曲目は、どんなことを書いたんですか?
「英雄」という曲を書きました。オーディション中に体調不良になってしまって、1週間以上、ひとりでホテルにいた時期があったんです。そのとき、オーディションだからライバルなはずなのにみんなすごく親身になってサポートしてくれたり、スタッフさんもすごく温かくて。周りにいる人がヒーローに見えた、という曲を書いて社長に聴いてもらいました。
―そういった2曲が、MAZZELの「Love Letter」へと繋がっていくんですね。
そうですね。オーディション中に聴いてもらった曲がすごくエモーショナルで、「そういうリリシズムが欲しいよね」と社長が思ってくださったみたいで。最初は「アイデアをちょうだい」みたいな感じだった気がするんですけど、セッションするうちに、自分がこだわりの強いタイプなこともあって、わがままを言いながら作らせてもらいました。「Love Letter」は自分からメンバーへの感謝の気持ちとか、愛の手紙という一面もありつつ、何よりもメンバーに伝えたかったのは8人それぞれにバックボーンがあって、世には出てない過去の挫折とかも知っているからこそ、それを肯定したいということでした。パート分けも、そういうところにこだわって書きました。
―それほどまでに濃くて大事な曲を完成させて、それを実際にステージ上で全員で歌うといった経験は、EIKIさんにどんな変化をもたらしました?
サプライズでメンバーにデモを聴かせたときに「いい曲だね」って褒めてくれて喜んでくれたことが、何よりも嬉しかったです。昔から言葉を大切にしているタイプなんですけど、社長もそういうタイプじゃないですか。そんな社長にも「言葉のセンスがいいよ」と認めてもらえたことが、すごく自信になりました。この考え方とか心の持ちようは間違ってないんだなって、率直に思えました。
―そもそも言葉を大切にしたいという想いとか、EIKIさんの言語感覚は、どういったものから培ったものなんですか?
RADWIMPSの野田(洋次郎)さんの影響が強いと思います。昔からお母さんが好きで車とかで流れていて、お兄ちゃんも好きで、ずっと聴いていて。歳を取るにつれて歌詞をちゃんと見るようになって、1個のフレーズ、1個の言葉をとっても、素敵な表現をされているなと思って。そこからいろんなアーティストさんの曲を聴くときに歌詞も見るようになって、「こういう表現いいな」みたいな感じで、どんどん好きになっていったんだと思います。
―ドキュメンタリー「MAZZEL Documentary Film "Maze to Parade"」で、小さい頃から歌もダンスも鍛えてきた人たちが集まっているMAZZELやBMSGというスター集団の中で、自信をなくした瞬間があったと語る場面がありましたよね。その頃の心情について、触れさせてもらってもいいですか……デビュー1年目くらいの時期ですよね?
そうですね。本当に一番悩んでいた時期で。ツアー前だったこともあって、「結果を出さなきゃ」みたいなチームの雰囲気があって。でも自分は「世界に行くって何?」「世界を獲る、日本を獲るって言うけど、獲るって何?」みたいなことを考えてしまっていたんです。何のためにアーティストをしているのだろう、今の自分は何がしたいんだろうという気持ちになっちゃって。「チームがそういうふうに向いているんだったら、俺はいらないんじゃないかな」とまで思ってしまった時期でした。
―EIKIさんとしては「世界や日本を獲る」ということよりも、何を大事にしたかったのでしょう。
それはずっと変わらず、世界平和。これはぴあアリーナ(『MAZZEL 1st One Man TOUR 2024 ”Join us in the PARADE”』追加公演)のMCでも言ったことなんですけど、本当に小さい頃からずっと思っていて。エンタメ業界って、勝ち負けがないようであるようでないと思うんです。BMSGの「上り詰める、だけど蹴落とさない」という社訓がすごく好きなんですけど、「争う必要なんてないじゃん」と思っていて。「なんで争うんだろう」と思っていたからこそ、「トップになりたい」ということにあまり共感できなかった、という感じですね。
―その葛藤は、今はなくなった感じですか?
そうですね。結果を求めることにエゴが出てきたというのもあるんですけど、やっぱりMAZZELは「幸福」「情熱」「迷路」という意味が込められているグループだから、この思考でも別に間違ってないかと思うようになりました。MCで言った日、社長も見てくださっていて、ライブが終わったあとに「俺もそれ(世界平和)をMCで言ったことあるよ」って言ってくださって、「同じ考えの人がいる!」と思って。そのあと少し話したんですけど、考えがすごく似ていて、「この人に出会うためにこの会社に入ったわ」と思ったし、社長がそう思っているんだったら絶対に間違いないなって。MAZZELがデカくなればなるほど、自分の言葉の説得力が増すじゃないですか。そうなっていけば、より平和に近づく世界になるなって思うので、自分の考えは間違ってないんだなって今は思います。
―世界平和を作ろうとすることも、MAZZELが駆け上がっていくことも、道が異なるわけではないと思えたんですね。
エンタメをやっている人たちが全員協力すれば、マジでいつか世界平和が叶うって本気で思っているからこそ、エンタメ側の人たちが順位をつけて争っていたら元も子もないなって思うんですよね。そんな甘くはないんですけど……でもいつかそういう世界にしたいなという気持ちです。
―自分への自信は、どうですか? もちろん、自信って一回手に入れたらずっと手元にあるものでもないけれども。
たしかに。自分のことを俯瞰して見られるようにもなったので、自分が今どれくらい成長していて、逆に何が足りなくて、ということがわかるようになりました。「自分なんか」と思って落ち込むこともすごく多かったんですけど、ツアーを通して、ライブハウスからアリーナまでいろんな規模でやらせていただいて、いろんな距離感でMUZE(ファン)と会う機会があった中で、こんなにも多くの人の人生や生活を背負っているんだって考えたら、今自分が落ち込んでるのって本当にかっこ悪いし、情けないし、甘いなという考えになりました。今もたまに「うわあ、自信ないな」みたいになる瞬間もあるんですけど、「そんなことを考えている暇があったら練習しろ」って、自分の中の自分に言われてる感覚になります。
―かっこいいです。それがまさしく、正しく努力ができるEIKIさんの強さですね。
ありがとうございます。
―去年10月には「最強スポーツ男子頂上決戦2024秋」(TBS系列)に出演し、5位になりましたが、放送後に涙を流されていましたよね。どんな想いを背負ってあの番組に出て、どんな想いがあの涙に込められていたと言えますか?
お話を受けた頃は、テレビの歌番組とかにあまり出られていない時期で。そんな中で、先輩とかトレーニーがかっこいいパフォーマンスをしているのをメンバーと見ていたりもして、テレビの影響力のすごさも実感していたので、これがきっかけで1人でもMUZEになってくれる人がいたらいいなという想いで出ることを決めました。
―「5位」は素晴らしい結果ですけど、EIKIさんとしては悔しかったですか?
そうですね、あの涙はシンプルに悔し涙でした。最後の種目(ハードジャンパー)は自信があったので、それに懸けていたと言っても過言ではないくらいだったのに、そこでミスをしたことが悔しくて。でもあの場の緊張感も含めて、楽しかったです。「かっこよかったよ」って言ってくれる人がいっぱいいて、メンバーも応援してくれて、終わったあとに社長もメッセージをくれたりしたので、出てよかったなって思いました。
透き通る綺麗さ、品、まっすぐさみたいなものが担保できるようなアーティストになりたい
―ここまでいろんなお話を聞かせてもらいましたが、MAZZELに入ってからこれまでで、一番のターニングポイントを挙げるとすると?
うわあ、難しい……! でも「Love Letter」かな。ツアーではアカペラをやらせてもらって、自分の歌は間違ってないって、すごく肯定してくれた曲です。
―これもみんなに聞いている質問なのですが、MAZZELとしてステージでパフォーマンスする中で、自分はどういう役割を担いたいと思っていますか?
MAZZELって、いろんな色があるじゃないですか。そんな中で、自分は透明でいたいという意識です。EIKI(瑛宜)の「瑛」の漢字には「水晶」みたいな由来があるんですけど、歌声も見た目もダンスも所作も言葉も全部美しくありたいです。透き通る綺麗さ、品、まっすぐさみたいなものが担保できるようなアーティストになりたいなと思います。あとはやっぱり言葉を伝えることが好きだし、それは自分にしかないウェポンだと思うので、そういうところでチームに貢献できたらなと思いますね。
―EIKIさんの言葉や、今日聞かせてもらったようなまっすぐの努力や想いからくる美しさは、MAZZELの中で強い光になっていると思います。
ありがとうございます。デビュー時期に思っていたところに立ち返るんですけど、洒落たことを言うなら、「Vivid」の歌詞の通り、MAZZELには「星座」という言葉がぴったりだなと思っていて。8個の星があって、一人ひとり輝いているけど、それがひとつになってできた星座はすごく綺麗。そういうグループになれたらいいなって思いますし、その中のひとつとしていっぱい輝けるようになりたいなと思います。
―個人としてやりたいことや叶えたい夢はありますか?
作詞、曲作りはいっぱいしたいです。あと、お芝居もやりたいです。お芝居も、言葉を伝える仕事だと思うんです。最近は小説も書きたいなと思っています。映画も小説も大好きなので、インスピレーションを受けて、「こういうテーマの小説があったら面白そうだな」みたいなメモをこっそりたくさん取っています。
―それを読める日を楽しみにしています。この先MAZZELとして描きたい夢を、EIKIさんはどのように想像していますか?
『MISSIONx2』って、大々的に「オーディションやります!」みたいな感じでスタートしたわけではないので、ファンの方の中にも「もっとこういう感じの始まり方だったらな」みたいなことをポジティブに言ってくださる方がいると思うんです。でも僕からしたら、あれでよかったなってすごく思ってて。もしMAZZELを作るオーディションが違う形だったら、この8人は絶対に集まってない。特に自分なんかは、このオーディションだったからMAZZELになれたと思っています。今までMUZEと一緒に地道に一歩ずつ走ってこられたので、そのスタンスは変わらずに続けていきつつ、描いている目標は全部叶えるくらいの強気な姿勢でMUZEを引っ張っていけたらなって思います。メンバーみんな、視座も目標もすごく高いので。その中でも腰は低く、グループとしての謙虚さは常に忘れずにいたいです。もっとグループとして大きくなって、発言や行動に説得力を持てるように頑張っていきたいなと思います。MAZZELが大きくなればなるほど、グループ名の由来にあるような「多幸感」が世に広まっていくという自信があるので。
―すごく素敵な言葉です。みんなが聞きたかったであろう言葉も、ありがとうございます。
これは言いたかったんですよね。『No No Girls』もすごく盛り上がったし、「MAZZELだけなんで?」みたいに思っている人も多いだろうし、メンバーも思っているかもしれないけど、俺はあの過去だったから今があるってポジティブに捉えているんですよね。ホームページにちょこんって募集が載っていただけのオーディションなので、それに気づいて募集してきた執念深い8人なんです。その強さがこれから絶対に活きてくるなと思うので、プラスに捉えてほしいなって思います。
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▼CD収録内容 ※全形態共通・新曲A(表題曲)・J.O.K.E.R.・新曲B・新曲C・新曲D
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「MAZZEL 2nd One Man Tour 2025 ”Royal Straight Flush”」
4月23日(水)・24日(木)神奈川・カルッツかわさき
お問い合わせ先:クリエイティブマン 03-3499-6669 (月・水・金 12:00-16:00)
4月30日(水)・5月1日(木)大阪・オリックス劇場
お問い合わせ先:キョードーインフォメーション 0570-200-888 (12:00-17:00 土日祝休業)
5月6日(火・祝)新潟・新潟テルサ
お問い合わせ先:キョードー北陸チケットセンター 025-245-5100火~金12:00~16:00, 土曜10:00~15:00(休業日:月・日・祝日)
5月12日(月)・13日(火)北海道・札幌文化芸術劇場hitaru
お問い合わせ先:マウントアライブ 050-3504-8700(平日 11:00〜18:00)
5月15日(木)宮城・仙台銀行ホール イズミティ21
お問い合わせ先:GIPお問合せフォーム:https://www.gip-web.co.jp/t/info
5月28日(水)福岡・福岡サンパレス
お問い合わせ先:キョードー西日本 0570-09-2424 (月〜土 11:00〜15:00)
5月30日(金)広島・広島文化学園HBGホール
お問い合わせ先:YUMEBANCHI(広島)082-249-3571(平日12:00~17:00)
6月2日(月)香川・レクザムホール 大ホール
お問い合わせ先:デューク高松 087-822-2520(平日11:00~17:00)
6月11日(水)・12日(木)愛知・Niterra日本特殊陶業市民会館フォレストホール
お問い合わせ先:サンデーフォークプロモーション 052-320-9100(全日12:00-18:00)
6月19日(木)・20日(金)大阪・大阪国際会議場 メインホール
お問い合わせ先:キョードーインフォメーション 0570-200-888 (12:00-17:00 土日祝休業)
8月23日(土)・24日(日)東京・有明アリーナ
お問い合わせ先:クリエイティブマン 03-3499-6669 (月・水・金 12:00-16:00)