メジャーでも観たかった…阪神、MLBに行かなかった歴代選手6人

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 近年は多くの日本人選手が海を渡り、メジャーリーグの舞台で活躍している。長いプロ野球の歴史を振り返ると、「もしメジャーに挑戦していれば、どのような成績を残していたのか?」と想像が膨らむ選手も少なくない。そこで今回は、MLBでのプレーを観たかったとの声も多い阪神タイガースの歴代選手を紹介したい。

 

今シーズンのメジャーリーグは

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鳥谷敬

・投打:右投左打

・身長/体重:180cm/79kg

・生年月日:1981年6月26日

・経歴:聖望学園高 - 早稲田大

・ドラフト:2003年ドラフト自由枠

 

 球界屈指の遊撃手として、ベストナイン6回、ゴールデングラブ賞5回に輝いた鳥谷敬。2014年オフに海外フリーエージェント(FA)権を行使し、メジャー移籍を目指したが、契約には至らなかった。

 

 2003年ドラフト自由枠で阪神タイガースの一員となった鳥谷。ルーキーイヤーから101試合に出場し、翌2005年には正遊撃手の座を手中に収めた。

 

 

2009年には自己最多の20本塁打を放つと、翌2010年は打率.301、19本塁打、104打点、13盗塁の好成績をマークした。

 

 2011年には最高出塁率(.395)のタイトルを戴冠。また、2005年から13シーズン連続で全試合出場を果たすなど、鉄人ぶりも光った。

 

 2014年オフにメジャーへのFA移籍を試み、複数球団が獲得に興味を示したが、条件が折り合わず残留となった。

 

 FA当時33歳とベテランの域に入っており、もう少し早い段階でメジャー挑戦を目指していれば、大型契約の可能性もあり得ただろう。

能見篤史

・投打:左投左打

・身長/体重:180cm/74kg

・生年月日:1979年5月28日

・経歴:鳥取城北高 - 大阪ガス

・ドラフト:2004年ドラフト自由枠

 

 高い奪三振能力を誇った能見篤史。メジャーリーグに移籍していたら、同じサウスポーである今永昇太(現:カブス)のような活躍ができた可能性もあるだろう。

 

 大阪ガスから2004年ドラフト自由枠で阪神タイガースに入団した能見。プロ入り後は先発、中継ぎの両軸で経験を積んだ。

 

 

 プロ5年目の2009年に先発ローテーションに定着し、13勝9敗、防御率2.62の好成績をマーク。

 

 その後は先発の柱となり、2012年には最多奪三振(172個)のタイトルを獲得。翌2013年のWBCでは日本代表に選出され、貴重な戦力となった。

 

 2桁勝利5度の実績を持つ中、2018年から再び救援に転向。同年は45試合の登板で20ホールドポイント(4勝16ホールド)、防御率2.56と中継ぎでも結果を残した。

 

 2020年オフにはオリックス・バファローズに移籍。43歳を迎えた2022年まで現役を全うした。

 

 阪神、オリックスの2球団でキャリアを終えたが、メジャーでの活躍が観たかった選手の1人だ。

久保田智之

・投打:右投右打

・身長/体重:181cm/95kg

・生年月日:1981年1月30日

・経歴:埼玉・滑川高 - 常磐大

・ドラフト:2002年ドラフト5巡目

 

 2007年にNPB最多となるシーズン90試合に登板した久保田智之。海を渡っていたら、どのような成績を残していたのか、想像が膨らむ投手の1人だ。

 

 2002年ドラフト5巡目で阪神タイガースに入団。プロ入り後は先発、中継ぎの両軸で起用されていたが、プロ3年目の2005年は守護神を担い、27セーブを挙げた。

 

 

 2007年にはセットアッパーに回り、90試合登板、9勝3敗46ホールド、防御率1.75と傑出した数字をマーク。

 

 翌2008年は69試合の登板で37ホールドポイント(6勝31ホールド)を記録し、2年連続で最優秀中継ぎ投手に輝いた。

 

 2010年には71試合に登板するなど、ブルペンを支えていたが、登板過多の影響もあって翌2011年以降は不調に。その後も思うような投球はできず、2013年に現役を引退した。

 

 トルネード気味の投球フォームから繰り出される最速157キロの剛速球で打者を圧倒するスタイルは、メジャーリーグの強打者を相手にどこまで通用していただろうか。

掛布雅之

・投打:右投左打

・身長/体重:175cm/77kg

・生年月日:1955年5月9日

・経歴:習志野高

・ドラフト:1973年ドラフト6位

 

 不動の4番打者として君臨し、“ミスタータイガース”と呼ばれた掛布雅之。仮にメジャーリーグに移籍した場合、どのような成績を残していただろうか。

 

 1973年ドラフト6位で阪神タイガースに入団し、ルーキーイヤーから一軍デビュー。高卒3年目の1976年には早くもレギュラーに定着した。

 

 

 1979年には打率.327、48本塁打、95打点、10盗塁と傑出した数字を残し、自身初の本塁打王を戴冠。1982年には35本塁打、95打点で打撃2冠(本塁打・打点)に輝いた。

 

 1984年には3度目の本塁打王(37本)を獲得し、翌1985年には打率.300、40本塁打、108打点の活躍で、球団初となる日本一の原動力となった。

 

 しかし、翌年以降は故障に泣き、1988年に33歳の若さで現役引退を決断した。

 

 それでも、7度のベストナイン、6度のダイヤモンドグラブ賞(現:ゴールデングラブ賞)を受賞し、球団最多の通算349本塁打を記録。

 

 当時はメジャーリーグ挑戦を目指す選手はほとんど存在せず、掛布も阪神一筋でキャリアを終えた。

赤星憲広

・投打:右投左打

・身長/体重:170cm/66kg

・生年月日:1976年4月10日

・経歴:大府高 - 亜細亜大 - JR東日本

・ドラフト:2000年ドラフト4位

 

 プロ1年目から5年連続で盗塁王を獲得するなど、持ち前の俊足で球界を席巻した赤星憲広。けがによって9年間と短い現役生活だったが、そのスピードは世界でも通用していただろう。

 

 JR東日本から2000年ドラフト4位で阪神タイガースに入団。ルーキーイヤーからレギュラーを奪うと、打率.292、39盗塁を記録し、盗塁王と新人王に輝いた。

 

 

 2003年には全140試合出場、打率.312、1本塁打、35打点、61盗塁の好成績を収め、自身初のベストナインとゴールデングラブ賞をW受賞。

 

 同年から3年連続で打率3割をクリアするなど、安定した打撃成績を残した。広い守備範囲を誇る外野守備の評価も高く、ゴールデングラブ賞に6度選出。

 

 しかしながら、2009年9月の試合で脊髄を損傷し、同年限りで現役引退を決断。わずか9年のプロ野球生活となった。

 

 仮にメジャーリーグに移籍していた場合、どこまで盗塁を記録できただろうか。

岡田彰布

・投打:右投右打

・身長/体重:175cm/77kg

・生年月日:1957年11月25日

・経歴:北陽高 - 早稲田大

・ドラフト:1979年ドラフト1位

 

 12年連続2桁本塁打を放ち、主軸打者として活躍した岡田彰布。打撃タイトルの獲得こそなかったが、現代であれば、メジャーリーグ移籍も視野に入っていた選手の1人だろう。

 

 早稲田大から1979年ドラフト1位で阪神タイガースに入団。ルーキーイヤーから二塁のレギュラーを奪い、打率.290、18本塁打、54打点の活躍で新人王に輝いた。

 

 

 その後もチームの中心を担い、1985年には127試合出場、打率.342、35本塁打、101打点の好成績をマーク。

 

 同年は打撃タイトルに匹敵する数字を残していたが、チームメイトのランディ・バースに阻まれた。それでも、二塁手部門で自身初のベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞(現:ゴールデングラブ賞)を受賞。

 

 キャリア終盤はオリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)に移籍し、1995年に現役を引退。

 

 また、当時はメジャーへの移籍手段が確立されておらず、国内2球団で現役生活を全うした。

 

 

【了】