メジャーでも観たかった…MLBに行かなかった歴代選手6人。日本球界を席巻し…

プロ野球 最新情報

 近年は多くの日本人選手が海を渡り、メジャーリーグの舞台で活躍している。長いプロ野球の歴史を振り返ると、「もしメジャーに挑戦していれば、どのような成績を残していたのか?」と想像が膨らむ選手も少なくない。そこで今回は、MLBでのプレーを観たかったとの声も多い歴代選手を紹介したい。

 

今シーズンのプロ野球はDAZNで生中継!

月額1270円お得に観るなら[PR]

 

落合博満

・投打:右投右打

・身長/体重:178cm/82kg

・生年月日:1953年12月9日

・経歴:秋田工 - 東洋大 - 東芝府中

・ドラフト:1978年ドラフト3位

 

 歴代最多となる3度の三冠王に輝き、NPB史上最高の右打者と称された落合博満。メジャーへの思いはあったものの、時代背景もありメジャー移籍は実現しなかった。

 

 1978年ドラフト3位でロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に入団。プロ3年目の1981年に127試合の出場で打率.326をマークし、首位打者を獲得した。

 

 

 翌1982年には128試合の出場で打率.325、32本塁打、99打点の好成績を残し、当時の史上最年少記録となる28歳で三冠王に輝くなど、瞬く間に一流打者へと駆け上がった。

 

 特に1985年は全130試合出場、打率.367、52本塁打、146打点、OPS1.244と傑出した成績を収め、2度目の三冠王を戴冠。翌1986年にも2年連続3度目の三冠王に輝いた。

 

 1987年、中日ドラゴンズへのトレード移籍後も数々の打撃タイトルを獲得。その後は読売ジャイアンツ、日本ハムファイターズと渡り歩き、1998年限りでユニフォームを脱いだ。

 

 社会人を経由したため、26歳と遅いプロ入りになったが、首位打者、本塁打王、打点王をそれぞれ5回、ベストナインには10回選出されるなど、その実績は群を抜いていた落合。

 

 日本プロ野球屈指の強打者だけに、メジャーリーグに挑戦していた場合、どのような成績を残していたか、想像が膨らむ。

山本浩二

・投打:右投右打

・身長/体重:183cm/82kg

・生年月日:1946年10月25日

・経歴:廿日市高 - 法政大

・ドラフト:1968年ドラフト1位

 

 NPB歴代4位の通算536本塁打を放った山本浩二。打撃もさることながら、守備や走塁も優れた選手であった。

 

 法政大から1968年ドラフト1位で広島東洋カープに入団すると、ルーキーイヤーから引退した1986年まで18年連続で規定打席に到達し、2桁本塁打を続けた。

 

 

 特に1980年には全130試合出場、打率.336、44本塁打、112打点、14盗塁の成績で打撃2冠(本塁打、打点)を獲得。

 

 打撃のみならず、11年連続で2桁盗塁をマークしており、1975年には自己最多の24盗塁を記録した。

 

 また、外野守備にも定評があり、302守備機会連続無失策で当時のセ・リーグ記録を樹立。10年連続で外野手部門のダイヤモンドグラブ賞(現:ゴールデングラブ賞)に選出された。

 

 広島一筋で現役生活を終えた“ミスター赤ヘル”だが、当時はメジャーリーグに移籍する選手は皆無。

 

 攻守ともに傑出した実績を残したレジェンドだけに、メジャーリーグに挑戦する姿を観たかった選手の1人であることは間違いないだろう。

秋山幸二

・投打:右投右打

・身長/体重:186cm/86kg

・生年月日:1962年4月6日

・経歴:八代高

・ドラフト:1980年ドラフト外

 

 1987年に43本塁打、38盗塁を記録し、プロ野球史上初の「40‐40」にあと一歩まで迫った秋山幸二。走攻守で圧倒的なパフォーマンスを発揮し、“メジャーに1番近い男”と称された。

 

 1980年ドラフト外で西武ライオンズに入団した秋山は、高卒5年目となる1985年からレギュラーに定着し、40本塁打をマークした。

 

 

 同年から9年連続で30本塁打以上、8年連続で2桁盗塁をクリアするなど、高い身体能力を誇った。

 

 特に1989年には打率.301、31本塁打、99打点、31盗塁と傑出した成績をマークし、史上5人目の“トリプルスリー”を達成した。

 

 外野守備でもスピードを活かした広い守備範囲と強肩で、ゴールデングラブ賞に計11回選出されるなど、日本球界屈指の万能外野手として名を馳せた。

 

 ただ、秋山が活躍した時代は現代のようにメジャーリーグに挑戦する選手がほとんどなく、また、FA取得時にはすでに33歳を迎えていたことから、メジャー移籍は実現しなかった。

 

 しかしながら、メジャーリーグで大活躍してもおかしくない成績を残したといっても、過言ではないだろう。

江川卓

・投打:右投右打

・身長/体重:183cm/90kg

・生年月日:1955年5月25日

・経歴:作新学院高 - 法政大

・ドラフト:1978年ドラフト1位

 

 高校時代から異彩を放ち、プロ野球生活は9年間と短命だったものの、8年連続で2桁勝利を挙げた江川卓。もし海を渡っていたら、どのような成績を残していたか想像が膨らむ投手だろう。

 

 作新学院高時代には、公式戦で9度のノーヒットノーランを達成するなど、“怪物”と呼ばれた江川。入団拒否や様々な経緯を経て、1979年に読売ジャイアンツに入団した。

 

 

 プロ1年目こそ9勝に終わったが、翌1980年から引退した1987年まで8年連続で2桁勝利をマーク。

 

 特に1981年は31試合登板、20完投、7完封、20勝6敗、221奪三振、防御率2.29と傑出した数字を残し、投手4冠(防御率、勝利、勝率、奪三振)に輝いた。

 

 右肩痛が引退のきっかけとなったが、全盛期は無尽蔵のスタミナを誇り、1982年には31先発のうち、24試合で完投を記録している。

 

 また、ストレートとカーブの2球種ながら、打者を圧倒し、奪三振を量産した。メジャーの強打者にも通用していたのか、対戦を見てみたかった投手だ。

清原和博

・投打:右投右打

・身長/体重:188cm/104kg

・生年月日:1967年8月18日

・経歴:PL学園高

・ドラフト:1985年ドラフト1位

 

 高卒1年目から31本塁打を放ち、NPB歴代5位の通算525本塁打を記録している清原和博。現役時代にメジャー球団からオファーがあったことも、のちに明かしている。

 

 PL学園高時代には1年時から4番打者を務め、5度出場した甲子園では通算13本塁打を放つなど、甲子園のスターとして注目を浴びた。

 

 

 1985年ドラフト1位で西武ライオンズに入団すると、高卒1年目にして31本塁打をマークし、新人王を受賞。

 

 1990年には打率.307、37本塁打、OPS1.068の好成績を残すと、1992年には出塁率.401をマークし、最高出塁率のタイトルを戴冠。その後、打撃主要タイトルの獲得はなかったが、毎年本塁打を量産した。

 

 1997年にFA権を行使して読売ジャイアンツへ移籍すると、2002年にはリーグ優勝と日本一に貢献。引退前々年の2006年までシーズン2桁本塁打を継続するなど、天性の打撃力を誇った。

 

 また、一塁守備にも定評があり、一塁手部門のゴールデングラブ賞に5度選出されるなど、守備面でも輝きを放った。

 

 西武、巨人、オリックス・バファローズの3球団を渡り歩き、キャリアを終えた清原。現代であれば、メジャーリーグに挑戦しても遜色ない成績を収めていたといえる。

岩瀬仁紀

・投打:左投左打

・身長/体重:181cm/84kg

・生年月日:1974年11月10日

・経歴:西尾東高 - 愛知大 - NTT東海

・ドラフト:1998年ドラフト2位

 

 プロ野球史上最多となる通算1002試合登板、407セーブを記録し、今年1月に野球殿堂入りを果たした岩瀬仁紀。メジャーリーグでの活躍が見たかった選手の1人だろう。

 

 NTT東海から1998年ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団。ルーキーイヤーからセットアッパーを担うと、65試合の登板で防御率1.57と好成績を残し、最優秀中継ぎ投手に輝いた。

 

 

 2004年からはクローザーを任されると、翌2005年には46セーブを挙げ、最多セーブのタイトルを獲得。翌年以降も中日の絶対的守護神として安定した成績を残し続けた。

 

 代名詞となった鋭く曲がるスライダーを武器に抜群の安定感を誇り、当時の落合博満監督からも絶大な信頼が寄せられた。

 

 現役生活20年間で5度のセーブ王を獲得。加えて、プロ1年目から15年連続50試合登板をクリアするなど、“鉄人”ぶりが光った岩瀬。

 

 中日一筋でキャリアを終えたため、メジャー移籍はなかったが、MLBの舞台でも活躍していた可能性は高いだろう。

 

 

【了】