アメリカン・スピードの象徴|最高時速900km/hを超えるマシンがオークションに!

自動車が誕生して間もない1898年、フランスでの時速39.24マイル(約63.14km/h)の記録から始まったランドスピードレコード(地上最高速)。20世紀になると、この記録への挑戦は、個人の名誉だけでなく、国の威信をかけたものへと変わっていった。フランス、ベルギー、イギリス、アメリカの挑戦者たちは、それぞれ100マイル(約160.93km/h)、200マイル(約321.87km/h)、300マイル(約482.80km/h)という壁を打ち破るべく競い合った。

【画像】驚異的なエンジンでスピードを追求した、唯一無二の一台「スピリット・オブ・アメリカ ソニックI」(写真9点)

しかし、ランドスピードの「本当の競争」が幕を開けたのは、カリフォルニア出身のクレイグ・ブリードラブが1963年8月に「スピリット・オブ・アメリカ」で時速407.447マイル(約655.72km/h)を記録してからのことだ。それまでの記録車両は車輪駆動方式を採用していたが、彼のマシンはGE J47ターボジェットエンジンを搭載し、純粋に推力で走行する斬新な設計を採用。戦闘機F-86セイバーにも使用されたこのエンジンにより、ユタ州ボンネビル・ソルトフラッツにおいてランドスピードは「ジェット時代」に突入した。

ブリードラブの記録はすぐにアーフォンズ兄弟が挑戦を挑むこととなる。ウォルトとアートの両名は、それぞれ「ウィングフット・エクスプレス」および「グリーンモンスター」というジェットカーで記録を狙った。対抗策としてブリードラブが生み出したのが、ここで紹介するスピリット・オブ・アメリカ ソニックIである。その名が示す通り、音速突破を目指したこの車は、従来の3輪設計から4輪設計へと進化し、「コークボトル」形状の全長34フィートを超える車体にGE J79ターボジェットエンジンを搭載。このエンジンは戦闘機F-4ファントムIIに使用されるもので、アフターバーナー作動時には15,000ポンドもの推力を発揮した。

タイヤはメインスポンサーであるグッドイヤーが特別設計したものを装着。鍛造アルミホイールやディスクブレーキを採用し、停止時には航空機スタイルのドラッグシュートが使用された。さらに、ドライバーには車内で使用可能な空気供給システムも備えられていた。

1965年11月2日、ソニックIはブリードラブの手によって時速555.485マイル(約893.97km/h)を記録。しかし、数日後にはアート・アーフォンズの「グリーンモンスター」にその記録を塗り替えられる。これに対し、ブリードラブは同年11月15日、時速600.601マイル(約966.57km/h)を達成。人類で初めて600マイル(約965.61km/h)の壁を突破したドライバーとなった。この挑戦には妻のリーも加わり、彼女は同車で時速308.506マイル(約496.45km/h)を記録し、女性として最速の称号を手にした。

その後、ブリードラブはさらなる記録更新を目指していたものの、計画は実現せず。彼の1965年の記録は1970年10月まで保持され、その後、音速の壁を打ち破る車が登場するのは1997年の「サストSSC」まで待つこととなる。

1975年以降、このソニックIはインディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ミュージアムで管理されてきた。1980年のデイトナ・インターナショナル・スピードウェイや1995年のロサンゼルス・ピーターセン自動車博物館で展示されるなど、時折その姿を公開されている。ランドスピード記録の歴史を語る上で欠かせない存在であり、クレイグ・ブリードラブが生涯で達成した最速記録を刻んだ車でもある。

この記録的なマシン「スピリット・オブ・アメリカ ソニックI」は、2025年2月27日から28日に開催されるRMサザビーズ主催の「MIAMI」オークションに出品される予定だ。推定落札価格は50万~100万ドル(約6億5,000万~13億円)。初のプライベートセールスとして市場に登場するこのソニックIは、スピードとその追求に焦点を当てたコレクションにおける象徴的な存在となるだろう。アメリカの技術革新と、「何でも可能」という楽観的な時代の精神を体現した唯一無二の一台である。