フェラーリ・テスタロッサを所有し、毎日ロンドンで乗り回している若きオーナーがいる。それは後期型の1台で、選んだカラーはノッチョーラ(ヘーゼルナッツ)だった。
【画像】テスタロッサの純正カラーには存在しない「ノッチョーラ」(写真4点)
イギリスの道はテスタロッサには狭かった
外見は人を欺くことがある。それまで、テスタロッサほど華やかで外向的なルックスのフェラーリはなかったが、それでいて、これほど扱いやすく実用的な12気筒フェラーリ・スーパーカーもなかった。ただ、おそらくそこが問題だったのだろう。ピニンファリーナが手がけた流麗なライン、鋭角なウェッジシェイプ、サイドのスリット、フィン、ルーバー、テールライトを覆うメタルケージに、ポップアップ式ヘッドライト… これでもかと盛り込まれた外観は、人間でいえば肩で風切る自信過剰な奴といったところで、いささか鼻につく。
しかも、搭載するのは12気筒エンジン (公式にはバンク角180度のV12だが、この記事では水平対向12気筒と呼ぼう)。耳をつんざく雷鳴がとどろき、暴れまわるに違いないと思われてしまう。こうして何年もの間、ほとんどの人は(設計上、明らかに考慮の外だったイギリスに住む者はとくに)、手に負えない車というイメージを持っていた。もちろん、それは間違いだ。人々は分かっていなかった。とはいえ、それを責めることはできない。
テスタロッサは誤解されやすい車だし、イギリスのように狭い国に住んでいると、のびのびと走らせる機会は限られ、大陸横断旅行に適した純粋なGTなど別世界の存在だ。このフェラーリは、外見はどこからどう見てもスーパーカーで、性能値もスーパーカーのそれだが、その魂は別物。何といっても過激さが足りない。その証拠にエアコンが付いている。
ミドエンジン・ボクサーの進化
テスタロッサは、1984年に512BBの後継として登場し、全長と全幅を拡大しつつ軽量化されていた(とはいえ1506kgだから、同時代のライバルと比べれば相当に重かった。野生派のアストンマーティン・ヴァンテージだけは例外だが)。
長く生産され、1991年に後期型が登場すると、まず512TR、続いてF512Mと、再び512の名が復活した。4943cc、燃料噴射式DOHCの12気筒エンジンは、先代の512BBと同じだったが、4バルブとなったことで最高出力は50bhp向上して390bhpとなり、最高速は180mphを超えた。モデルの変遷は、主にドアミラーとホイールナットで判断できる。最も純粋なのはモノスペッキオ・モノダード(シングルミラー・シングルナット)で、ドアミラーは1988年に2個となり、その1年後にはホイールもF40風のセンターロック式から、より一般的な5ボルトパターンに変わった。
こうしたデザインの変更とホイールの大径化(16インチから18インチへ)に加えて、1991年の512TRでは、エンジンとトランスアクスルの位置が下がり、ディファレンシャルと燃料噴射装置が改良され、圧縮比も引き上げられた。最終形である1994〜96年の512 M (モディフィカータ)は、へッドライトがポップアップ式ではなくなったが、NACAダクトとスプリットリム式ホイールを得て、凄みが増した。
新車価格が6万ポンドを超え、けっして安い車ではなかったにもかかわらず、テスタロッサの販売数は1万台に迫った。現在の価格帯は、ざっと10万〜20万ポンドと幅がある。じわじわと上がってはいるものの、同時代のライバルに比べたら、依然として理不尽なまでに過小評価されている。
色替えに悩む
写真のテスタロッサは左ハンドルで、出荷時の塗色はロッソコルサ(色については後述)、インテリアはブラック、ツインミラーと5ボルトホイールだったので、スペックとしては最もありふれたタイプだ。聖杯と見なされるのは、ホワイトの塗色にタンのインテリアで、モノスペッキオ・モノダードの1台である。さらに右ハンドルならイギリス人にとってはボーナスだ。しかし「Octane』が注目したのは、現オーナーが入手してからたった2年で2万4000kmを走行している点だった。ひどく魅力的で興味深い1台に違いない。
読者には質問したいことがあるだろうから、説明しておこう。いいや、これはラッピングではない(厳密には)。こう見えてフェラーリの純正カラーだ。ただし、テスタロッサの純正カラーではない(デイトナ時代のノッチョーラ)。
そう、これは最近SNSでよく見かける、あの1台だ。今やロンドンで最も写真に撮られるクラシックカーになりつつある (これを上回るブリストルやシトロエンもあるが)。SNSでよく見るのには理由がある。オーナーのマーリン・アコーマックは30歳で、クラシックカー界に新風を吹き込んでいる。彼が率いるディーラー「デューク・オブ・ロンドン」は、パブやカフェも併設し、ウェストロンドンのブレントフォードで新たな人気スポットとなっているのだ。
マーリンはホットロッドやアメリカ車、ブリストルやBMW635ハイラインなど、幅広い車に囲まれて育った。それでいて、このフェラーリを選んだというのが面白い。彼はこう説明する。「僕は5歳のときにブラーゴのモデルを持っていて、大のお気に入りだったんだ。それ以来、何があっても僕のイメージは変わらなかった。F40と同じように、フェラーリに特有の"烙印”を免れている数少ないフェラーリだと思う」
「28歳の誕生日の直前に、仕事も順調だったから、1台購入できるぞと考えた。我慢できなくなって、イギリスで販売されている予算に収まるものを、すべて見にいった。5台あったよ。バーミンガムで1台見たあと、ジョージア(付き合って6年になるマーリンのガールフレンドで、オーブリー・ペック・オートモーティブの設立者)と家に向かっていたときだ。
運転は彼女に任せて、画面をスクロールしていたら、アウトフィチーナがeBayにこれを出品していたんだ。皮肉なことに、店は自宅から20分のところにあった。それで、さっそく連絡して、閉店になる前にその足で見にいった」
「僕が金額を提示すると、断られてしまった。帰途についたら、途中でジョージアに、あっさり引き下がるなんて大馬鹿者だといわれて、すぐに引き返した。たしかに、保証も付いていたし、エプソムにあるその店のスタッフは、保証でカバーされる作業の経験も豊富だった。その点は、車を僕の望みどおりの状態にする上で不可欠だった」
このテスタロッサは1989年製造で、新車でドイツへ納車され、日本で10年すごしたあと、2012年にイギリスへ渡った。イギリスへ来てからはシングルオーナーで、年間500km走行しており、それをマーリンが購入したのだ。ただし、ひとつ大きな問題があった。
「僕は赤いフェラーリが大嫌いなんだ! 購入したのは2022年3月で、夏の間だけ使って9月には売却してもいいかなと考えていた。ところが、その頃にはすっかりハマってしまって、手放せないことがはっきりした。だから色を変えるしかなかったんだ」
とはいえ、マーリンが狙っていたこのテスタロッサの純正カラーであるホワイトに戻そうとはしなかった。理由は、「それなら購入できる」が、ノッチョーラは手に入らないから。この色はマラネロのお気に入りで、多くのフェラーリに無数のバリエーションで使われてきたが、テスタロッサは1台もなかった。
こうして、魔法のようなPPS(ペイント・プロテクション・システム) をリッチフィールド・モーターズで施工してもらうこととなった。PPSは、既存のペイントの上を覆うフィルムだが、ラッピングと違ってスプレー式で、一般的な塗装作業と同様、ボディパネルをすべて取り外して塗装ブースで吹き付ける。そのため、細部まで完璧に仕上がり、長持ちするが、剥がし取ることが可能で、コストも再塗装の半分ほどで済むのだという。どう見ても「本物」のペイントにしか見えないことは請け合える。それでいて、オリジナルの赤が今も下にあると分かっているから、急に現金が必要になっても大丈夫だとマーリンは大船に乗った気持ちでいられる。テスタロッサは赤い車としてデザインしたとピニンファリーナが公言しているくらいだから、重要なポイントだ。
・・・後編へ続く。
編集翻訳:伊東和彦 (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵
Transcreation : Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) Translation: Megumi KINOSHITA
Words: James Elliott Photography: Paul Harmer