『Octane』UKスタッフによる愛車レポート。今回は、ロバート・コウチャーがビスター・ヘリテージで行われたイベントに1955年ジャガー XK140で参加したレポートをお届けする。
【画像】数台のXKを乗り比べ、ジャガーXK140のパフォーマンスに改めて大満足!(写真5点)
およそひと月前、私は約30台のジャガーXKに混じり、『レイド・トゥ・ビスター・ヘリテージ』というイベントに参加した。M40道路を通る旅が少し退屈だが、ビスターはいつも素晴らしい目的地だ。ほとんどのXKと同じく、私の140もリラックスしながら2500rpm弱、時速70mphちょいでクルージングしながら現地へ向かった。以前にも書いたが、私は大きな音のエグゾースト、ハイリフトカム、大型キャブといったものを装着したい誘惑にいつも抗っている。私の3.8リッターのXKは、210馬力を誇り、結果として静かで洗練されつつもリラックスできるうえ、高速走行ではガロン当たりの走行距離は23マイルを超える。
この『キーピング・ジ・XK・レガシー・アライブ』のミーティングは、出版者であり、作家であり、そしてインターナショナル・ジャガーXKクラブの創設者でもある、押しも押されもせぬフィリップ・ポーターによって企画された。彼はXKのオーナーや、スペシャリストたち、サプライヤーらを招待し、テストサーキットでXKを楽しんでもらうとともに、ジャガーのスポーツカーとしてのイメージを維持する方法について話し合った。
クラシックカーの世界では、さまざまなことが起きている。よりモダンなクラシックカーが好まれるようになった今、50年代や60年代の車の注目度は下がってきている。本当の意味で”クラシック”なクラシックカーは高価だが、最近は”モダン”なクラシックカーが評価を得ていて、エアコン、パワステ、ATなどの恩恵により運転がはるかに簡単なこともあって、所有に対する敷居は低くなっている。クラシックカーの世界に足を踏み入れた若いエンスージアストたちは、XKを扱うことがとても大変、つまり巻き上げ式ウィンドウのようなものだと思っているのかもしれない。
もちろん、先ほども書いたが、そんなことはない。しかし、ジャガーやランドローバーは、フェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニ、そしてM仕様のBMWなどとは異なる道を選択したようだ。自動車市場が高価で非実用的なEVの美徳を全面的には受け入れていない中、ジャガーが真っ先に全電動化を急いだことで、このブランドは問題を抱えている。
1948年に発売されたXKは、イギリスで最も重要な自動車のひとつであった。世界最速の市販車であり、1951年と1953年のル・マンで優勝した、あの有名なジャガーCタイプおよびDタイプにつながった。そして伝説的なXKエンジンは、ル・マンで合計5回もの優勝をもたらしている。XKの約86%は輸出され、ほとんどがアメリカ向けだった。ジャガーはそこでスポーツカーとしての名声を得るとともに、輸出による資金を財政難のイギリス本社へもたらした。
ビスターを拠点とするペンダイン・ヒストリック・カーズのジェームス・ミッチェルが、テストコースを確保してくれた。そのおかげで、私はXKを数周走らせることができたが、最後にはマーシャルから、落ち着くようにと諭された。他のXKにも乗って比べてみたいと思っていたら、ジェームズは彼のコッツウォルド・ブルーのXK120 FHCと718 BMDのキーを私に渡してきた。私の車にかなり似ていて、手入れがされていて小粋かつ機敏だ。よりホットな3.8リッターのエンジンで、より”スポーティ”なサウンドだった。
最初のコーナーに進入するときは、私の140に装着していた改良型のラック&ピニオンのように反応しなかったので、必死になってハンドルを操作しなければならなかった。休憩後、ダンカン・モアの素晴らしい120ロードスターにも乗ってみた。シルバーで仕上げられ、スチールホイールを備えたOK 120は、私が長い間憧れていた車だ。ホットなLes Traffordのエンジンを搭載した、素晴らしく騒々しいキットだ。
私はXK140のパフォーマンスに大いに満足し、ジャガーXKだらけの1日を終えた。この車が本物のジャガーであることに、今も変わりはない。
文:Robert Coucher