【山﨑雄一朗さんプロフィール】

1991年生まれ、京都府出身。2014年に高槻電器工業株式会社へ入社し、営業職を経て、2017年に鹿児島へ移住。アグリ事業部統括マネージャーとして、農産物の栽培・販売、直営レストランの運営を行っている。

メーカーが農業に参入した経緯

高槻電器工業株式会社は長年にわたり電子部品や半導体の製造を行ってきました。事業のほとんどがLED製造だったといいますが、15年前のリーマンショックを機に受注が一時激減し、社員の仕事が無くなってしまう状態に陥ったといいます。

「業界あるあるなのかもしれませんが、注文が急にたくさんきたり、逆に全くこなくなったりと、もともと波がある産業です。リーマンショックが半導体以外の仕事を作らなければならない!と強く思う決定打になりました」(山﨑さん)

ちょうどそのころ、LEDを使った野菜の施設栽培が注目されていたこともあり、LEDを長年製造してきた強みを生かしたトマト栽培に着手することに。2009年にアグリ事業部が発足しました。栽培にあたるのは社員たち。実家が農家の社員などを集めたものの、全員農業は素人。会社としても大きなチャレンジだったそうです。LED栽培の研究をしていた鹿児島大学の先生などにアドバイスをもらいながら試行錯誤の栽培が始まり、2012年には「薩摩甘照(さつまあまてらす)」というブランドで販売できるまでになりました。

薩摩甘照(さつまあまてらす)を使用したトマトジュース

アグリ事業部が手掛けるトマト栽培は一般の栽培とは異なる点ばかり。種まきから定植までの約1カ月間、自社開発のLED照明で完全人工光での育苗を行います。成長に必要な赤い光(光合成)と青い光(光合成&形態形成)を受光しているので、年間通して天候に左右されない環境で健全な苗を育てることが実現できました。

特筆すべきは、通常の4~5倍の密度で栽培を行い、栽培量を25%までに縮小している点。一般的には10段目くらいまで実がつくように栽培しますが、アグリ事業部では2段目までにしています。さまざまな栽培方法を試す中で導き出したのがこの栽培方法でした。これにより、本来収穫できる75%分の栄養や甘みをぎゅっと凝縮。こだわりの栽培方法でできたトマトは糖度が8度以上で、形や色味などを厳しい基準に照らし合わせ、合格したもののみ「薩摩甘照」として出荷し、販売しています。

そんなこだわりぬいたトマトですが、栽培を始めてすぐの頃は販路が十分でなく、市場に出荷していたことも。一般の栽培と比べて収穫量は5分の1程度。つまり、一般のトマトより5倍の価格で売る必要があるにもかかわらず、発売当初はそれができていなかったそう。「せっかくこだわって栽培しているのに、一般のトマトと変わらない価格で取引されるのはもったいないと感じて、きちんとブランディングしていこうとなりました」(山﨑さん)

アグリ事業部の強化のため移住

そんなさなか、会社としてトマト栽培の事業により注力していくことに。新規の事業開発および安定化を見据える中で、白羽の矢が立ったのが山﨑さんでした。それまでは新規事業推進部で自社が保有する空き工場や農場に新しい仕事を受注する仕事に取り組んでいた山﨑さん。2017年にアグリ事業部専属担当となり、京都府から鹿児島県に移住しました。

移住後はさまざまな挑戦が始まります。
まずはトマトの売り出しから。実は、社内でブランディングを意識し始めたのは2020年ごろと最近になってからだそう。ブランディングを図る上で、まずは自分たちのトマトがどんなもので、どんな風に消費者に伝えたいか社員の思いや考えを整理し、社としてそれをまとめることに尽力しました。

「経営層から現場メンバーまで思いや考えはさまざま。経営層が独断で決めてしまうと社員のモチベーションが下がるのが分かっていたので一人一人の思いを大切にくみ取っていきました。地道な取り組みでしたが、丁寧な合意形成を行ったことで会社全体のパフォーマンスは上がりました」

社員一丸となって自分たちの栽培するトマトの価値を明確化し共有することができたので売り出しもスムーズに。こだわりのトマトの価値がきちんと伝わるように、売り場も選び、さらには売り場に合わせたパッケージ展開をするなど、トマトの価値が消費者に伝わる取り組みも実施。結果、食にこだわりがある人が通う店舗を中心に販路を開拓していきました。

ブランド化したがゆえに、品質は一切妥協できない苦しさもありながら、こだわりぬいたトマトにはファンがつき、野菜ソムリエサミットで受賞するなど対外的な評価を得るまでに。現在は20名の社員がアグリ事業部に所属し、20トンのトマトの栽培・出荷などを行っています。

「年間通して仕事がある状況をつくりたいと考えています。そのためにも1年中出荷できるような環境を整えていく必要があります」

難航したオリーブ栽培

トマトの栽培と併せて、他の作物の栽培にも着手することに。当時は国産オリーブオイルがブームとなり、販売先が明確であったためオリーブ栽培を決めました。鹿児島でも品種や条件を絞れば栽培が可能だと想定して鹿児島県産オリーブ栽培に向けて、まずは畑探しからスタート。

「何のツテもなかったので4Hクラブ(農業青年クラブ)に参加して、農家との関係を築いていきました。その中で借りられる畑を探すことができました。とはいってもオリーブなどの永年作物を栽培するための畑を探すのは一苦労。状態がいいとはいえない畑もあり、まずは土を耕すところからのスタートでした」(山﨑さん)

オリーブ栽培にあたったのは山﨑さんと社員の2名。会社から刈払機とスコップだけ支給され、メジャーでオリーブを植える株間を測り、スコップで穴を掘る作業を繰り返し、6枚の畑、1町程度の畑に1000本のオリーブを植えました。植えるまでは大変な作業でしたが、植えた後の管理はさほど大変ではなく、4年目以降からはたくさん実が収穫できると想定していたそう。

「実際は、そううまくいきませんでした。四国や淡路島など湿度が低いところでは成功事例がある。鹿児島は湿度が高く、花がつきにくい。花はつかず、枝が上に伸びるだけ。鹿児島での栽培は難しいのではないかと2年目に感じました」(山﨑さん)

鹿児島県内でオリーブ栽培をしている先輩にも相談をして、栽培をやめることに。
植えてから3年目にはすべての木を伐根し、今後もオリーブ栽培をすることは考えていないそう。まさに試行錯誤の連続です。

モリンガ栽培スタート

モリンガの畑

トマトの販路拡大のため商談会に参加した際に、モリンガの取引をしたいという業者との出会いが。モリンガ栽培について調べてみたところ、鹿児島県は栽培に適していて、すでにモリンガ栽培に取り組んでいる農家がいることも分かりました。オリーブと違い、単年度作物で育てやすいのではないかと考え、モリンガ栽培に参入することに。

「大隅半島で栽培している農家さんがいることが分かったので、その方に会いに行き薩摩半島でも栽培していいか打診しました。快諾してくれ、種も分けてもらうことができました」(山﨑さん)

オリーブの木を伐根した畑に、最初に100本のモリンガを植え生育を観察しました。ある程度うまく育ったことから、栽培面積を増やすことに。現在は地域の農家にも栽培を委託して、協力農家は32軒にまで増えました。全体で6町程度の栽培面積に拡大。指宿市や南九州市頴娃町がメインとなっています。農家から持ち込まれたモリンガを乾燥させ、モリンガ茶や粉末として売り出しています。中でも青汁の原料として使われることが多いそう。オリーブと比べると、モリンガ栽培は順調にいっているように見えますが、課題もあるといいます。

モリンガの粉末を使用したスイーツ

「他の作物同様、気候の影響で収穫量がまちまちです。また、無農薬栽培のため農薬は一切使用できません。いったん病気が入ってしまうと、対策がほぼ無いので栽培にはリスクもあります」(山﨑さん)

また、売れ行きにも波があるそう。健康食品にもブームがあり、注目されるとどんどん売れ行きは上がっていくものの、営業をかけないと商品がなかなか動かない時期もあるため、安定した収益を確保するため、販路拡大の継続した営業活動が必要となる。現在は需要と供給のバランスはどちらが過多になることもなく安定しており、出荷は関東方面がメイン。健康志向の高い客層にマッチすることができています。

旬蒸テラスオープン

旬蒸テラス外観

そんなアグリ事業部の最近の大きな動きとして代表的なのが、2024年2月の蒸し料理専門店「旬蒸(しゅんしゅん)テラス」のオープン。当初はトマトとモリンガの直売店として構想していたそう。

旬蒸テラス内観

「トマトやモリンガはもちろん、これまで出会ったたくさんの農家さんの野菜の魅力を伝えたいと考え、野菜をおいしく食べてもらえる蒸し料理専門店としてオープンすることにしました」(山﨑さん)

地元産の野菜を使用した蒸し料理

連日多くのお客様でにぎわい、鹿児島の食の発信基地として営業を続けています。

「これまではLEDの電子部品など、下請け的な仕事が多かった。自分たちで考えたオリジナルのものを製造、販売したい、本当の意味でのメーカーになりたいという社員の思いを叶えたものの一つにアグリ事業部があると考えています。今後はトマト栽培・モリンガ栽培、そして旬蒸テラスの運営とそれぞれがより充実した事業になっていくよう、チャレンジを続けていきます」(山﨑さん)

終始穏やかにお話してくださった山﨑さん。物腰柔らかなおおらかな人柄で地域の農家からのも厚い信頼を得ています。これからも地域の農家を巻き込んだ山﨑さんの活動が楽しみです。

取材協力