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2024年シーズンは、パ・リーグ最下位に沈んだ埼玉西武ライオンズ。そんな中、指揮官の渡辺久信監督代行が今季限りでの退任を表明した。今季90敗以上を喫したチームを、次は誰が率いるのか。後任候補の人選に注目が集まっている。そこで今回は、西武の次期監督候補をピックアップする。
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西口文也
投打:右投右打
身長/体重:182cm/75kg
生年月日:1972年9月26日
経歴:県立和歌山商 - 立正大
ドラフト:1994年ドラフト3位
2022年から埼玉西武ライオンズの二軍で監督を務めている西口文也。次期監督の最有力候補と目されている。
立正大から1994年ドラフト3位で西武に入団。プロ2年目に16勝を挙げると、プロ3年目には32試合の登板で15勝5敗、防御率3.12をマーク。同年は最多勝に加えてシーズンMVP、沢村賞など多くのタイトルに輝いた。
その後も伝家の宝刀・スライダーを武器に、2002年まで7年連続で2桁勝利を記録。一方、現役時代は3度に渡ってノーヒットノーランを逃すなど、記憶にも残る投球を見せてきた。
リーグ屈指の投手として通算182勝を積み重ね、2015年に現役引退を表明。西武一筋を貫いた21年間の現役生活に別れを告げた。
以降は台湾や韓国のチームで臨時コーチを務め、2017年からは西武の二軍投手コーチに就任。2018年からは一軍投手コーチとしてチームを支え、2022年に二軍監督へ就任した。
すでにチームの若手育成に携わり、選手の特徴や性格も把握しているであろう西口。かつてのエースが”強い西武”を復活させることになるのか。
辻発彦
投打:右投右打
身長/体重:182cm/78kg
生年月日:1958年10月24日
経歴:佐賀東高 - 日本通運
ドラフト:1983年ドラフト2位
過去に埼玉西武ライオンズの監督として、リーグ優勝を2回経験している辻発彦。チームが低迷している現在、監督復帰への待望論も少なくない。
社会人野球の日本通運から、1983年ドラフト2位で西武に入団。ルーキーイヤーから出場機会を得ると、1993年には110試合の出場で打率.319をマークして首位打者を獲得。リードオフマンとして、同年のリーグ優勝に大きく貢献した。
1996年からはヤクルトスワローズでプレーし、1999年に現役を引退。派手さはなかったものの、通算でゴールデングラブ賞8回、ベストナインも5回受賞するなど、守備の名手として活躍した。
引退後はヤクルトなどでコーチを務め、2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも内野守備・走塁コーチを経験した。
2017年からは西武の監督に就任。同年はリーグ2位で終えると、翌2018年からはリーグ2連覇を達成。2022年に退任したが、就任6年間でチームを5度のAクラスに導くなど、手腕が光った。
現在は野球解説者や評論家として活動しているが、果たして再登板することはあるのだろうか。
秋山幸二
投打:右投右打
身長/体重:186cm/86kg
生年月日:1962年4月6日
経歴:八代高
ドラフト:1980年ドラフト外
現役時代、走攻守に渡って圧巻の数字を残してきた秋山幸二は、監督としても結果を出した人物だ。
八代高からドラフト外で西武ライオンズに入団した。プロ5年目の1985年から頭角を表すと、1987年まで3年連続で40本塁打以上を記録。
1987年は打率.262、43本塁打、94打点の活躍で本塁打王を戴冠。さらに、1990年には打率.256、35本塁打、91打点、51盗塁の成績を残して盗塁王を獲得。本塁打王と盗塁王に輝いた史上初の選手となった。
その後も圧巻の成績を残し続けたが、1993年オフに3対3のトレードで福岡ダイエーホークス(現:ソフトバンク)に移籍。それでも、2000年8月18日には2000安打を達成するなど奮闘し、2002年に現役を退いた。
2005年からソフトバンクの二軍監督に就任すると、2009年からは一軍監督として指揮を執った。翌2010年からは和田毅や杉内俊哉、デニス・ホールトンなどを擁して2年連続のリーグ制覇・日本一を達成した。
2014年にもリーグ制覇・日本一を達成したが、同年限りで退任。就任6年間でリーグ優勝3回、日本一2回という実績を見れば、就任要請があっても不思議ではないだろう。
平石洋介
投打:左投左打
身長/体重:175cm/75kg
生年月日:1980年4月23日
経歴:PL学園高 - 同志社大 - トヨタ自動車
ドラフト:2004年ドラフト7巡目
今季は、埼玉西武ライオンズのヘッド兼打撃戦略コーチを務めた平石洋介。内部昇格での監督就任はあるのだろうか。
社会人野球のトヨタ自動車から、2004年ドラフト7巡目で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。当時、NPBに参入したばかりのチームにとって初となる新人選手の1人となった。
しかし、プロ入り後は苦戦を強いられた。プロ1年目から開幕一軍入りを果たし、初本塁打も記録したが、26試合の出場で打率.254、1本塁打、8打点、1盗塁に終わった。
プロ7年目の2011年は、守備固めを中心に自己最多の35試合に出場。だが、打撃では15打数2安打と結果を出せず、同年オフに戦力外通告を受けて現役を退いた。
その後は楽天で打撃コーチなどを経験し、2018年の途中からは梨田昌孝の辞任もあって監督代行を務めた。
翌2019年には、チームの生え抜きとして初の一軍監督に就任。Aクラス入りとなるリーグ3位に入ったものの、同年限りで退任となった、
2022年からは西武の一軍打撃コーチに就任し、今季はヘッド兼打撃戦略コーチとして松井稼頭央監督を支える役割を担った。ただ、松井監督が成績不振で休養となったことも考えると、次期監督の可能性は低いだろう。
伊東勤
投打:右投右打
身長/体重:181cm/84kg
生年月日:1962年8月29日
経歴:熊本工 - 所沢高
ドラフト:1981年ドラフト1位
現役時代は西武ライオンズ一筋でプレーし、正捕手としてチームの黄金期を築いた伊東勤。一軍での監督経験もあり、候補に挙がる1人だ。
伊東は、1981年ドラフト1位で西武に入団。ルーキーイヤーから出場機会を得ると、1994年には開幕戦で逆転サヨナラ満塁本塁打を放った。
さらに、持ち前の堅守を活かし、1996年から1998年にかけては捕手のパ・リーグ記録となる1263連続守備機会無失策を記録。通算でゴールデングラブ賞11回、ベストナイン10回に輝いた。
現役時代にリーグ優勝14回、日本一8回を経験した伊東は、2003年に現役を引退。翌2004年からは西武の監督に就任した。
すると、就任1年目でリーグ優勝を果たし、中日ドラゴンズとの日本シリーズも制して日本一を達成。現役時代のみでなく、監督としても日本一に輝いた。
2007年限りで退任すると、2013年からは千葉ロッテマリーンズの監督に就任。5年間でチームを3回クライマックスシリーズ(CS)進出に導くなど、低迷していたチームを躍進させた。
2019年には中日のヘッドコーチに就任し、昨年からは社会人クラブチームの「ARC九州」で総監督を務めている。
工藤公康
投打:左投左打
身長/体重:176cm/80kg
生年月日:1963年5月5日
経歴:名古屋電気高
ドラフト:1981年ドラフト6位
プロ通算224勝を積み重ねた工藤公康も、候補に挙がる1人だろう。
名古屋電気高(現:愛工大名電高)では、3年夏の甲子園でノーヒットノーランを達成するなど活躍。その後、1981年ドラフト6位で西武ライオンズに入団した。
プロ4年目には34試合に登板し、8勝3敗、防御率2.76の成績で最優秀防御率を獲得。その後は2桁勝利を幾度となく達成し、エース左腕として西武の黄金時代を支えた。
1994年オフにはFAで福岡ダイエーホークス(現:ソフトバンク)に移籍。1999年には26試合の登板で11勝をマークして日本一も達成。同年の日本シリーズで優秀選手賞に選ばれるなど、新天地でも活躍が続いた。
その後は読売ジャイアンツや横浜ベイスターズ(現:DeNA)でプレー。最後は古巣・西武に戻り、2011年限りでユニフォームを脱いだ。
現役引退後、2015年からはソフトバンクの監督に就任。就任1年目からリーグ制覇・日本一を果たすと、2017年から4年連続で日本一を達成した。
翌2021年に退任となったものの、就任7年間でAクラス6回、日本一5回という輝かしい成績を収めた。
現在は、野球解説者などの活動を行っている工藤。今後、再び監督に就任する日も訪れるのだろうか。
【了】