『Octane』UKスタッフによる愛車レポート。イタリア在住のマッシモが、夏の長雨に対する不満を吐露する。
【画像】夏の間は雨ばかり。ほんの数回だけ、クラシックカーを楽しんだ記録(写真2点)
イタリアは夏だというのに雨が多く、まるでイギリスに住んでいるような気分だ!どうやってクラシックカーをキレイに保てばいいというのだ?私の車はどれも、まるで砂嵐の中から抜け出してきたようだ。空から降ってくるのは砂まじりの雨だから、車の表面は茶色いまだら状態になってしまう。今のところ、思ったよりもドライブを楽しむことができていない。でも、楽しく過ごしたりクラシックカーの純粋な喜びを感じる瞬間は、幾度かあった。
まず500SLだ。バッテリーを交換し、『コンコルソ・デレガンツァ』のためにヴィラ・デステへと向かった。このイベントはいつも楽しい気持ちにさせてくれる。嵐の合間だったが、屋根を開けてドライブするにはちょうどいい天候だった。それは素晴らしい経験になったし、ゴージャスなホテルの入り口に駐車した車を、一枚だけだが撮影することもできた。
私が写真を撮っていると、ヴィラ・デステの審査員長である伝説のカーデザイナー、ロレンツォ・ラマチョッティがその場に現れた。彼はピニンファリーナに在籍中、フェラーリ456GT、550マラネロ、360モデナなどを監修した。そして、メルセデス107ロードスターを所有していることがわかった。それなら、私の車と一緒に写真を撮ってもらえばよかった…と思っても後の祭り。千載一遇のチャンスを逃したかもしれない。そんな愚かな私だが、この何気ない出会いのおかげで、クラシックカーが人を惹きつけ合うということを再確認した。
ふたつめは、私の8歳の息子チェーザレの、特別なリクエストに応えてのものだった(メイン写真)。学期の最後日に「フィンテール」に乗せてほしいというのだ。我が家の愛犬ダギーも引き連れ、あらゆるサイズのSUVがひしめく駐車場に行き着いた。2010年以降に生まれた子供たちは、1967年製の車を見て、好奇心を大いに刺激されたようだった。驚くことに、この子たちにとっての1967年とは、彼らが生まれる半世紀も前の過去なのだ。私にとっては、1920年代や30年代のようなものだ。そして、私や同級生たちも1970年代には、そんな時代の車に対して、きっとこのような反応をしていたに違いない。
そして230は、その短いドライブから帰った際に私道で故障するという形で本領を発揮した。この車には、昔からバッテリーアイソレータースイッチを付けている。長時間駐車したままのときは、常にオフにして電流の消耗を防ぎ、バッテリーを長持ちさせるためだ。車は問題なく始動していたし、学校を出たときも大丈夫だった。帰宅後、犬を降ろすためにエンジンを切ったら、再始動しなくなった。なので、ジャンプスタートに頼る羽目になった。
数日後、私はバッテリーショップまで運転して行き、新品を買った。古いものは4年間で6000kmもったが、大したことはない。50Aを頼んだが、それが2.3リッター6気筒の車用だと知り、店員は驚いていた。確かにオリジナルは44Aだったが、当時の電子デバイスといえば、スターターモーターとライトくらいだった。今では、シガーライターソケットは、スマホやナビの充電に使われることが多い。
設置スペースが広いおかげで、新しいバッテリーの取り付けには10分もかからなかった(ディーゼル用もあった)。古風なエンジンルームの美観を損ねるので、現代的なステッカーは剥がした。
ボンネットを開けている間にオイルレベルをチェックした。ディップスティックには、「230/250」という文字が刻まれている。これは、別のエンジンでも似たような外観のコンポーネントを区別するためには非常に役に立つ。
すべてが順調だったのはありがたいが、230と500SLには、どちらも新しいタイヤが必要だった。やることリストを消化するには、お金がいくらあっても足りない。
数日後、私は友人と朝食を食べに行った。彼はモダンなフェラーリのオーナーだが、クラシックカーには乗ったことがない。私は彼に、230とフィアット500Lの両方を運転させてみた。彼はその体験をとても楽しんでいたようだったが、彼のF8より古いモデルに乗り換えることはないと思う。
さて。そろそろ230を洗おうと思ったのだが、また雨が降ってきた。
文:Massimo Delbò