フェニックス永久保存版インタビュー フランス最重要バンドが全アルバムを振り返る

フランスはベルサイユ出身の4人組、フェニックス(Phoenix)はフランスの現代ポップ音楽史におけるエポックメイキングな存在――そう言っても決して大袈裟ではない。彼らはかつて「ロック不毛の地」とされていたフランスから90年代末に登場し、2009年の名作『Wolfgang Amadeus Phoenix』でアメリカを制覇したことによって、それまでの常識を完全にひっくり返した。彼らの盟友ダフト・パンクがフランスの電子音楽を世界に広めた先駆者であるように、間違いなくフェニックスはロックミュージックのそれに当たるアーティストだ。

そんなフェニックスもアルバムデビューから約四半世紀。バンドのこれまでの道のりや歴史を詳しくは知らないという若いリスナーや、最近の活動は見逃していたという往年のファンも少なくないだろう。そこで今回は、ソニックマニア(8月16日開催)、サマーソニック大阪(8月18日出演)での来日を前に、ボーカルのトマ・マースにアルバム単位でバンドの歴史を振り返ってもらった。フェニックスとはどのような価値観のバンドであり、各時期にどのようなことを考えながら活動していたのか、それが手に取るようにわかる、非常に充実した永久保存版のインタビューである。

1.『United』(2000年)

―『United』がリリースされた2000年はダフト・パンクやエールやカシアスなどに代表されるフレンチタッチの最盛期で、フランスから新世代が続々と台頭しているという熱気が感じられた時代です。ただ、彼らはみなDJ/プロデューサーであり、フェニックスのようなギターバンド/ライブバンドは他にいませんでした。やはり当時あなたたちとしては、まだ誰も足を踏み入れていない新たな地平を切り開いているという意識があったのでしょうか?

トマ:今君が挙げたようなバンドとは、お互いをよく知っているよ。僕たちはそれぞれが自分たちのベッドルームで音楽づくりをしていたんだけど、楽器やサンプラーといった機材やレコーディング機材を貸し合ったりお互いから買ったりしてきたんだ。まあ、自分のことを”新たな地平を切り拓いているパイオニア”だと言うのはおこがましいと思うけど、何か新しいことをやっていたというのはあると思う。これまでに多くの人が観たことのないもの、聴いたことのないものをやっていたのは確かだし、それが新鮮に映ったんじゃないかな。

―フランス出身のギターバンドが世界的に活躍するのは当時かなり珍しかったと思いますが、その点は意識していましたか?

トマ:僕たちとしては、自分たちのエキゾチシズムというものは意識していなかったんだ。特にフランスでプレイするときはね。でもツアーに出るようになって、アメリカのミシガンでプレイしたとき、そこで「君たちは僕が出会った初めてのフレンチバンドだ」って言われたり、「フランス人のバンドはこれまで観たことがなかった」と言われたりしたよ。歌っている時はそれほどフランス人のアクセントを感じないようだけど、一度僕たちが話し始めたらフランスのアクセントがあるから、ビックリされたりね。僕たちの音楽性だったり見た目だったりスタイルだったりは、彼らにとっては異国のもの(で珍しいというふう)に映ったんじゃないかな。そういうリアクションに触れるのも、僕たちにとってはとても新鮮だった。それまでほとんどフランスから出たことがなかったし、そういうことを言われたのはフランス国外でツアーを始めたばかりの頃だったからね。

―『United』は、70年代のウェストコーストロックや、マイケル・ジャクソンに代表される80年代のMTVポップ、さらにはヒップホップやカントリーやパンクロックの影響も取り入れていて、曲ごとに様々な表情を見せます。今になって振り返ると、この多彩さはいわゆる2010年代以降のポストジャンル的な感覚に近いものです。また、ウェストコーストロックやマイケル・ジャクソンなどの影響をインディバンドが取り入れるというのも、当時はまだ珍しかったと思います。かなり時代を先駆けていた作品だと今では位置づけられますよね。

トマ:うん、確かにそうだね。高校生の頃は、みんながひとつの、同じ種類の音楽だけを聴いている感じだった。例えばゴスだったら、ゴスだけしか聴かないみたいなね。レコードショップに行ったら、そこに自分のセクションがあって。少しアルゴリズムに似ていると思うんだけど、自分が何を聴いているかを自身で特定して、自分のセクションだけにこだわるというか。でも、僕たちはあらゆるジャンルの音楽を聴くのが好きだったんだ。もちろん、すべてのセクションの中で良いと思えるものはそれぞれ10パーセントくらいずつしかないと思うけど。その10パーセントの人たちはオリジナル性の高いものを作っていて、残りは全部普通という感じ。でも、どんなジャンルやスタイルの中でも、必ず良いものには巡り会えるんだ。僕たちはそういう多岐に渡る良い音楽というものを取り入れていったんだけど、それも自分たちでは気付かないうちに、自然に取り込んでいったという感じだよ。

―自分たちの普段の音楽の聴き方がそのまま反映されたのが、あのアルバムだと。

トマ:僕たちはごく自然に、色々なインスピレーションをあらゆるところから受けているんだ。そのことに、1stアルバムを作る時に初めて気づいたんだよね。例えば「Funky Square Dance」は、冒頭はカントリー調のバラードから始まって、エレクトロニックなパーティへと展開していって、最後はヘヴィメタルで終わるような曲で。僕たちは、自分たちのレコードコレクションの全てをこのアルバムに詰め込もうと思ったんだ。ひとつのスタイルに固執することで、自分たちに制約を設けたくなかったから。昨今は、アルゴリズムに従って音楽を聴いているという感じがするよね。でも、僕たちはアクシデントを愛しているんだ。そういうものは最近、どんどん減ってしまっているように感じるけれど、僕はランダムなものが好きだし、予想していなかったようなものに出会うのもとても好きなんだ。

ライブでは「If I Ever Feel Better」〜「Funky Square Dance」のメドレーが定番化

―そういう音楽との接し方は今も変わっていませんか?

トマ:今も、そのやり方は変わっていないね。同じようなアプローチで音楽に対峙していて、どういうところからインスピレーションを持ってくるか、どういう音楽を自分たちに取り込んでいくか、それは今も僕たちには予想もつかないんだ。自分たちの聴きたいものを明確にせず、バラエティに富んだものを作ろうと考えているから。ある意味、そういう奇妙なアクシデントを起こそうと奮起しているところはあるね。それがクリエイティビティに満ちたものを創造させてくれることも知っているし、僕たちに刺激を与えてくれるものだから。

―エールのニコラが初期フェニックスを「5年早かったストロークス」と評したことがあるように、フェニックスはゼロ年代のロックンロール・リバイバルを先取りしていたとも解釈できます。ただあなたとしては、ストロークスやホワイト・ストライプスなどが牽引したムーブメントをどのように捉えていたのでしょうか?

トマ:もちろん共感はしていたよ。彼らの曲が本当に好きなんだ。でも、同時にフェニックスとしては、僕たちはエレクトロニックとも言えないし、だからと言って完全にバンドとも思えないと感じていたし、どこにも属さないと思っていた。ホワイト・ストライプスやストロークスはギターバンドで、僕たちはサンプルを使ったりする。でも楽器も使えば、ドラムマシーンも使う。僕たちはバンドと、アーティスティックでコンセプチュアルなグループとの中間にいると思っているから、そうしたバンド界隈に属しているという意識はなかったね。

―そう考えると、フェニックスの立ち位置は非常に独自のものですね。

トマ:ただ、あの時期に出て来た音楽はどれもとても好きだし、ロックンロール・リバイバルと言われるバンドは本当に素晴らしい曲やスタイルを持っていて、とても好きなんだ。同じように、ダフト・パンクやエール、カシアスに代表されるフレンチタッチと言われたグループも、プロダクションや音楽、映像、アートワークを全て駆使して、自分たちの音楽の見せ方について素晴らしいビジョンを持っている。それに、ホワイト・ストライプスやストロークスもそういったものを深く考えているよね。彼らを初めてテレビで観た瞬間に彼らのことが好きになったよ。もし高校生の時に出会っていたら、一緒にバンドを組んでいたに違いない、ってね。僕たちの世代としては、キーボードやサンプルを足したいと思うだろうけど。フランツ・フェルディナンドにしてもそうだね。彼らは優れたデザインセンスを持っているし、とてもエネルギッシュで。でもやっぱり、彼らはいわゆる正統派の”バンド”だと感じるね。僕たちはそういう場所……リバイバルを牽引したと言われることについてはありがたいと思っているけど、そこに属しているという感覚はないな。

フェニックス、2000年撮影。左からローラン・ブランコウィッツ(Gt)、トマ・マーズ(Vo)、デック・ダーシー(Ba)、クリスチャン・マザライ(Gt)

Photo by Andy Willsher/Redferns/Getty Images

2.『Alphabetical』(2004年)

―『Alphabetical』はディアンジェロなどのネオソウルやR&Bの影響を血肉化しようとした野心作です。

トマ:2枚目のアルバムというのはすごくトリッキーだよね。自分たちでも1stアルバムというのは一生に一度しか作れないものだと分かっている。でも、2枚目以降はその目新しさがなくなるし、成功したものと同じような作風を繰り返して欲しいと思う人たちもいる。それに対して、自分たちでは何か新しいものを作りたいと闘うことになるんだ。『United』で全部の曲が違っていたように、(『Alphabetical』では)何か新しくて違うものを作りたかったんだよ。

―それで乗り出したのがネオソウルへの挑戦であり、結果的に1stから4年もの時間を要することになったと。

トマ:それはすごい挑戦だったから、レコーディングのプロセスでは色んなものを詰め込むことになった。自分たちでは実現出来ないようなものまで取り入れようとして、更なる挑戦を重ねることになったんだ。結果的に、このアルバムはとても複雑なレイヤーが折り重なっていて、非常にドライなサウンドになったと思う。レコーディング中は、本当に小さなディティールに集中し過ぎて、それがアルバムの特徴になるということには気付いていなかった。僕たちは同じことを繰り返したくないという思いに執着するあまり、とてもドライで、大音量で聴かなければサウンドとして成立しないようなアルバムを作ることになってしまったんだよ。このアルバムは前作と比較して、音響工学的な遊び場といった作品になっているね。

―このアルバムもそうですが、フェニックスのアルバムは全て10曲入りで40分前後ですよね。今やストリーミング対応で20曲くらい収録されているポップやラップの作品も珍しくありませんが、あなたたちにはレコードの時代を彷彿とさせるこの長さが理想的だという美学があるのでしょうか?

トマ:理想的な長さみたいなものに特にこだわりはないんだ。でも、レコードというフォーマットについては思いを馳せることはあるね。A面があって、B面があるっていう。僕はシューゲイザーミュージックを聴いて育ったけど、アルバムがとても短かったり、ライブがとても短かったりするバンドもいるんだよね。曲数が多いとアルバムの中でそれぞれの曲が薄まってしまうこともあるから。エッセンスを抽出して濃縮しているようなアルバムが好きなんだ。だから僕たちは4人で、常にコンパクトで簡潔なものを作ろうと考えているよ。僕たちにはその方が合っているというだけで、それがいちばん良いやり方だというわけではないけどね。みんなそれぞれ、自分たちのやり方があるんだと思う。

―アルバムを作る時は、A面、B面という前提で、曲順を考えたりもするんですか?

トマ:うん。特にA面の最後の曲はとても重要だよ。A面の終わりからB面の始まりまでの流れが、特に重要なんだ。アルバム全体を通してひとつのストーリーを語るわけだから。トラックリスティングは、どの曲を収録するかによるし、どんなストーリーを伝えたいかによるよね。それにもちろん、アルバムとして全体のバランスが取れているかどうかも考えるよ。

3.『It's Never Been Like That』(2006年)

―緻密に作り込まれた『Alphabetical』とは対照的に、『It's Never Been Like That』はライブバンドとしてのフェニックスのエネルギーがダイレクトに感じられる作品です。この変化の一因には前作からの反動もあったのでしょうか?

トマ:もちろん、全てのアルバムがその前作への反動だよ。『Alphabetical』はとても神経質に作られたアルバムで、長い時間をスタジオで過ごして、ひとつひとつのサウンドを何度も繰り返し演奏して作られたものだったからね。そういう作品にはしないようにしようと決めていたんだ。それで、ベルリンの大きなスタジオで、全員揃ってレコーディングすることにしたんだよ。スタジオでみんな一斉にプレイして、レイヤーを足すのではなく、同時に演奏する中でもう少し遊んだり試したりした感じなんだ。すごく早く出来上がったレコードなんだけど、そこが気に入っているね。そういう風にして作ったアルバムだから、ライブで演奏するのがとても簡単なんだ。スタジオで既にライブセッションをしていたわけだから。

―そういうライブ録音に近い形は初めてだったと思いますが、そのようなスタイルでやってみて、自分たちの中で何か意識の変化はあったりしましたか?

トマ:このアルバムは、僕たちに音楽に対する真の情熱を呼び覚まさせてくれたと思う。それ以前のレコーディングはとても大変だったし、自分たちのことをスタジオバンドだと認識していた。でも、このアルバムがとうとう僕たちのどこかのスイッチを押してくれて、ライブパフォーマンスというものがどういうものなのか、理解させてくれたと思うんだ。それで、今ではスタジオとライブでの自分たちが喧嘩しないようになったね。とにかく、このアルバムはすぐにライブで演奏するのが楽しくなったし、加えて、これまでの曲をライブでどのように演奏すれば良いか身につける手助けをしてくれたと思う。もちろん、『Alphabetical』の曲の幾つかは今でもどうやってライブで再現したら良いか、まだまだ難しいところだけどね(笑)。

―なるほど、それが『Alphabetical』の曲を今ではあまりライブでやらない理由なんですね(笑)。先ほども仰っていたように『It's Never Been Like That』はベルリンで録音されていて、「North」にはクラウトロックの反響も感じられます。

トマ:そうだね、少しそんな感じがする。

―初期2作はアメリカ音楽からの影響が強いですが、このアルバムでは自分たちのルーツであるヨーロッパ的なサウンドや美学を打ち出したいという意識も生まれていたのでしょうか?

トマ:その通りだね。最初の2枚は色んな要素がぶちまけられていたから。イングランドもあれば、アメリカもあるし、ヨーロッパもあるしという感じで。本当に色んな国の要素が入っていたと思うけど、だからと言って”どこ”と特定出来る感じでもなかったと思うんだ。でも、3rdアルバムはどことなくヨーロッパ大陸の雰囲気がするし、ちょっと独特な空気感もあるよね。演奏の仕方で言うと、普通とちょっと違った感じだし、歌詞にしてもああいった曲の中に”ナポレオン”なんていう単語が出て来るのも少し変わってるよね。このアルバムを作った頃から、『Wolfgang Amadeus Phoenix』と「Lisztomania」のことを考え始めていたんじゃないかと思う。というのも、こういうスタイルは『Wolfgang〜』でより押し出されているからね。

―確かにそうですね。「Lisztomania」というタイトルは、19世紀のハンガリーのピアニスト/作曲家であるフランツ・リストの熱狂的なファンを指す言葉から取られていますし。

トマ:思えばこの頃から、自分たちが受け継いできたものや、子どもの頃の曲作りの思い出といったものを活かしたいと思うようになってきた気がするんだ。それに、その頃どんな音楽を聴いていたのか、過去を掘り起こすようなことに目が向くようになった。『United』は自分たちのレコードコレクションを持ち寄ったものだったとしたら、『Wolfgang〜』はインターネットの中から同じようにコレクションを持ち寄ったという感じだね。さっきも言ったけど、僕たちのリファレンスにはかなり昔のものも含まれてるんだ。モンテヴェルディのような、何世紀も遡る音楽がね。当時の最先端だった音楽。そういう部分が、『Wolfgang〜』の特徴になっていると思う。

フェニックス、2009年撮影

Photo by Andy Short/Future Music Magazine/Future via Getty Images

4.『Wolfgang Amadeus Phoenix』(2009年)

—『Wolfgang〜』はアメリカで大ヒットしたアルバムで、現在のフェニックスの地位を築いた作品と言っても過言ではありません。あなたたちとしては、本作を作っているときから特別なアルバムになりそうだという手ごたえはあったのでしょうか?

トマ:そうだね。スタジオで、これまでに感じたことのない自信を持っていたから。この頃は自分たちにとっても興味深い時期で、レコード会社ともマネージメントとも契約していなかったし、どこか自分たちはロックバンドとしては歳を取りすぎたと感じていたんだ。それに、これは4枚目のアルバムだったから、それほど注目もされていなかったしね。でも、実際にスタジオに入って僕たちの曲を聴いたら、何人かはとても気に入ってくれて、何人かの気には召さなかったんだ。それでも僕たち自身は非常に自信を持っていた。もしこのレコードを好きじゃないと言う人がいたら、むしろベターなんじゃないかとさえ思っていたよ。そういう人たちも、結局は好きになるに違いないと分かっていたし、彼らが間違っていることを知っていたからね。そう感じることは珍しいかもしれない。自分のやっていることに価値を見出せず、自分の音楽に自信が持てないこともあるから。

―ええ。

トマ:でも、この作品に関してはとても自信があったし、バンド人生において非常に重要な人物であるフィリップ・ズダールもいた。彼はプロデュースとミックスの面で助けてくれただけでなく、僕たちを見守ってくれて、時には指導してくれる存在なんだ。このアルバムでは、彼がミックスを手掛けてくれて、彼の友だちがスタジオに僕たちの音楽を聴きにきてくれていたんだ。だから、僕たちは何かすごいものを作っていることに気付いていた。僕たちは、みんなが求めているものを作っているのではなく、みんなが必要としているものを作っているんだってね。彼らは毎日スタジオにやってきて、僕たちの曲を聴いていたよ。まだミックスの途中で、リリースされてなかったからね。だから僕たちは、もしこの人たちが毎日スタジオに足を運ぶんだったら、リリースされたらCDやiPodで毎日繰り返し聴いてくれることになるんだろうな、って思っていたんだ。

―その時点でもう手ごたえを感じていたと。

トマ:僕たち自身は、何か特別なものを作っているんだからきっとこのアルバムは成功する、と思っていたけれど、それ以上に聴き手は幾つかの曲にかなり執着していると感じていたんだ。だからこそ、レコーディングは本当に楽しかった。『Wolfgang〜』の制作の最後の2カ月は、本当に忙しかったけれどね。1日何時間も作業をしていたから、ほとんどせん妄状態だった(笑)。でも、同時に僕たちは人々と繋がることの出来るような、計画と一致するような、そんな何かを作っていることを知っていたんだ。

―先ほどモンテヴェルディへの言及がありましたが、『Wolfgang〜』はモーツァルトやリストにも触れていて、ヨーロッパ音楽の歴史的地層を掘り起こしている側面があります。その一方で、デビュー作以来となるフィリップ・ズダールとの共同プロデュースによって、エレクトロニックでモダンな側面が強調された作品でもありました。様々なレイヤーを持つ作品ですが、あなたはこのアルバムの音楽的成功にとって最も重要なファクターは何だったと思いますか?

トマ:それは分からないし、あまり理解したくない気もするよ。予想不能でそこにちょっとしたミステリーがある方が良いんだ。もし成功することが確約されていて、ミステリアスな部分がなければ、それは悲しいことだと思うんだよね。『Wolfgang〜』は、バンドが極度の緊張状態にある時に作られたアルバムなんだよ。僕たちを取り巻く人々が亡くなったりして、とてもヘヴィな時期だった。音楽は素晴らしい同種療法(ホモセラピー)だと思うんだ。このアルバムを聴いた人は、恐らく感情的にとても深いものを感じるんじゃないかな。だからこそ、人々を繋げてくれるんだと思う。人間の死生観の深いところに根差した作品だから。それと同時に、楽しいラップフィルムに包まれた作品でもあるんだ。だから、僕にはそのファクターというものは分からないな。

―いや、今の説明でよくわかりました。感情的な深みとポップミュージックとしての楽しさとの理想的なバランスがある、ということですよね。では、アメリカでの熱狂の引き金を引いた『サタデー・ナイト・ライブ』の出演、英語圏以外のアーティストでは初となるグラミー賞の最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム賞の受賞など、本作のリリース前後にはメモリアルな出来事がたくさんありました。あなたにとって最も印象深い出来事というと?

トマ:そうだね。色々なことがあったからひとつに絞るのは難しいけど、『サタデー・ナイト・ライブ』は本当に特別な体験だったよ。ここから何かが始まったような気がする。僕たちにとって絶対に失敗できない、大きなチャンスだったんだ。

―あの番組で素晴らしいパフォーマンスを見せたことで、それまで一般的にはほぼ無名だったアメリカであなたたちの名前は一夜にして知れ渡り、「1901」の大ヒットにつながったわけですよね。

トマ:若い人たちにとっては、(テレビ出演で大きなチャンスをつかむという)僕たちがやっていることは全然違う世界の話のような気がするかもしれないよね。でも、たったひとつのことがその世界を変えるかもしれないし、壊してしまうかもしれない。その人の人生を左右することだってあると思うんだ。(現在の)ほとんどのバンドはオンライン上に存在していて、自分たちのイメージを守っている。でも僕たちには突然、自分たちのことを聴いたこともない何百万という人たちの前に晒される瞬間がやってきたんだ。もし彼らが僕たちの音楽を好きだと感じたら、もっと僕たちの曲を聴いてくれるかもしれない。けど、反対に好きではないと感じる人たちもいるかもしれない。だから、その一瞬で明暗が決まってしまうような緊張感があったよ。でも幸いなことに、あの出演が功を奏して、僕たちの最も素晴らしい思い出になったんだ。

―個人的には、ダフト・パンクをサプライズで招いたマディソン・スクエア・ガーデンでの共演にも興奮しました。

トマ:あの共演も思い出深いね。彼らは僕たちの友人だし、一緒にマディソン・スクエア・ガーデンのステージに立てたのは感慨深かったな。しかも、彼らの出演はシークレットだったから余計にね。僕たちの曲を演奏して、僕たちが(ダフト・パンクと一緒に)彼らの曲を演奏して……というルーティーンは本当に良かった。彼らの曲が自分たちから聞こえてきて、ショーの最中にセットリストをみたら、そこに「If I Feel Better」や「Hard, Better, Faster, Stronger」と「1901」のような曲が並んでいるんだから。僕はステージの上で、(ダフト・パンクが登場するまでずっと)鳥肌の立つような瞬間を待ち侘びていたんだ。だって、オーディエンスはまだ何が起こるか知らないんだから(笑)。素晴らしい瞬間だったよ。

5.『Bankrupt!』(2013年)

―『Bankrupt!』は前作で確立したフェニックスらしいサウンドを部分的には継承しつつも、より濃密で、複雑な構成を持った作品です。全体的によりアグレッシブになった印象もあります。この変化は何に起因するものだったのでしょうか?

トマ:これは、僕たちが大きなショーをやることになった部分が大きいと思う。大都市で20,000人の聴衆を前にアリーナで演奏したりしていたからね。その中の5,000人くらいは、僕たちの音楽のファンでもなんでもない人たちだったりする。興味本位で足を運んだ人たちもいれば、1曲くらいは聴いたことがあるという人たちも多かっただろう。そうなると、突然自分たちは本当の意味での”音楽”を演奏しているわけではなくて、楽しませてもらいたいという観衆に向けて演奏することになる。何の繋がりも感じられない人たちに向けてね。ニルヴァーナの曲に、そういうことを歌ったものがあるよ。歌詞の持つ本当の意味に耳を傾けていないし、自分たちの音楽と何の繋がりも感じていない。観衆との間に、誤解と溝が生じてしまうんだ。だから、このアルバムでほとんど不快と言えるようなサウンドや挑戦的なサウンドでどこまでやれるか、どこまで観衆を惹きつけられるのか、ってことを確認したかったんだと思う。

―なるほど。

トマ:僕たちはボブ・ディランやデヴィット・ボウイが大好きなんだけど、彼らの過去のショーを観た時、観衆に対して敵対的とも言えるような、音楽的に挑戦するようなアプローチを取っていたのを覚えているよ。そうすることで、アーティストとしての魂を守るというか、音楽との関係性を保とうというか、そんな風に感じられたんだ。アートというのは、時には受け入れられ難いものだから。良い芸術は一般ウケし過ぎてはいけないと思うんだ。商業的になり過ぎてしまったり、人気になり過ぎてしまうと、その脅威や意味合いを失ってしまうからね。このアルバムは、そうした意味でそっちの方向(不快と言えるようなサウンド)に進んでいったものなんだ。

―『Bankrupt!』がリリースされた2013年頃は、インディロックの求心力が落ち始めたタイミングです。フェニックスはこの年のコーチェラではヘッドライナーを務めましたが、それ以降、コーチェラもポップやラップのアーティストがヘッドライナーを務めることが多くなったのは象徴的です。こうした時代の変化はあなたたちの活動に何かしらの影響を与えることはありましたか?

トマ:そうだね。それに、DJも非常に大きな存在になったと思う。エレクトロニック界隈が躍進するのと共に、DJたちはポップミュージックやヒップホップ、ラップよりも時代を先取りするようになったと思うんだ。誰も歌わなくなり、誰も楽器を演奏しなくなり……もちろん、中には本当に素晴らしいサウンドもあるし、とてもコンセプチュアルなものもあるよ。そういうものは興味深いね。でも、オーストラリアのフェスティバルでプレイした時のことを覚えているんだけど、楽器を使って演奏していたバンドは僕たちだけだったんだ。他のみんなはUSBキーを持っているだけだった。それを目の当たりにして僕は、これは何かを変えなくちゃいけない、って思った。ある意味、音楽の死を意味していると感じたんだよね。これではただのエンターテインメントでしかない。それも、音楽や楽曲によるエンターテイメントでは決してないんだ。ダフト・パンクの『Random Access Memories』は再び人間に戻ろうとした作品だったよね。つまり、フラストレーションは世界規模のものだったんだ。

―ええ、わかります。

トマ:ダフト・パンクはピラミッド(型のステージセット。2006年のコーチェラや、その後のライブツアーAlive 2007で使用)の壮大なショーで、スクリーンなども駆使して音楽以上の壮大なものを創造しようとした。でも、それに追随した人たちは、スタイルにしろ音楽性にしろ、ダフト・パンクのレベルには達していなかったね。だから、それほど素晴らしいとは思わなかったけど(笑)。

―2010年代前半に、ダフト・パンクの影響を受けて出てきたEDMのアーティストたちのことですよね。

トマ:もちろん、そうしたトレンドの潮流の中で生きる術を学ばなければいけないことも確かだよ。それに、あくまでも相対的なものだから、ある国では(特定のトレンドが)成功を収めていても、他の国ではそうではなかったりする。そういう中で生きていく術というものを、僕たちは早い段階で学んでいたのかもね。最初にアメリカで『Wolfgang〜』が成功を収めた時には、他の国では僕たちは既に古い存在になっていた。世界的に見れば新しい存在だったけどね。そんなふうに多くの矛盾を抱えてはいたけど、それはアーティストとしての実験でもあったんだ。

2013年、レディング・フェス出演時の映像

6.『Ti Amo』(2017年)

―『Ti Amo』が制作されていた時期は、2015年のパリ同時多発テロ事件、2016年のブレグジットやトランプ大統領の誕生などがあり、現在に続く世界の分断が顕在化し始めたタイミングです。そんな時期に作られたこのアルバムは、イタロディスコを筆頭に、ブランコとクリスのルーツであるイタリアの音楽からの影響を取り入れたものでした。

トマ:このアルバムは、自分たちの子どもの頃の記憶に立ち返った作品だと思う。ブランコとクリスはイタリア人で、彼らが子どもの頃に聴いていた音楽がベースになっている。影響という点では新たな金脈を発見したような感覚だったよ。僕はイタリアの音楽はよく知らなかったから。コード使いも違うし、全然違う世界の音楽という感じなんだ。すごく新鮮だったし、インスピレーションの源をどこか他の場所に求めようという思いもあったよ。色々な出来事があってそれが気泡のように消えていったことで、このアルバムは僕たちの子ども時代を再現する、ちょっとしたコンセプトフィルムのような作品になったんだ。もちろん、このアルバムはそうした出来事を否定するものではないけど、バブルみたいなものだったと思っているからね。だから、このアルバムで自分たちのために小さな理想郷を築いたんだ。全ての曲、テーマ、コード、楽器の使い方、歌詞のすべてが僕にとってはとても心地の良い、癒しとも言える作品になっている。

―ええ。

トマ:だからこそ、このアルバムは今までで最も自分勝手な作品とも言えるだろうね。ニッチなアルバムだし、とても自分勝手で、自分たちの小さな世界観が詰まったものだったから、もしかしたら多くの人たちと繋がれるようなものではないかもしれないと思っていた。それでも、きっと繋がることが出来ると願っていたし、僕たちにはとにかくこういうアルバムを作る必要があったんだよ。

―イタリアにルーツを持たないあなたが、このアルバムの制作でイタリアの音楽に触れて感じた魅力を教えてください。

トマ:決してイタリアの音楽に限ったことではないけれど、自分たちが子どもの頃に聴いて育った音楽、囲まれていた音楽が呼び覚ましてくれる感情というものは、同じ音楽でなくとも、聴く人に似たような感情を抱かせてくれるんだ。イタリアには素晴らしいアーティストがたくさんいて、曲作りにおいてもまったく異なるスタイルを持っているけど、すぐに入り込むことが出来た。言ってみれば『Wolfgang〜』の時にモンテヴェルディなんかに入り込んだのと同じような感じだね。ただし、僕たちは時間軸で移動したのではなく、地理軸で移動したんだ。音楽をサンプリングする時、ランダムにやることが多いけど、このアルバムはそうしたランダムなやり方はあまりなかったね。それこそほとんど活動家みたいな感じで、例えばルーチョ・バッティスティみたいな音楽家を深掘りしていったよ。このアルバムの好きなところは、あるメンバーが誰かの曲を聴いていて、じゃあ僕も聴いてみよう、彼はこの曲を聴いている、じゃあ、今度はこれも聴いてみよう、という感じで世界観を掘り下げていったところだね。このアルバムは、バッティスティやフランコ・バッティアートのような確固たる個性的な世界観を持った人たちにインスパイアされているから、とても複雑な作りになっているんだ。

7.『Alpha Zulu』(2022年)

―最新作『Alpha Zulu』は、長年の盟友であったフィリップ・ズダールの他界(2019年死去)、そしてパンデミックという苦難を経て完成したアルバムですね。

トマ:このアルバムは少し『Wolfgang〜』みたいな感じだね。色々なものが詰め込まれているから。でも、パンデミックがあったことで、このアルバムのテーマを探す必要がなかったんだ。あまりにも重い出来事だったから、テーマが自然と湧き出てきて、それを純粋に表現する方法を見つけようとしたんだよね。普段からあまりテーマやコンセプトを探す方ではないけれど、特にこのアルバムではその必要性がなかった。アルバム制作のプロセスはとてもセラピー的で、ほとんど自分たちを表現するためのセッションという形を取っていたんだ。この時期は本当にヘヴィで、全ての出来事が苛烈だったよね。スタジオには短い期間だけ入っていたんだけど、あとどれくらいこのスタジオでアルバムづくりをしていられるかも分からなかった。スタジオにいる間はずっとマスクをしていなければいけなかったし、他の誰もがそうであったように僕は歌う時もマスクが外せなかったんだ。そうした出来事が、このアルバムに非常に重い、重厚感を与えたんだろうね。

―アルバムの中でも、特に「Winter Solstice」は痛切なトーンを感じます。

トマ:「Winter Solstice」は、僕が自宅でリモートで書いた曲なんだけど、その時、家の近くで山火事が起こってね。燃えさかるような炎と煙に囲まれて、日中でも太陽が全く見えず、一日中真っ暗な中で過ごしたんだ。48時間燃え続けて、まるで悪夢のようだったよ(苦笑)。「Winter Solstice(冬至)」には、どうか早く日が長くなりますように、今起こっている全ての出来事が終わって、1日も早く元の日々に戻りますように、という願いが込められているんだ。トンネルの終わりに見える光のように、パンデミックが収束して、僕たちの愛するものをまた作ることの出来る日々が戻って来ますように、という願いがね。だから、このアルバムを僕たちのディスコグラフィのどこに位置づけるべきかはとても難しいね。パンデミックと同時期に作られた作品すべてと肩を並べて、地球規模のディスコグラフィに収めるべきかもしれない。このアルバムはとても深淵なものを持っていて、他のアルバムに較べてポップさには欠けるかもしれないね。歌詞はテーマによりフォーカスしたものになっているし、それに君が言ったように、コラボレーターだったフィリップ・ズダールの死も、全編を通して存在しているんだ。

―『Alpha Zulu』ではフィリップ・ズダールの代わりにダフト・パンクのトーマ・バンガルテルが意見やアドバイスをくれたそうですが、今後彼がフェニックスの作品にプロデューサーとして本格的に参加する可能性はあるのでしょうか?

トマ:それは分からないな。トーマはとても助けになってくれたよ。フィリップは彼独自のやり方を貫く人だったし、トーマはフィリップのことを良く知っていたからね。だから、彼にアドバイスを求めたんだ。スタジオで弱気になっている時には、センスがあって、僕たちがやろうとしていることを理解してくれる人が必要だったから。でも、トーマとフィリップは全く別の人間だから、それぞれが持ち込んでくれるものは完全に別のものだよ。それぞれがとても個性的だから、全然違うやり方で僕たちの脳を活性化させてくれるんだ。トーマは興味深い人物だし、アドバイスを求めるなら彼の他に思いつかないくらいだよ。でも同時に、彼はいわゆるプロデューサーではないし、フィリップに較べたら彼が僕たちにインプットしてくれたものは非常にミニマルだったんだ。何度かスタジオに足を運んでくれて、彼がインプットしてくれたものには本当に価値があるけれど、彼の名前を出すことはちょっと間違った情報かもしれないね。彼の名前を出した途端、話が大きくなってしまうから。実際には、そこまで彼に関わってもらったわけではないんだよ。僕たちのアルバムのプロデュースを彼が手掛けたわけでもないし。彼は、あくまでも友人として僕たちにアドバイスをくれたということなんだ。そのことについては感謝しているけど、この状況を上手く利用するような真似はしたくないな。

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―わかりました。最後にあなたたちのライブについても訊かせてください。フェニックスが結成されてから約30年が経つわけですが、ライブのパフォーマーとしての自分たちはどのように進化していると感じますか?

トマ:今現在、僕たちはライブで演奏することを本当にエンジョイしているよ。僕たちのライブは年々劇場型になってきていて、どの曲も演奏するのがどんどん楽しくなってきているんだ。というのも、どうやって演奏すれば良いか分かるようになったし、僕たちは糸で結ばれているような感じがして、満足のいくものになってきたんだ。サマーソニックがとても楽しみだよ。僕たちのプロダクションやアイデアを持ってくると、いつでも日本のオーディエンスはそれをすごく喜んでくれるんだ。日本のオーディエンスが、他のどこよりもより高く評価してくれているのは間違いないね。日本は遠い国だし、セットやプロダクションを輸送するのもかなり複雑な行程が必要だけど、今回は上手くいきそうだし、それだけの手を掛ける価値があると思っているんだ。バンドとして、最もライブをやりたい国であることは間違いないからね。だから、日本でのパフォーマンスはいつでも僕たちにとってとても尊い経験なんだ。

―そう言ってもらえると、こちらも嬉しいです。具体的にソニックマニア、サマーソニックでのライブがどんなものになるか、もう少しヒントをもらうことは出来ますか?

トマ:今回のショーはほとんどミニシアターのような体験で、それを日本に持って行けることにとても興奮しているよ。デジタルシアターのようなものになると思う。この曲ではこんなことを、この曲ではあんなことを、と考えていて、全ての曲がそれぞれの世界観を持っているようなショーになる予定だよ。ちょっと演技が入っているところもあるかもしれないけど、それでも依然としてロックのライブには変わりないからね。そこに、何年もかけて僕たちが築き上げてきた曲を取り巻く世界観がプラスされている感じなんだ。みんなの驚く顔や熱狂する様や、恐れおののく顔、ホッとする顔を見るのが楽しみだよ。僕たちは自分たちの感情の全てを込めてプレイするし、ドラマティックなセットが曲をより盛り上げてくれるに違いない。このショーを日本でやることが出来るなんて、本当にスペシャルな体験になるし、とても楽しみにしてるんだ。

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SONICMANIA

2024年8月16日(金)幕張メッセ

開場:19:00/開演:20:30

※フェニックスは23:20〜SONIC STAGEに出演

公式サイト:https://www.summersonic.com/sonicmania/

SUMMER SONIC 2024

2024年8⽉17⽇(⼟)18⽇(⽇)

東京会場:ZOZOマリンスタジアム & 幕張メッセ

⼤阪会場:万博記念公園

※フェニックスは8⽉18⽇(⽇)大阪会場に出演

公式サイト:https://www.summersonic.com/