愛車ダイムラー「ドリス」と成し遂げた大仕事|『Octane』UKスタッフの愛車日記

『Octane』UKスタッフによる愛車レポート。今回はピーター・ベーカーが愛車「ドリス」と挑んだ壮大なプロジェクトをお伝えする。

【画像】愛車とともに挑んだラリー。ハードな行程をこなした1954年の「ドリス」(写真4点)

私と愛車ダイムラーの「ドリス」には未完の仕事が残っていた。昨年のラリー・モンテカルロ・ヒストリックを完走できなかったからだ。2024年2月1日にフランスのランスからスタートするラリーの再エントリーの申し込みを昨年9月に提出し、ドリス(そして私自身)を完璧な状態に仕上げるための3か月を確保した。

ウィッツン・モータースポーツのダニエル・ハンターからぜひ任せてほしいと連絡があり、私はすぐさま彼に頼ることを決めた。そして、クリスマスの数週間前に、1954年製のダイムラーを彼の近くのコッツウォルズの工房に届けた。再びナビゲーターを務めてくれるのは、ラリーの経験が豊富なバーナード・ノースモア。トップサービスクルーのポール・スティーブントンとケン・ジョーンズにとっても、海辺での短めの冬休みを送るという考えは大いに魅力的だった。スタートの5日前、ダニエルはドリスの最終テストドライブを行い、プリセレクターギアボックスと最終駆動装置のオーバーホール、新しいブレーキ、そしておそらく最も重要である新しく製作されたアルミニウム製燃料タンクの取り付けを完了した。

長らく苦労を共にしたクライヴ・ベリーが古い配線の一部を交換し、強力なスポットライトを2つ取り付け、最新のトリップメーターを設置した後、4人とダイムラーはポールの大きなV6ランドローバーディスカバリーとトレーラーに乗って、ヨーロッパに向けて出発した。ゲーム開始だ。

なんというゲームだっただろうか。6日間にわたって絶え間なく繰り広げられたこの競技は、600マイル、19時間の集中走行から始まり、233組のクルーがモナコのあの有名なハーバーサイドに集結し、タイムコントロールでチェックを受ける。そして土曜日の再スタート後に本格的なラリーが始まった。次の4日間で16のレギュラリティステージが予定され、そのほとんどは前週のモダンWRC「モンテ」で使用されたコースだった。その後は、延々と曲がりくねった狭い裏道や山道が連続し、まるで拷問のようだった。標識には、ギャップ、グルノーブル、ディーニュ=レ=バン、サン・アンドレ・レ・ザルプ、そしてヴァランスといった過去の伝説的な地名が次々と現れ、それぞれの町や村がラリーの本格的な雰囲気を盛り上げていた。残念ながら、雪はほとんどなかったが。

最後のステージに挑戦した車は213台だけだった。その中には当然ドリスも含まれており、チームの指示に従って最後の全力を尽くした。1954年製のサンビーム・アルパインと1953年製のライリー・パスファインダーがリタイアした後、最も古い車となったドリスは、手加減なく痛めつけられ続けた。修理、燃料補給、そして軽食のために許される時間はわずか30分だけ。しかし彼女は一度も文句を言わなかった。フロントのアンチロールバーのリンクが、多くのコーナーをカットしたせいで壊れてしまったても。実際、ダッカムオイルの追加と前輪タイヤの空気圧の追加以外、何も手がかからなかった。これはコヴェントリー工場とダニエル・ハンターのおかげだろう。

私たちはラリーを220位というかなり低迷する順位から始めたが、日ごとに改善し、最終的に170位でフィニッシュラインを越えた。やり遂げた。ついに決着をつけたのだ。

文:PETER BAKER