小田原の歴史に欠かせない重要人物
小田原は、戦国時代には後北条氏の城下町として、江戸時代には東海道小田原宿の宿場町として栄え、今でも多くの歴史的な遺産が残る街で、毎年、国内外から500万人以上の観光客が訪れます。
小田原城や石垣山一夜城、小田原漁港が人気の観光スポットとして知られていますが、今回は、実はあまり知られていない「小田原駅から一番近い穴場の観光スポット」をご紹介したいと思います。
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JR小田原駅東口から徒歩10分程の場所に小田原城があるため、逆側の西口は、観光で訪れてもなかなか行く機会がなかったりします。
そんな少しマイナーな小田原駅西口を出てすぐ目に入ってくるのが、『北条早雲公像』です。
北条早雲公像
北条早雲公像小田原駅の西口ロータリーにある北条早雲公像は高さ5.7m重さ7tの日本最大級の銅像です。北条早雲の「火牛(かぎゅう)の計」をモチーフにしています。
参照元:北条早雲公像-スポット-小田原市観光協会
1990年に設像されたもので、原型作者は石黒孫七氏。
躍動感のあるダイナミックな銅像で、歴史好きや銅像好きの方々から支持を得ているのだそう。
今にも動き出しそうで、後ろ姿にも凄みがあります。360度のどの角度からでも、見応えのある銅像です。
迫力のある戦国武将の銅像を、写真に写真に収める外国人観光客の姿も。
戦国時代に、相模、武蔵、上総、下総、安房、常陸、上野、下野の関八州のほか、伊豆、駿河の関東一円を支配した戦国大名が北条氏。その歴代当主五人は、北条五代と呼ばれ、「北条早雲」は一代目にあたる人物です。
「北条早雲」とは
伊勢宗瑞(後の初代早雲)は備中荏原庄(岡山県井原市)を知行していた備中伊勢氏の出身です。伊勢宗瑞と名乗り幕府に出仕していました。長享元年(1487)以降は駿河(静岡県)の大名今川氏に仕え、明応2年(1493)には、将軍足利義政の甥の茶々丸を堀越御所から追い伊豆(静岡県)へ進出します。伊豆一国を治める戦国大名となった早雲は、15世紀末期(通説では明応4年(1495))に相模小田原(神奈川県小田原市)へ進出し、その後相模一国を平定します。参照元:北条五代 - 小田原城の歴史-小田原城【公式】「北条早雲」は、小田原の歴史において重要な人物。この銅像は、1495年に「北条早雲」が伊豆韮山から箱根を超えて小田原に進出した際に、牛の角にたいまつを結んで大軍の夜襲に見せかけた戦法「火牛の計」で大森氏を打ち破った際の「火牛の計」をモチーフとしています。
近くには、この像を建立する際に寄付をした方々の名前も刻まれています。
『北条早雲公像』は、駅から一番近い観光スポット。
小田原に観光で訪れた際は、まず、小田原駅西口に出てダイナミックな銅像を見て歴史を感じ、定番の小田原城などを見て周るのもおすすめです。
交通量の多いロータリーの中に設置されているので、写真を撮る際はくれぐれも車にお気を付けください。
スポット紹介
【北条早雲公像】■住所:〒250-0045 神奈川県小田原市城山1丁目4
アクセス
小田原駅西口ロータリーすぐ