ESC名車研究その1|隅本さんのナナサンカレラ

昨年秋、大阪にオープンした日本初の完全会員制ガレージクラブ「ESC Garage & Club」で、2024年1月に初開催されたエンスージアスト心をくすぐるイベント「ESC名車研究 Supported by Octane」。歴史に名を刻んだ名車を厳選し、間近で実車を眺めながらその車をとことん極めるべく、モータージャーナリストの西川 淳氏が、オーナーとの対談セッションを通じて名車の魅力や物語に迫っていくイベントだ。記念すべき第1回のテーマは「1973 ポルシェ911カレラRS」。その非公開イベントの内容を編集し、お届けしよう。

(イベントではすべて実名で語られましたが、センシティブな情報も多く、本稿ではオーナー以外匿名とさせていただきます。あしからずご了承ください)

【画像】「隅本さんのナナサンカレラ」、本人が語る巡り合わせの紆余曲折(写真12点)

物語というものはたいてい、いつも通る道で始まるもの。

その日、隅本さんはやっと手に入れた憧れのポルシェ911(997カレラ)に愛娘を乗せて、いつもの国道を走っていた。するとどこからともなく黄色い車が背後に近寄ってきた。「あ、ナローや」。そう思った瞬間、轟音とともに抜き去られてしまった。リアには小さなウィングが生えている。レモンイエローのナナサンカレラだった。

「パパの車って遅いね」

その一言が隅本さんのカーライフを一変させることになろうとは。小さい頃の憧れがまざまざと蘇ったのだ。自宅のガレージによく遊びにきていた父の親友が関西でも有数のポルシェ乗りで、そのとき見かけたナナサンカレラに自分が夢中になったことを…

FACT:ポルシェ911カレラRS。

通称”ナナサンカレラ”としてサーキットの狼世代には最も有名な911。1972年10月にパリサロンにてデビューした、911にとって初のカレラだ。新開発の2.7リッター空冷フラット6エンジンを搭載。グループ4規定の500台を限定生産する予定だったが11月までに完売となってしまう。まるで現代と同じように予約オーダーが殺到し、急遽ポルシェ社は追加オーダーを受け付けることに。73年7月までに何と1600台弱を受注。グループ3にも適応してしまった。ライトウェイトのスポーツパッケージ(M471)、RSR(M491)などレアな個体も存在するが、実に1300台以上がツーリング(M472)仕様で、多くの人が日々の楽しみのために、この軽量スポーツカーを手に入れている。けれども中には本稿の主役であるアーバジンカラーのRSのように、徹頭徹尾、サーキット走行用に供された個体も少なくはなかった。

隅本さんがRSを探し始めたのは今からもう10年以上もまえの話だ。ポルシェやフェラーリといったブランド物の価値が徐々に上がりし始めていた頃とはいえ、現在ほど狂乱の相場ではまだない。旧車の世界に初めて飛び込んだ隅本さん、オイソレとは憧れのRSは見つからず、67年式のナローSで手をうった。えてして買う人のもとには情報が急に集まり始めるもの。あれほど探して見つからなかったRSの売り物があると連絡があった。

赤いRS。素晴らしいコンディション、に見えた。しかも売り手は旧車の世界では有名なセラー(※註)Aだ。信頼する筋の紹介でもあったから、隅本さんは購入を決めた。

※註:本稿での「セラー」は車両の販売人のこと。

納車されると早速、車好きの溜まり場へ喜び勇んで乗り付けた。そこは関西でも有数のエンスースポットでポルシェマニアも多数いた。「これ、ちょっと怪しいな」。難癖をつけられたと思ったが、言われてよくよく見ればなるほどおかしい。

そこからRSの猛勉強が始まった。ひとつひとつ学んだ知識を愛車に照らし、自分で白黒を付けようとした。結果、限りなく黒に近いグレー。セラーAにも問い詰めた。もっとも車そのものは快調で隅本さんはそれなりに楽しんではいたのだが、気分は今ひとつ晴れなかった。

そんなとき、東京のセラーBから連絡があった。正真正銘の、それも日本への正規輸入1号車が売りに出た、と。しかもそのセラーはわざわざ実車を関西まで運んできてくれるという。本物と見比べてみようじゃないか、という提案だった。

ガレージに並んだ紅白のRS。隅本さんの目には白い個体の発するオーラが全く別物のように思えた。これぞ、本物だ。かなり知識を得ていた隅本さんはそう確信する。

しかし、セラーBの提示した値段は当時の相場のほぼ倍、自分が買ったばかりの見た目抜群な赤い個体の1.7倍もした。けれども隅本さんは買う決断を下す。仲間うちからは高過ぎると言われたし、RSを世界一高く買った男とも揶揄された。けれどもすでにアメリカのオークションでそれに近い値段をつけ始めた個体のあることを隅本さんは知っていたし、何よりセラーBの「絶対損はさせない」という自信に満ちた言葉に納得したのだった。実際、その後、RSの相場はさらにその倍近くへと上がっていく。

しばらくして再びセラーBから連絡があった。「見てほしいRSがある」。それは珍しい紫色=アーバジンカラーの個体で、エンジンを含め大掛かりな改造を受けていた。けれどもこれまた正規輸入車であり、しかも日本2号車であると判明していた。セラーBの提案は隅本さんの所有する赤い個体とナロー911Sの二台抱き合わせて交換、というものだった。

隅本さんは快諾した。

話は75年ごろに遡る。2号車アーバジンの初代オーナーCさんは最初からサーキットを走らせるためだけにこのRSを好きな紫色でオーダーして買っていた。この個体を当時からメンテナンスしてきたDさんによれば、おそらくCさんは自身では一度も公道を走らせていない、どころか自宅ガレージへも持ち帰っていないはずだという。なんとCさん宅は隅本さんのご近所で、Dさんは関東のガレージに勤めていた。

足回りなどに純正レース用パーツを使い、排気量を2.8リッターにまであげてRSR仕様とした2号車アーバジンをCさんは長らく楽しんでいた。Cさんは関東では有名な平日にサーキット走行を楽しむ会の発起人の一人でもある。ちなみに当時、同じガレージに1号車の白がメンテナンスで入庫している。白い1号車のオーナーもまたCさんの友人だったのだ。

80年代後半になって2号車のエンジンは、スイスの有名なチューナーが仕立てた3.4リッターへと換装されている。巨大なウィングをつけ、カーボンパネルで床下をフラットにしていた。RSオリジナルの2.8リッターエンジンはというと、Cさんが同時に所有していたナロー911Eに積まれた。この個体もまたアーバジン(リペイント)だった。

Cさんが亡くなったのち、この2台は生き別れとなってしまっていたが、DさんとセラーBの尽力もあって、2.8エンジンは無事、2号車のもとへと再び収まることになった。それが今、隅本さんのガレージにある。元の鞘、というか、治るところに収まったのだった。

隅本さんにはひとつだけ悔やんでいることがあった。ボディ横のCarreraロゴをゴールドから白に変えたことだ。ジャミロ・クワイがそのコーデに乗っていて、憧れたからだ。でも、よくよく考えるとオリジナルのゴールドを残しておいたほうが良かったかも、と思っていた。そのことをDさんに打ち明けると、笑顔でこう返された。

「あー、それね。元々Cさんは黒のPORSCHEデカールを選んでいたんですよ。それがゴールドのCarreraにいつの間にか変えられてしまったみたいですね」

それを聞いた瞬間、隅本さんはなんだかとてもホッとした様子になって、相好を崩した。

仲間からは早くフルオリジナルへ戻せと言われることも多い。けれども隅本さんは最初のオーナーがどういう思いでこの個体を買って仕上げたか、それが最も大事だと思っている。工場のラインから出てきたばかりの個体は確かに美しいかもしれない。けれどもそこには歴史はない。車の歴史はオーナーと共に育まれる。そうであれば、その歴史とともにその車を愛しむほうが何倍も楽しいじゃないか。

いつかは譲り渡す時がやってくる。次代のオーナーにもぜひCさんの志もろともアーバジンを楽しんで欲しいものだと、隅本さんは願っている。

文:西川 淳 写真:ESC Garage & Club