
高校野球 夏の甲子園 最新情報
8月7日に開幕した第106回全国高等学校野球選手権大会。多くの観客を魅了し続けている一方、夏の甲子園による影響を指摘されることは珍しくない。その一つが投手の「投げすぎ問題」で、甲子園で力投を見せた選手の多くは、何かしらの不調や故障に苦しんできた。今回は、甲子園で700球以上を投じ、プロ入りした選手を紹介する。
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斎藤佑樹(948球)
投打:右投右打
身長/体重:176cm/77kg
生年月日:1988年6月6日
経歴:早稲田実
ドラフト:2010年ドラフト1位
近年の甲子園でもっとも印象に残る選手といえば、やはり斎藤佑樹だろう。
高校2年夏、早稲田実業のエースとして君臨したものの、西東京大会で敗れた斎藤。悔しさを晴らすべく、翌年の夏は甲子園に駒を進めた。
マウンドに立ち続けた斎藤は、ハンカチで汗を拭いながら好投し、伝説と呼ばれた駒大苫小牧(南北海道)との決勝戦に臨んだ。
前日に15回を投げ切ったにもかかわらず、斎藤は翌日も先発。決勝再試合でも圧巻の投球を見せ、チームを初優勝に導いた。
甲子園で投げた948球という記録は、球数制限が導入されたことを考えると、塗り替えられる可能性はほとんどないと言っていいだろう。
その後、早稲田大学に進んだ斎藤だったが、大学3年時に股関節を故障。それでも意地を見せ、大学では数々のタイトルを獲得した。
北海道日本ハムファイターズではルーキーイヤーに6勝を記録したものの、結果的にはこの年がキャリアハイに。甲子園での熱投は身体への負担も相当なものがあっただろう。
川口知哉(820球)
投打:左投左打
身長/体重:184cm/86kg
生年月日:1979年8月25日
経歴:平安
ドラフト:1997年ドラフト1位
ドラフト会議では4球団が競合し、大きな注目を集めた川口知哉は結果的にプロで1勝も挙げられなかった。
川口は平安(現・龍谷大平安)の出身で、3年夏の甲子園に出場。「2桁奪三振と完封勝利」を宣言するなど、強気な発言が話題となった。
決勝戦で敗れたものの準優勝の立役者となり、一躍ドラフト1位候補に名乗りをあげた川口。4球団が1位指名し、抽選の末にオリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)への入団が決まる。
誰もが”将来のエース”という期待をかける中、高卒1年目にフォーム改造に着手。この出来事が川口の運命を狂わせたのか、高校時代のような投球が見られないようになった。自身も「完全にイップスだった」と語るように、本来の投球は影を潜めた。
ルーキーイヤーは1試合登板で防御率27.00という成績に終わり、翌年以降は1軍のマウンドに立てない日々が続いた。プロでは通算9試合の登板にとどまり、2004年で現役引退。フォーム改造に加え、甲子園で投じた820球もダメージを与えていたかもしれない。
島袋洋奨(783球)
投打:左投左打
身長/体重:174cm/76kg
生年月日:1992年10月24日
経歴:興南
ドラフト:2014年ドラフト5位
沖縄県勢初となる夏の甲子園優勝の立役者となった島袋洋奨。そんな島袋でも、プロでの登板は2試合にとどまった。
興南の絶対的エースに君臨した島袋は、3年春のセンバツ甲子園で優勝。日大三(西東京)との決勝戦では198球の力投。延長12回を投げ切った姿は、高校野球ファンの中に刻まれているはずだ。
迎えた同年夏の甲子園でも、島袋は6試合計51イニングを投げた。最後は東海大相模(神奈川)に13-1で圧勝し、沖縄県勢として初めての夏・制覇。同大会は783球を投じた。ドラフト上位候補とも言われていた中、中央大学への進学を決意する。
大学2年時のリーグ戦、島袋は1週間で441球を投げた影響によって左肘を痛め、約半年間のノースロー調整を強いられることに。
その後、ドラフト5位で福岡ソフトバンクホークスへ入団したが、本領発揮とはならず。けがの影響は色濃く残っており、高校時代から相当な負担がかかっていたことは疑う余地もないだろう。
安樂智大(772球)
投打:右投右打
身長/体重:186cm/87kg
生年月日:1996年11月4日
経歴:済美高
ドラフト:2014年ドラフト1位
“投げすぎ問題”の発端ともいえるのが、済美(愛媛)で活躍した安樂智大の投球数だった。
1年秋の時点で背番号「1」を背負い、エースとして君臨した安樂。最速157km/h右腕として注目を集め、2年春のセンバツ甲子園に出場。
しかし、同大会で1試合232球を投げたことに加え、計5試合で772球という球数が物議を醸した。安樂は同年秋に右肘を痛めており、この投球数が影響を及ぼした可能性は高いといえるだろう。
最後の夏は思うような投球ができなかったものの、東北楽天ゴールデンイーグルスがドラフト1位で安樂を指名。プロでは高校時代のような剛速球は影を潜め、度重なる故障も経験した。
ただ、2020年からリリーフに転向すると、多彩な変化球を駆使しながら打者を翻弄。ピッチングスタイルの変化により、2021年は58試合で防御率2.08と飛躍を見せた。
とはいえ、150km/hを優に超える投球が難しくなったのは、甲子園での投球数も一因といえるだろう。
大野倫(773球)
投打:右投右打
身長/体重:185cm/85kg
生年月日:1973年4月3日
経歴:沖縄水産 - 九州共立大
ドラフト:1995年ドラフト5位
1991年夏の甲子園で、沖縄水産(沖縄)を準優勝に導いた大野倫。同大会では773球を投げ切った。
エースで4番とチームの支柱だった大野は、1991年夏の甲子園に出場。前年夏の甲子園では準優勝しており、悲願の全国制覇を目指す大会となった。
1回戦の北照(南北海道)戦から先発登板すると、9回3失点完投勝利。次戦の明徳義塾(高知)戦では11安打を許しながらも、5失点完投勝利を収めた。
その後も大野の熱投は続き、決勝戦まで勝ち進んだ沖縄水産。しかし、相手はのちに2度の春夏連覇を達成する大阪桐蔭(大阪)だった。
決勝戦は壮絶な打ち合いとなり、一時は沖縄水産が7-4とリードした。だが、大野は9回を投げ切ったものの13失点を喫し、乱打戦の末に8-13で敗戦。惜しくも2年連続準優勝に終わった沖縄水産だが、大野は同大会で773球を投げ切る熱投を見せた。
大会後、大野は右肘の疲労骨折が発覚。九州共立大では野手転向を余儀なくされたが、外野手として優れた実績を残し、1995年ドラフト5位で読売ジャイアンツに外野手として入団。
2000年オフには福岡ダイエーホークス(現:ソフトバンク)に移籍したが、プロでは通算31打数5安打と結果を残せず。2002年限りで現役生活に別れを告げた。
吉田輝星(882球)
投打:右投右打
身長/体重:175cm/83kg
生年月日:2001年1月12日
経歴:金足農
ドラフト:2018年ドラフト1位
「金農旋風」の中心にいた吉田輝星。プロ入り後は苦しんでいたが、新天地で輝きを取り戻している。
金足農業ではエースとしてチームを牽引。高校2年夏は予選決勝戦で明桜(秋田)に敗れ、リベンジを誓った翌年は、見事甲子園出場を勝ち取った。
秋田県大会の全試合を1人で投げ抜くと、甲子園でも存在感を発揮。横浜(神奈川)、近江(滋賀)といった強豪校を次々と破り、大阪桐蔭(大阪)との決勝戦を迎える。
この試合も先発マウンドに上がったが、疲れの影響もあったのか大阪桐蔭相手に連打を許し、この夏初めての途中降板。チームは惜しくも準優勝となったが、吉田の名前は一気に知れ渡った。
北海道日本ハムファイターズがドラフト1位で指名し、プロ入りを実現させた吉田。高卒1年目にプロ初勝利を記録したが、その後は勝ち星もつかないシーズンが続いた。
2022年こそリリーフで51試合に登板したものの、翌2023年は登板機会が激減。同年オフにはオリックス・バファローズへトレード移籍が決まった。
迎えた2024年は、ブルペン陣の一角として一軍の戦力に。様々な場面での起用に応えている。
【了】