「人生100年時代」に向け、自分らしい足取りで、キャリアを歩んでいくことが求められています。しかし、自分らしいキャリアを求めることは簡単ではありません。
ファーストキャリアを30年間構築した後、53歳で自身の意思で辞め、その後3度の転職を重ねて現在に至る横田隆之さん。
今回は、そんな横田さんのファーストキャリアの軌跡と、50代からのキャリアチェンジについて、過去を振り返りながら詳しく話を伺いました。
大手企業のファーストキャリア
横田さんは、大学卒業後、1984年に大手外食企業に入社。東京都内の店舗に配属されました。3年目以降は、店長として従業員を率いる立場で店舗運営に従事。
そして7年目に、横田さんの適正が見抜かれ、営業本部コントローラーグループに異動が決定しました。
現場から本部への異動。仕事の内容もスタイルも変わることに、困惑しなかったのでしょうか。横田さんは当時を振り返って話します。
「戸惑いはありましたが、ちょうど子どもが生まれたこともあり、就業時間が固定されている部署への異動はありがたいものでした。仕事内容が大きく変わることについては、すでにその部署に一期上の親しい先輩がいたことが、一つの安心材料となりました。異動して大変だったのは、終日のデスクワーク。慣れるまでは苦痛でした(笑)」
異動先での業務は、全店舗の売り上げ集計や予算管理、営業分析など。また次第に、トップの下で経営計画や戦略策定にも携わりました。
横田さんがそれまでに身に付けていた業務・マネジメントスキルでは対応しきれないため、勉強は欠かせなかったと言います。
「まずは独学でPCスキルを身に付けることからスタート。また経営に関しても、上司のアドバイスに沿って自分なりに勉強し、知識を深めました。日々のトップとのやり取りはプレッシャーの連続でしたが、もともと現場にいた頃から、仕事の幅を広げたいという気持ちを少なからず持っていたので、新しい学びに対して拒否感や嫌悪感を抱くことはありませんでした」
さらにその後横田さんは、全社の情報システム改編に伴う予算システム刷新プロジェクトに参画。システム再構築後は運用を担当し、業績関連集計作業の効率化に寄与しました。
「これは、大手SI企業との共同プロジェクトにより実現したものです。私自身の過去の現場経験も活かすことができた仕事でした。問題や課題に対する原因を推定し、解決に導くという、SIならではのロジカルな仕事の進め方を学べました」
同部署に10年間所属した後、横田さんに再度異動の声がかかりました。行き先は情報システム部。部署内のサブリーダー的立場で、社内のさまざまなシステム構築に携わりました。
「商品の生産管理システム構築のために食品工場に常駐していたとき、一緒に仕事をしていた外部コンサルタントの方からは、いろいろなことを教わりました。また、それをきっかけに中小企業診断士に興味を持ち、個人的に少し勉強を始めました」
さらに9年後、今度はメニュー企画部の欠員に伴い、異動することに。
「料理人が配属される部署なので、初めはこの人事に驚きましたが、業務をシステマチックに管理し、推進できる人材が必要だったようです。ただ、こだわりの強いプロ集団の中での仕事は、素人の意見が聞いてもらえず苦労しましたね」
その後、社内体制の再編に伴い、横田さんは、メニュー企画部から切り出した店舗企画部販促企画課へ。
プロモーションツールの制作、ホームページの運用管理、モバイル販促システムのリニューアル等に従事しました。
50代のキャリアチェンジ
横田さんが店舗企画部販促企画課にいた頃、中小企業診断士資格の1次試験を通過しました。
「親交を結ぶ外部コンサルタントの方と一緒に、本格的に勉強しようと専門学校に入学。そして、なんとか1次試験を通過できました。その後2次試験がありますが、独学では厳しいため、試験までの猶予期間(2年)に、大学院が開講する養成講座へ入学しました」
そして共に学ぶ異業種の学友や、先生達と交流する横田さんに、ある心境の変化が起こったそうです。
「当時53歳で、定年まであと7年。社内には自分より年上の世代がたくさんいて、これ以上の昇進は期待できない。それなら、資格を取って独立するのもいいのではと思ったのです」
そう考えた横田さんに、家族は特に反対しなかったそうです。
「妻も仕事をして、子どもは大学生。退職による経済的な心配があまりなかったのが大きかったと思います」
そうして横田さんは、30年間勤めた会社を退社しました。
その後半年くらいは大学院で勉強に専念していましたが、縁あって、資格取得までの期間限定で、事業所給食の業務委託を行う中小企業へ入社することに。
本社の業務部で働くことになりました。
外食産業で培った経験を活かしながら、マネージャーとして仕事する日々。でも横田さんは、会社の姿勢に違和感を抱いていたと言います。
「若い社員が多いのに、彼らのキャリアデザインをサポートする姿勢や体制が整っていなかったのです。大企業との違いを実感しました」
横田さんは、大学院に通いながら約3年間同社に勤務。その間に、中小企業診断士の2次試験にも無事合格しました。
そして、独立準備が整ったところで退職。2016年9月より、コンサルタントとしての業務を開始しました。
自ら広げた人脈を頼りに、企業や地方自治体から、業務委託の仕事や単発の仕事、セミナー講師の仕事などを受注。
しかし一方で、この仕事でコンスタントに仕事を取り続けることの難しさも知りました。そして58歳で再度転職活動を行い、2018年5月からは、マイナビミドルシニアのメディア事業統括部に所属。
また、新たなキャリアの一歩を踏み出しています。
キャリアをどう考えるか
30年間のファーストキャリアを経て、50代で3度のキャリアチェンジを重ねた横田さん。ご自身のこれまでのキャリアを振り返り、今、何を思っているのか伺いました。
「新卒入社した会社で30年間さまざまな仕事に携われたこと、また、仕事を通じた社外の方々とのやりとりから視野を広げられたことは、今改めて、大変恵まれていたと思っています。その後の5年間は転職を繰り返しましたが、私自身は今が楽しく、これまでの全ての経験が、今の私の糧になっていると思っています」
また、自身の今後のキャリアについてはどんな展望を持たれているのでしょうか。
「新しいことを学んだり覚えたりすることは好きなので、これからもどんどんチャレンジしていきたい。今勉強しているのはプログラミング。2020年からは学校教育でも必修化されますし、老後、何か仕事にもつながるのではないかと思っています。定年まであと2年ですが、その後も働き続けると思います。これからは一個人として、どれだけ会社や社会に求められるかを追求しながら、生きていきたいですね」
自分の専門性にこだわらない「アマチュアリズム」
横田さんのキャリアストーリーの特異性について、企業や地域でシニアキャリアの開発支援を行う神谷俊氏に話を聞きました。
「横田さんのキャリアで、興味深い点がいくつかあります。特に面白いポイントはキャリアプロセスにおける『矛盾』です」
最初の会社では、企業側の判断によりジョブ・ローテーションが発生しています。横田さんは「戸惑った」ので、その変遷は自身の希望ではないようです。
「異動プロセスは本部での経営関連業務、システム構築プロジェクト、販促企画と部門間の関連性は薄く、一貫したキャリア開発プロセスとは言い難い側面があります。会社都合による配置転換も考えられます」
しかし、横田さんの学習姿勢は非常に主体的で強い意欲を感じます。その時々の環境で自己学習を重ね、その領域のプロフェッショナル達に学び、主体的に社外ネットワークを広げています。
会社判断による環境変化の中でも、自らのキャリアを主体的に築く姿勢が矛盾だと神谷氏は指摘します。
「キャリアアップと結びつけている背景に、横田さんの柔軟な姿勢があるのでしょう。意図しない転機でも、積極的に自らの糧とする。仕事にこだわりや専門性を強く求めない姿勢、強い好奇心と成長意欲がキャリアを築き上げています」
横田さんの姿勢は、批評文学の研究者であるE・サイード『知識人とは何か』(平凡社ライブラリー)で提示されるアマチュアリズムという概念が想起されるそうです。
「専門性や利益にこだわらず、自らの好奇心や愛着の衝動に従ってアクションする姿勢を意味します。今の立場に固執せず、好奇心や状況で自分の専門性を軽々と手放す。変化の多い時代に自分らしいキャリアを重ねていける人は、こうした身軽な方なのでしょう」
キャリアに対する固定観念を持たず、前に進み続ける生き方が、キャリアチェンジ成功の秘訣かもしれません。