モデルとして活躍する一方、最近では『浅き夢見し』(13年)や『永遠とは違う一日』(16年)など、小説家としても精力的に活動している押切もえ(37)。2014年から障害者支援の一環として鳥取県を訪れ、2015年には「障害を知り、共に生きる」をキャッチフレーズとした「鳥取県あいサポート大使」に就任した。

今年7月に自身初の児童書『わたしからわらうよ』(ロクリン社/177ページ/1400円税別)を出版するまでにはこのような経緯がある。小学3年生の桜は、友だちや家族に気を使ってばかりで自分に自信が持てない女の子。そんな桜が鳥取の祖母の家に一人で行くことに。不安と戸惑いの中、周囲の人々との触れ合いで徐々に心が変化していく。同書は障害者をテーマにしながら、大枠では健常者を含めた「人と人とのコミュニケーション」について押切の思いが映し出されている。

押切が問いかける「壁」とは一体何なのか。彼女の足跡をたどっていくと、「モデル」という特殊な仕事の原点が見えてくる。

モデルの押切もえ 撮影:荒金大介

――今回の著書は、2015年に「鳥取県あいサポート大使」に就任したのがきっかけと聞きました。

2014年から活動していたのですが、そこでハンディキャップアーティストの方々とチョコレートパッケージのコラボレーションで絵画を共作しました。もともと社会貢献には興味があって、絵を描くきっかけもチャリティです。何か自分ができることで喜んでくれたらと考え続けていました。

――鳥取県には何かゆかりがあったんですか?

この活動を通じて初めて行きました。砂丘が有名ですが、海や山の豊かな自然があって、お食事もおいしいですし、人も優しいです。

――大使に任命されると聞いて、どう思われましたか?

「私が?」と驚きました。自分ができることはそこまで大きくないというか。一体自分に何ができるのかと戸惑った部分も少しありましたが、「あいサポート」の「自分のできることを探して、理解して、小さな一歩から」というコンセプトを心掛けています。現地に行くと、話を聞くだけでも喜んでくださるんです。もっと自信を持って活動しようと思いました。

――今回の著書に登場するパン屋「ぱにーに」は実際にあるそうですね。

そうですね。障害のある方を受け入れているお店です。みなさんがそれぞれ自分ができることを担当されていて、バックヤードなどを見学させてただきました。

――主人公・桜ちゃんと同学年の海斗くんのセリフで「働いている人の笑ってる顔が見える」とありました。ぱにーにの魅力を語る場面でしたが、押切さんご自身が感じられたことだったんですね。

みなさんがはつらつと挨拶してくださって、すごく感銘を受けました。あいさつが苦手な方もいらっしゃって、そういう方は黙々と袋詰めに集中して。きちんと役割分担されていて、とても和やかな雰囲気でした。ぱにーに以外でもカフェとか、海産業では海苔詰めをやったり。みなさん、一生懸命でした。

受け入れる社会の形にも感心しましたし、できることで役目を果たそうとする皆さんの姿にも感動しました。中には働くのを断られる方もいるそうで、働く喜びみたいなものも伝わってきて、見習うことばかりでした。「疲れた」なんて弱音吐けませんね(笑)。

――現地でのふれあいを通して感じたこと、その思いが今回の著書には反映されていました。どのような経緯で児童書になったのでしょうか。

みなさんと一緒に絵を描く活動をしていたので、絵を通して何かを伝えようと思っていたんですが、形がどんどん変わっていって。その活動の中で知り合った筋ジストロフィーの山本(拓司)さんの話を書こうと思っていたんですが、障害のことだけを書くのではなくて、たとえば人見知りとか臆病とか、そういうことも人と人の「壁」になるんじゃないかと思い始めました。健常者でも感じる「壁」。それを自分から取り払っていく話にしたくて、主人公は小学校3年生の女の子に。自分の思い出も入れられるような物語にしました。

――小学校3年生の女の子が主人公なのですが、ご自身の経験を投影させた部分もあったのでしょうか。

そうですね。3年生ぐらいで自分がガラッと変わったというか、友だちの作り方にも変化があったような気がします。自発的に動くこともできたり。3年生で初めて大好きな親友ができて、そのあたりから学校が楽しくなりました。それまでは、近所の子とばかり遊んでたんです。

――桜ちゃんにとって、一人で鳥取に行くのは海外旅行に近かったでしょうね。

そうですね。私の祖母は山形に住んでいたので夏休みになると弟と行っていたんですけど、小学校2年生の時に父が先に帰ることがあって、1カ月ぐらい一人の時がありました。いとこもいるし楽しいんですけど、やっぱり子どもだから急に帰りたくなることもあるじゃないですか? 集まっている子どもたちが、1日1人そうなっていって(笑)。記憶では1カ月ですが、実際は2~3週間ぐらいだったのかもしれないです。それぐらい長く感じました。両親が迎えに来てくれた時、すっごくうれしかったのを覚えています。

――ちなみに、タイトルにはどのような思いが込められているのでしょうか? 「壁」を取り払う上でもとても大切な言葉です。

そうですね。「自分から心を開こう」という意味です。誰だってできることですし、意識すれば「世界が変わるかもしれない」という願いも込めて。

――芸能界はいろいろな才能を持った人たちの集団だと思いますが、周りやファンとのコミュニケーションも活動の柱になっていると思います。押切さんはそのあたりの変化はありましたか。

芸能界に入ってから、徐々に変わりました。いまだに場によってはすごく緊張して話を聞けなくなっちゃったり、とんちんかんなこと話しちゃったりとか。ありますよね、あの時舞い上がっちゃったなとか(笑)。