山竹伸二『「認められたい」の正体』(講談社/2011年3月/760円+税)

誰であっても、多かれ少なかれ「他人から認められたい」という気持ちは持っているはずだ。「認められたい」という気持ちが努力や自己実現といった健全な方向に向かうのならばよいのだが、現代ではこの「認められたい」という気持ちが暴走することもある。特にインターネット上ではそのような「認められたい」の暴走をよく見かける。Facebookで自分の投稿にどれだけ「いいね!」がついたかに一喜一憂したり、Twitterのポストがどれだけ拡散されたかを自分の能力の証明だと勘違いしてしまったり、ネット上で承認欲求に振り回されてすり減っている人たちは実際少なくない。

もっとも、だからと言って「認められたい」という気持ちを抱くことが完全に悪だと言いたいわけではない。「認められたい」という気持ちを原動力にして大きな努力を重ね、結果的にそれが自己成長や社会貢献へとつながることもある。このように、「認められたい」という気持ちには実際正の側面と負の側面の両方がある。たまに「承認欲求」そのものを全否定している人を見かけることがあるが、そうやって承認欲求をバッサリ斬ってしまうのはあまりにも単純すぎる。

今回紹介する『「認められたい」の正体』(山竹伸二/講談社/2011年3月/760円+税)は、そんな「認められたい」という気持ちについて整理して考えるのに非常に適した一冊だ。Facebookへの自分の投稿に「いいね!」がついたかいつも気になって仕方がないという人も、あるいはそうやってSNSに夢中になっている友人・知人を冷めた目で見ずにはいられないという人も、本書で「認められたい」という気持ちの正体について考えてみてはいかがだろうか。

「誰から認められたいと思うか」は成長とともに進化する

単に「承認」と一言で言っても、実際にはその対象が誰なのかによって性質が異なる。たとえば、親や恋人から認められるのと、顔も知らないどこかの誰かから認められるのとでは、同じ承認でも必要なことが変わってくるだろう。親や恋人が相手の場合、基本的に承認はほぼ無条件で与えられる。一方で、顔も知らないどこかの誰かから認められるには、社会的文脈に即した実績が必要だ。

本書では、「承認」をこのように「誰から認められるか」によって3種類に分類している。まず、親や恋人のような愛と信頼の関係にある他者からの無条件の承認(親和的承認)。次に、会社の同僚や学校のクラスメイトといった集団的役割関係にある他者からの承認(集団的承認)。最後に、社会的関係にある他者一般からの承認(一般的承認)。

大切なのは、この承認が単なる分類ではなく成長の過程で進化していくものと捉えているところだ。生まれたばかりの時、人間が最初に受ける承認は親からの愛情に代表される「親和的承認」である。これが少し成長するとクラスメイトなど自分が所属する集団からの「集団的承認」に進化する。最終的には、自分の所属する組織を超えた「一般的承認」にたどり着く。最初は自分のことしか考えられなかった人が、まず自分の所属する集団内のことを考えられるようになり、最終的には世の中全体のことを考えられるようになる、と捉えてもよいだろう。このように「認められたい」という気持ちが最後の一般的承認に向けて進化していくのであれば、それはいたって健全なことである。

社会的価値観の不在が「認められたい」という気持ちを迷走させる

もっとも、現代ではこのように「親和的承認」からはじまり「集団的承認」を経て「一般的承認」にたどりつく、といった健全な承認の進化が行われない場合が少なくない。たとえば、Facebookで「いいね!」の数に一喜一憂している人は、どう考えても「一般的承認」には至っていない。今所属している身近な集団内で自分が周囲からどう思われているかに必要以上にこだわり続けるのは、「集団的承認」の段階に完全に囚われてしまっている。

このようなことが起こるのは、自分が従うべき社会的価値観が確定せず曖昧だからだと考えることもできる。近代以前は、人間は社会の一元化したルールに従えばそのまま社会的承認を得ることができた。しかし現代では、社会の一元化したルールなんてそもそも存在しない。どんな価値観で生きるのも基本的には自由だが、その代わり、自分がどういう価値観で生きるべきなのかは自分で決めなければいけない。この価値観が定まらないと、とりあえず今自分が所属している身近な集団の中の承認に一喜一憂する「空虚な承認ゲーム」に陥ってしまう。

本書が解説しているのは、こういった空虚な承認ゲームの構造と抜け出すための「考え方」であって、「こういう社会的価値観で生きるといいですよ」という「答え」ではない。自分が従うべき社会的価値観は、あくまで自分で見つけなければならない。もちろん、本書はそれを見つけるための強力な助けになるはずだ。「認められたい」という気持ちでもやもやした気持ちを抱えたことがある人は、ぜひ読んでみてほしい。


日野瑛太郎
ブロガー、ソフトウェアエンジニア。経営者と従業員の両方を経験したことで日本の労働の矛盾に気づき、「脱社畜ブログ」を開設。現在も日本人の働き方に関する意見を発信し続けている。著書に『脱社畜の働き方』(技術評論社)、『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』(東洋経済新報社)がある。