3月は別れの、4月は出会いの季節である。学校、友人関係だけでなく、職場でも職員を送り出し、迎えいれる。新しく入社する人は、技能を身に付け活躍しようと希望に胸をふくらませ、一方で職場でうまく人間関係を築けるだろうかと不安を持つことだろう。
そして新入社員を受け入れる側も、人件費を抑えるために絞って採用した"精鋭"を教育し、組織に適応してもらい最大限のパフォーマンスを発揮してもらわなければならない。すなわち、受け入れてもらう側だけではなく、受け入れる側にかかるストレスも大きいのだ。
新卒社会人の3割が、3年以内に離職することを紹介した本が数年前にヒットして以来、新卒社会人と彼(女)らを受け入れる会社との関係は、事あるごとに何かとクローズアップされるようになった。
その関係に焦点が当たるときは、得てして何かしらネガティブな社会的出来事が背景に潜んでおり、そこにはストレスが絡んでいることも多い。ただ、"現場"では一筋縄ではいかないことも往々にして起きるのだ。今回は桐和会グループの精神科医・波多野良二先生に、実際の診療をもとに「新型うつ」について解説してもらった。
外出はできるが、職場には行けない新型うつ
波多野先生のところに、IT関連会社に勤めるAさんが訪れたのは、入社して間もない6月ごろだった。初めて診察室を訪れたときの訴えは、「忙しくて仕事をこなしきれない。意欲が低下し処理スピードが低下、残業続きになり朝起きられず、やがて会社に行けなくなった」というものだった。他の症状とも合わせ、波多野先生は「適応障害」の診断基準を満たすと判断、少量の向精神薬を処方するとともに、休息が必要との診断書を作成した。
Aさんは休職後しばらくすると外出可能となり、電車に乗って繁華街にある趣味の店に行けるようになった。波多野先生は、復職に向けて趣味の店から程近い職場最寄り駅まで通勤訓練をするよう指導した。
しかし通勤訓練中、駅に近づくとめまいがして気分が悪くなり、まだまだ復職は無理だと本人がいう。Aさんは趣味を楽しむことはできても復職までには時間がかかり、給与の3分の2を保証する「傷病手当」が切れる期限(1年半)ギリギリまで休職し、やっと元の職場に戻ることができた。
休職と復職を繰り返し、最後には退職
Aさんは復職後にしばらく通院を続けたが、数カ月後に通院を中断。その後また「うつ状態」で会社に行けなくなったと来院した。本人にはさほど悲壮感はない。さらに再度復職してもすぐ会社に来られなくなってしまう。本人もつらいだろうが、困ったのは会社も同じである。
波多野先生は、「正式な医学用語ではありませんが、『新型うつ』という言葉が最近使われるようになっており、Aさんはそのケースにあたるかもしれません」と指摘する。
「私は時に励まし、時に叱って社会に適応するよう促しましたが、なかなかうまくいきませんでした。3回目の復職時には自宅から遠い事業所に配属され、2、3日で出勤できなくなって退職を余儀なくされました。こうしたケースではご本人の権利を守ることも大切ですが、同時に医療機関や会社、労働基準監督署、健保組合など関わりをもつ周囲も対応に苦慮します。ご本人が医療機関の診断書を理由に出社しないこともあり、会社の同僚や上司の方も気を遣って疲れてしまうこともしばしばです」。
若者を見守る人たちにも手を差し伸べる必要性
昨今は、不当なノルマや過重な業務量で社員を追い込み、うつを発症させるいわゆる「ブラック企業」の取り締まりが叫ばれている。このように、上司や先輩を含めた「会社」から若者ら「個人」への過度のストレスが引き金となって起こるうつもある一方で、今回波多野先生が紹介したようにやや趣が異なるうつもある。
このAさんの場合は、職場以外では普通の生活を過ごすことができた上、職場に明らかな"責任"があったとも考えにくい。むしろAさんという「個人」に「会社」が振り回され、周囲が疲弊してしまった感があったようにとれなくもない。
この先少子化が続くことが見込まれるため、若者一人ひとりの能力を引き出していくことが社会には不可欠である。若者を大切に育て、社会からこぼれ落ちないようにする努力が必要だ。しかし若者を見守る先輩たちにもストレスは多く、見守る人たちにも助けが必要かもしれない。
※個人情報保護のため、本記事は何人かの事例を組み合わせて内容を改変したものです。特定の個人についての記述ではありません。また、写真と本文は関係ありません。
記事監修: 波多野良二(はたの りょうじ)
1965年、京都市生まれ。千葉大学医学部・同大学院卒業、医学博士。精神保健指定医、日本精神神経学会専門医、日本内科学会総合内科専門医。東京の城東地区に基盤を置く桐和会グループで、日夜多くの患者さんの診療にあたっている。