「百合」という言葉をきいてわかる若い人は、あまりいないかもしれませんね。百合とは、女性の同性愛、またはそれに近い友愛のこと。男性同士のそれを、いまではボーイズ・ラブとよぶことから、最近ではガールズ・ラブとよばれたりすることもあるようです。そんな百合に萌える男性たちが少なからず、いるようです。どうして男性たちは、百合に萌えるのでしょうか。
女性たちがBLにはまる理由
以前、「女性たちはボーイズラブにはまるのか」について解説しました。そのときは、物語のカレは、あくまで物語のカノジョ(べつの女性)のことをみているに過ぎず、自分のことをみてくれているわけではない。それに対して、ボーイズラブには女性が登場しないため、自分が誰かの代わりという錯覚が起ここらない。また、女性が登場しないボーイズラブであれば、主人公のカノジョとして自分が性的に汚されることもなく、客観的に傍観できる。ということを理由としてあげました。
多様で多層な愛情表現
では、男性と百合との場合は、どうなのか。もちろん理由は単純ではないでしょう。まず一つは、男女の恋愛のようにベットをともにすることが、ゴールではないということが挙げられるかもしれません。どうしても、現実もそうであるように、ベットをともにするというゴールに向かって物語が展開するのが男女の恋愛です。主人公の男女以外の存在は、主人公たちを嫉妬や浮気に翻弄させますよね。
ですが、百合の場合は必ずしも肉体的なつながりがゴールではなく、精神的なことに重きを置いているように感じます。通常の男女の物語以上に愛情表現が多様で多層なところに、男性は萌えているのではないでしょうか。
性に対するファンタジー
また、これは性的なことで通じるものがあるのですが、アダルトビデオなどで、レズビアンものが好きな男性がいると思います。じつは、男優との絡みがいらないのではないかという男性もけっこういるんです。男性を撮さないでくれと。つまり、ファンタジーとしてセックスを疑似体験している映像のなかで、男性が登場することが生々しさを生んでいる。
女性がボーイズラブに求めていた主人公のカノジョとして自分が性的に汚されることもなく、客観的に傍観できるということにも通じるのですが、自分がその女性と交わりたいのに、別の男性が登場すると交われなくなる。
つまり、男性の場合は自分を登場人物に置き換えるのではなく、自分自身をそのままそこに登場させたいんです。ですから、自分以外のよけいな男性を登場させたくない。だったらむしろ、レズビアンや百合のほうが楽しめるというわけなんです。男性が百合に萌えるのは、性に対するファンタジーなのかもしれません。
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著者プロフィール
平松隆円
化粧心理学者 / 大学教員
1980年滋賀県生まれ。2008年世界でも類をみない化粧研究で博士(教育学)の学位を取得。京都大学研究員、国際日本文化研究センター講師、チュラロンコーン大学講師などを歴任。専門は、化粧心理学や化粧文化論など。魅力や男女の恋ゴコロに関する心理にも詳しい。現在は、生活の拠点をバンコクに移し、日本と往復しながら、大学の講義のみならず、テレビ、雑誌、講演会などの仕事を行う。主著は『化粧にみる日本文化』『黒髪と美女の日本史』『邪推するよそおい』など。