以前、ある仕事の関係で、某地方都市の小さな街で暮らす老夫婦を取材したことがあった。結婚して40年以上は経つという老夫婦の間には一男一女の子供がいるが、どちらもすでに独立して別々の家庭を持っているため、その老夫婦はかれこれ10年近くも二人きりの慎ましい生活をしているという。
過疎化が進む地方の街で老夫婦が長年二人暮らしをしていると聞けば、なんとなく寂しいイメージを抱く人も多いだろう。実際、僕も最初はそう思っていた。
しかし、二人の生活ぶりはそれとは大きく違った。毎日、稼業の農作業に精を出す齢70歳過ぎの御主人と、それを支える奥様がまるで若い恋人同士のように仲睦まじく、食事中の会話も絶えることがない。二人曰く、子供たちが独立して二人だけの暮らしになったことで、かつてよりも夫婦の絆が深まったとか。要するに、夫婦円満なのである。
週に4、5回は二人で鍋料理をつつく
さて、今回はそんな二人の夫婦円満の秘訣についてである。なんでも、この老夫婦は週に4、5回は二人で鍋料理をつつくらしく、御主人曰く、それが人間関係を円滑にする鍵だという。また、古い日本家屋である自宅には現代では稀少になった囲炉裏が残存しており、今でもその囲炉裏を使用して様々な種類の鍋を楽しんでいるそうだ。
「人間同士の親睦を深めるためには、みんなで火を囲むことが一番なんですよ」
御主人はそう言って、昔ながらの人間の知恵を教えてくれた。各家庭に当たり前のように囲炉裏があった時代は、食事のたびに家族全員が囲炉裏に集まるため、みんなで火を囲むことが日常的だった。つまり、囲炉裏とは家族の結合の象徴であり、一家団欒とは家族全員が同じ火を囲むことを指していた。だからこそ、今でも御主人は奥様との心の結合を強化・維持するために、囲炉裏での鍋料理を重視しているというわけだ。
これにはおおいに納得させられた。確かに、火というものは人間同士の心を通い合わせる不思議な力を持っていると思う。家族であれ他人であれ、同じ火を囲むことで心の距離を一気に近づけることができる。鍋料理の他には、たとえばキャンプファイヤーなどが典型的だ。夏夜の山や海辺などで、他人同士が集まって燃え上がる炎を囲む。それだけでぐっと親密になれることこそ、キャンプファイヤーの魅力のひとつだろう。
これは日本だけでなく、世界各国でもそうだ。火には人間を接近させ、親密さを強める効果があるということは、かつてアメリカ大統領を務めたフランクリン・ルーズベルトも直感的にわかっていたのだろう。ルーズベルトは在任中に定期放送していたラジオ演説の番組名を『Fireside Chats』(和訳『炉辺談話』)とし、その中で国民に親しげに話しかけていた。イメージ上の火を通して、自分と国民の距離を近づけようとしたのである。
「火」は夫婦円満の秘訣として重要なキーワード
そう考えると、確かに「火」は夫婦円満の秘訣として重要なキーワードだ。現代社会を生きる若夫婦が毎日のように囲炉裏で鍋料理をつつくことは現実的に無理があるとしても、たとえば食卓の上にローソクを置くなどといった工夫なら簡単にできるだろう。電灯で照らされることに慣れてしまった現代人の多くは、いつのまにか照明の手段としてのローソクを忘れ、食卓のローソクといえばムードを添えるものという認識になっている。しかし、このムードこそが人間同士を親密にするために重要な役割を果たすのだ。
火の共有による親密な人間関係は、食事の調理についても言えることだ。「同じ釜の飯を食った関係」とは遠慮のない親しい間柄という意味であり、その言葉の通り同じ火で調理されたものを飲食するということは、人間同士に深い共有感覚を与える。
したがって、夫婦円満や家庭円満の秘訣とは、つきつめれば食事をなるべく共にするということなのかもしれない。たとえ夫婦喧嘩が増えたり、夫婦同士の会話が減ったりしたとしても、毎晩の食事だけは一緒に卓を囲むようにすれば、互いの共有感覚が自然と深まり、最悪の事態にまでは発展しないように思う。ましてや、そこにローソクの火の演出でもあれば、冒頭の老夫婦のようにいつまでも仲睦まじくやっていけるのではないか。
「同じ釜の飯を食う」ことが、悪化した夫婦関係の修復にも大きな効果
実際、何人かの離婚経験者の話を聞いたところ、男女問わず多くの人が「離婚前はほとんど夫婦で食事をしなかった」と言っていた。浮気やDVなどが離婚原因の場合はどうしようもないが、それ以外の些細なすれ違いが原因で夫婦仲が悪化した場合は、それが直接的な離婚原因になるのではなく、そのせいで夫婦が共に食事をしなくなったことが離婚へのスピードを加速させたようだ。逆に考えれば、「同じ釜の飯を食う」ということは、悪化した夫婦関係の修復にも大きな効果を発揮するのだろう。
近年は長引く不況の影響からか共働きの家庭が増え、それによって夫婦の生活リズムがなかなか合わず、家族全員で食事をすることが難しいという事情も珍しくなくなった。もしかしたら、現代の日本における離婚率の上昇には、こういった夫婦の生活リズムの不規則さも関係しているのかもしれない。生活をより豊かにするために夫婦二人で必死に働くことが、結果的に食事を共にする機会を奪い、それによって二人の絆が脆弱になるのだとしたら、なんとも皮肉な話である。
<作者プロフィール>
山田隆道(やまだ たかみち)
小説家・エッセイスト。早稲田大学卒業。これまでの主な作品は「虎がにじんだ夕暮れ」「神童チェリー」「雑草女に敵なし!」「Simple Heart」など。中でも「雑草女に敵なし!」は漫画家・朝基まさしによってコミカライズもされた。また、作家活動以外では大のプロ野球ファン(特に阪神)としても知られており、「粘着! プロ野球むしかえしニュース」「阪神タイガース暗黒のダメ虎史」「野球バカは実はクレバー」などの野球関連本も執筆するほか、各種スポーツ番組のコメンテーターも務めている。
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