シャブリ以外のブルゴーニュということで、前回はヴォーヌ・ロマネ村の貴公子ともいわれるジャン・ニコラ・メオ氏、ピュリニー・モンラッシェ村のジャン・ミシェル・シャルトロン氏にご登場いただいた。今回はクレマン・ド・ブルゴーニュの造り手を含む4つのドメーヌを紹介する。
フランス人兄弟と日本人妻が造る新星マランジュのワイン
「ドメーヌ シュヴロ・エ・フィス」 / パヴロ&かおり、ヴァンサン シュヴロ(シャイイ・レ・マランジュ村)
いくらブルゴーニュワイン愛好家でも、マランジュのワインを語れる人はそう多くはないだろう。なぜならこのアペラシオン(原産地統制名称)はほんの20年前、1989年に生まれたばかりだからだ。小さな丘の3つの村はシェイイ・レ・マランジュ、ドゥジーズ・レ・マランジュ、サンピニイ・レ・マランジュと別々に名乗ってワインを造っていた。村と村に畑がまたがることもしばしばだったし、こっちの村の畑とあっちの村の畑のブドウをブレンドしてワインを造る、なんてことも普通になされていた。
ただ、である。その2つ、ないし3つの村にまたがったブドウでワインを造ってしまうと、これは"コート・ド・ボーヌ"のアペラシオンでしか名乗れない。つまり、シェイイやドゥジーズやサンピニイ(・レ・マランジュ)という村の名前では、決して売られることはなかったわけだ。これでは村名が広がらないわけだ。そこで、3つの村の若き造り手たちがINAO(原産地統制名称協会)に掛け合い、ようやく統合されたのが1989年5月のこと。この改正では、本来ソーヌ・エ・ロワール県に属するマランジュが、今までサントネイを南の境界としていたコート・ドールに仲間入りすることが許された。つまり、「これからコート・ドールはマランジュを南の玄関口とする」というおまけまでついてきたのだ。
ドメーヌ・シュヴロは、そのINAOが設立される1930年代に現当主・パヴロの祖父母がシェイイ・レ・マランジュ村に設立した。1973年に父母へと受け継がれ、相変わらずアペラシオンの辛酸を舐め続けていたのだが、件のとおり1989年に新アペラシオンとなり、満を持して若きパヴロ(現在33歳)と日本人の妻かおりが2002年に引き継いだ。現在、パヴロの弟ヴァンサンも加わり、ビオロジックに取り組んでいる。
ビオロジックということで農薬や除草剤不使用なのだが、さらに一部の畑では馬で耕作している。土中にミネラルが残ってしまうとブドウの生長に差し障りがあるため、ブドウの開花期までに漉き入れの必要がある。トラクターでは土をガチガチに踏み固めてしまい、根が呼吸しにくい状態になってしまうが、馬なら自分の歩いた蹄の跡が付くだけで、トラクターよりはるかに軽い。なおかつ、馬は運動することで二酸化炭素を大量に吐き出すため、植物の光合成にはもってこいというわけだ。残念ながら訪問した冬季では見られない作業であったが、ドメーヌ・シュヴロの場合、馬は年間契約でレンタル、必要なときに騎乗者付きで予約するのだそう。こうした甲斐あって、ビオロジックの認証機関・エコセールの認証を取得、2008年ヴィンテージから反映されている。
ソーヌ・エ・ロワール県とはいえコート・ドールとは地続き、ほぼ南向きの畑は近い将来、化けて出る可能性は大だ。しかもコート・ドールよりずっと安価だ。ドメーヌ・シュヴロのワインはもちろんだが、マランジュの名を世に知らしめるべく広報役としての活躍にも期待したいところである。