「ウェスタン・アプローチ」とは、第二次世界大戦中に、アメリカとイギリスを結ぶ “大西洋の架け橋” を構成した「西方近接海域」あるいは、その “大西洋の架け橋” を維持するための指揮を執った司令部のこと。「西方近接」と直訳すると意味不明になってしまうが、イギリスの西から船団がやってくるのだから、そういう名前になる。→連載「軍事とIT」のこれまでの回はこちらを参照

  • 現在は「WWII Museum」になっている、ウェスタン・アプローチ管区の建物 撮影:井上孝司

第二次大戦中の司令部が博物館に

イギリスのリバプールでは、そのウェスタン・アプローチ管区司令部がそのまま、博物館「WWII Museum」として公開されている。筆者が訪問した時点で、入場料は14.5ポンド。エントランスからいきなり地下に降りるが、これは主要な施設がみんな地下に設けられているからだ。

地下に降りると、まず “大西洋の架け橋” の重要性を説明するショートムービーが流されている。その次に、「戦時中のイギリスの町並み」を再現した区画、さらに陸海空軍の婦人補助部隊に関する説明、と続く。当時のイギリスでも、もちろん物資は統制されていたが、やはり闇市にモノを横流しする輩はいたらしい。

こうした展示は、“大西洋の架け橋” を維持しなければイギリスの市民生活も立ちゆかなくなること、そして、イギリス軍ではさまざまな分野で女性が活躍していたことを示すイントロとなっている。第571回にブレッチェリー・パークの話で取り上げた「ディスパッチ・ライダー」も、その一つだ。

その後に、通信を担当するテレプリンター室、電話交換所、電信を担当する通信室、参謀長室、といった区画が続き、その先でハイライトとなる「作戦室」が登場する。

  • テレプリンターとはこういうものだ 撮影:井上孝司

ウェスタン・アプローチ作戦室

作戦室(operations room)とは、要するに指揮所である。一方の壁面には大きな北大西洋の地図を描いたボード(さらに、イベリア半島から北アフリカにかけての西方に位置する中部大西洋と、イギリス本土周辺の地図もある)、その反対側には指揮所のスタッフが陣取るデスク。さらにその背後には、海軍と空軍の担当者が詰める部屋。その上層には司令室。そんな構造。

大西洋を行き来する船団から現在位置の報告が上がってくると、船団の位置を示す札を地図にペタリと貼り付ける。ところが、壁面の地図は2.5階分ぐらいの高さがあるので、上の方には手が届かない。そこで手前側に、左右にスライドできる梯子を設置して、そこに人が登って札を貼り付けたり移動させたりしていた。

当時の護送船団の速度は、速いものでも十数ノット、遅いものなら十ノット未満と、そんなに動きが速いわけではない。よって、位置の報告が入ってきたら札を動かす程度のことで用が足りる。

  • これが「作戦室」。左手の壁面が、船団の位置を示すボードになっている 撮影:井上孝司

  • その反対側はこんな構造。二層の窓が並んでいるが、下の手前側が海軍、奥が空軍のスペース。上層は司令室 撮影:井上孝司

英空軍が防空指揮のために設置した「フィルター室」では、レーダーサイトから探知報告が上がってくると、平らな地図の上に駒を置いて、それを婦人補助部隊の隊員が熊手で動かしていた。飛行機は速度が速いからそんな仕掛けが必要だったが、船団は速度が遅い一方で、カバーすべきエリアが広い。そんな違いが、状況表示のやり方に現れている。

この地図の左側には、船団護衛を担当する艦艇や航空機の状況を示すステータス・ボード、右側には発見された敵潜(つまりドイツのUボート)の状況を示すボードがある。海軍だけでなく空軍の担当者が詰める部屋もあるのは、当時のイギリスでは洋上哨戒を空軍の沿岸航空隊(Coastal Command)が担当していたためだ。

その一層上にある司令室には、執務用のデスクと電話。大きな窓越しにボードの状況は一目瞭然だが、小さな文字を読み取れるように双眼鏡を備え付けているのが面白い。その司令室に隣接して寝室があり、司令は地下の穴蔵で職住近接どころか職住同居していたわけだ。

  • 司令室のデスクからは、このようにボードの状況が一目瞭然 撮影:井上孝司

C3Iと状況認識の重要性

「人が梯子で登っていって札を貼り付ける」方法、今の目から見ればまことにローテクだが、それでも作戦上の必要性は満たされている。手段に過剰に凝ることなく、必要とされる機能を迅速に実現したあたりは、いかにもイギリスらしい。とことん現実主義、実用本位なのだ。

そして、単一の大きなボードに状況認識のためのデータが集まっている。それを一瞥すれば、どの船団がどこにいるかが分かるし、それを護衛する戦力の状況も分かる。海空軍の担当者は、みんな同じボードを通じて情報を共有できる。情報を得たり、指示を飛ばしたりする手段となる通信施設も、同じ建物の中に陣取っている。

つまり、ウェスタン・アプローチ管区の作戦室にしても空軍のフィルター室にしても、当時のイギリス軍ではC3I(Command, Control, Communications and Intelligence)と状況認識の重要性をよく理解していたことが明瞭に現れている、といえるだろう。もちろん、それは信頼できる通信手段あってこそだが。

今なら、コンピュータの画面あるいは大きなスクリーンに全体状況を表示して、それを時々刻々更新するのは「当たり前」の話になっている。とはいえ、手段こそ異なるものの、その源流はすでに第二次世界大戦の時点で存在しており、かつ、ちゃんと役に立っていたのである。

もちろん、連合国がUボートを制圧して “大西洋の架け橋” を維持できた背景には、武器やセンサーや対潜戦術などの分野における不断の改良・改善がある。しかし、そういったツールをどう動かすかも問題である。その手段として、ウェスタン・アプローチ管区の作戦室みたいなC3I施設は極めて重要な位置を占めていたのだ。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。このほど、本連載「軍事とIT」の単行本第4弾『軍用レーダー(わかりやすい防衛テクノロジー)』が刊行された。