真夏の東京ドーム。都市の名と企業の誇りを背負い、ひときわ大きな声援に包まれてグラウンドに立つ野球選手たちがいる。ペナントレースという長いシーズンを戦い抜くプロ野球ではなく、トーナメント形式の短期決戦。「社会人野球」という、もう一つの真剣勝負の舞台だ。
毎年夏に開催される都市対抗野球大会は、単なるスポーツイベントの枠を超え、企業や地域の誇りを背負ったゲームが繰り広げられる。スタンドには社員や家族、地域の人々が集まり、熱い視線が注がれる。
スポーツチームでのIT活用事例を追う本連載。今回は都市対抗野球大会でも常連で、2017年には優勝経験もある名門、NTT東日本硬式野球部を取材した。同チームは現在、社内の先端テクノロジー部と連携しながら、プレー中の選手の映像からフォームを分析するAIツールを開発し導入している。
70年以上の歴史を持つ名門チームがAIの活用に着手
NTT東日本硬式野球部は1954年に、電電公社(現 NTT)の「電電東京硬式野球部」として創部。1985年の電電公社の民営化に伴いチーム名を「NTT東京硬式野球部」に変更し、1981年には都市対抗野球で初優勝を遂げている。
その後、NTTグループの再編に伴い、東日本にあった4チームを統合して「NTT東日本硬式野球部」としてのスタートを切り、現在は東京都を本拠地に活動している。
2017年の都市対抗野球で36年ぶり2度目の優勝。2020年には同大会で準優勝、2022年は日本選手権で準優勝と、国内トップレベルに位置し続けている。過去には多くのプロ野球選手も排出した。
同チームではNTTグループが持つ先端的な技術を活用しながら、データ分析や映像技術の活用を進めている。客観的な指導をプレーに取り入れることで、より精度の高い戦術の構築と選手育成を目指すという。
AIと映像解析技術で投手のフォームを可視化
取材に向かったのは、NTT東日本硬式野球部が練習場として使用する、NTT東日本船橋グラウンド(千葉県 船橋市)の屋内練習場。ブルペンでは稲毛田渉選手が投球練習をしていた。
キャッチャーの後ろにはカメラが設置されており、フォームを撮影していた。この映像はすぐにPC端末で分析され、骨格からフォームの特徴が検出されるという。
内角・外角のコースや、直球と変化球の投げ分けなど、なるべく同じフォームで投げ続けた方が打者に意図や球種を読まれにくい。リリースポイントや体重移動のタイミングのズレ、体の開き具合の微妙な差でも、トップレベルの世界では勝敗に関わる。
だからこそ、投手にとって投球フォームの再現性は重要な生命線だ。どの球種でも、どのコースに投げる場合でも同じフォームで投げられれば、打者は球種を絞りづらくなる。無意識に生じるクセは少ない方が良い。
従来はこうした課題を、コーチや捕手からのコメント、あるいは投手自身の感覚で修正するしかなかった。しかし映像解析の技術によって客観的に分析できれば、フォーム修正の精度が飛躍的に高まる。
同じフォームで多彩な球種を投げ分ける技術、これはもはや感覚論ではなく、テクノロジーによって裏付けられる時代になりつつある。投手のフォームの一貫性は、データによって磨かれ、新たな武器としてチームの戦略にまでつながっている。
インフラ点検AIを野球へ応用
AIで選手のフォームを可視化するツール(以下、AIツール)を開発したのは、NTT東日本の先端テクノロジー部 デジタル技術部門。普段は、道路や電柱といったインフラ設備の点検業務において、画像AIなどを活用した効率化に取り組んでいる。
NTT東日本はシンボルチームとして、硬式野球部の他にバドミントン部や漕艇部(ローイング)などを保有しているが、そのシンボルスポーツ担当者から先端テクノロジー部へ「野球部のアセットを活用した施策をしたい」と相談があったのが今回の取り組みのきっかけとなったという。
今回の取り組みで開発したAIツールの特徴は、センサーやマーカーを体に装着しなくてもフォームをデータ化できる点。そのため、練習時に普段のユニフォームでデータを取得できるだけでなく、試合中にもカメラで映像さえ撮影できれば、フォームをデータとして可視化できる。なお、今回はAIツールを投球練習に使っているが、バッティングや走塁など総合的な分析が可能だ。
これにより、例えば「試合序盤と終盤(疲労した状態)で腕の振りがどう変わっているか」といったことも分析できる。異なるタイミングで撮影した映像から、骨格のデータだけを抽出して重ね合わせられるため、一目でフォームの違いを確認可能だ。
ブルペンでAIツールを活用し練習していた稲毛田選手は「これまで感覚的だったものが視覚的に理解できるので、非常に自分のためになると感じている。私が高校生くらいのときには、AIを使った練習は考えられなかった。今後は地面から自分が受けている力の方向なども可視化されると、さらに力強いフォームへと改良できるようになるだろう」と話していた。
AIの導入で野球の指導は「感覚的」から「客観的」に
AIツールの開発で最も重視しているのは、映像データの一元管理だ。従来はコーチや選手がスマートフォンやタブレットなどでそれぞれ撮影していた映像を、AIツールに集約することで、後から見返して比較できる利点がある。
映像にはメモも残せるので、「1年前にはここに注意していた」「半年前の試合からここが変わった」など、振り返って比較できるのだという。
さらに、AIツールでは一つの映像に対し、複数の分析が可能だ。例えば一つの映像の中でも、投手と打者とランナーが映っている場合、誰を対象に動きを分析するのかを設定できる。
AIツールの開発を担当する吉田周平氏は、「AIツールを導入したことで、選手とコーチのコミュニケーションが円滑化している。また、定量的なフィードバックが得られるようになり、選手も自分自身のフォームを理解して修正できるようになった」と話していた。
野球現場で使われるAIへ、試行錯誤が続く
AIツールの開発は、最初から順風満帆だったわけではない。2022年度に始まったこの取り組みは、当初は野球部の指導環境をAIで改善することを目的に開始した。まずは、NTT東日本がインフラ整備の世界で培った技術を応用し、ポーズ(フォーム)推定AIを用いたツールのプロトタイプを開発。
しかし当時は野球部内にデータ活用の素地が整っておらず、ツールを活用した戦略作りの方向性が定まっていなかったという。そのため、せっかくAIを導入しても、推定の結果をどのように活用すれば良いのかわからない状態が続いた。
次なる転機は、球団を支援する福田岳洋氏(BaseballQ)の参画だ。福田氏自身もプロ野球選手としてプレーした経験を持ちながら、現役引退後にはNTT コミュニケーション科学基礎研究所の客員研究員としてのキャリアも持つ。
野球のドメイン知識が豊富で、さらにデータ分析の知見も豊富な福田氏の協力により、AI活用はさらに加速する。福田氏の助言により開発したAIツールのVersion1では、画像AIの出力をアナリストが評価するためのプロセスを整理した。
しかしインタフェースの作りこみが不足していたため、分析結果をコーチや選手が理解しにくく、現場で使いこなすまでには至らなかったそうだ。そこで、Version2~Version3では福田氏の知見を基に可視化機能を強化し、現場でも使いこなせるインタフェースへと改良。
AIは「数値化」ではなくフォーム理解を支援する
福田氏は「市販のツールは、投げたボールの速度や回転、バットのスイングスピードなど、アウトプットの数値化に特化した製品が多い。野球でより重要なのは、どのようにそのボールを投げ、どのようにバットを振ったのか理解すること。吉田さんたちが開発したAIツールは映像からリアルタイムにデータを可視化してくれるので、分析の可能性が広がると感じている」と話していた。
NTT東日本と福田氏らは今後、AIツールの可視化機能のさらなる改良と並行して、LLMを用いたフィードバック生成や、3Dモデルの応用など、より高度な分析機能にも挑戦するとのことだ。
筆者はいわゆる「データ野球」といえば、スコアブックを眺めて打率や対戦成績を必死に分析するようなイメージを持っていた。ましてや投手のフォームは、コーチが「もうちょっと上から」「リリースを気持ち遅く」とアドバイスするしかないと思っていた。
こうした役割はAIによって高度化され、関節の角度やリリース位置は具体的な数値が示される。コーチが「もう少し」と表現していた微妙な差異は、「前腕の角度が5度大きい」「肩の開きを0.02秒速らせる」といった精度で可視化されている。
投手にとって、自分の動きがここまで細かく赤裸々に分解されるのは少し照れくさいのかもしれない。しかしこれは、調子の良い状態を意図して作り出す、再現性という味方を手に入れたことも意味するのだろう。
ただ、野球である以上、最後に勝負するのは人と人である。AI時代においても、選手は自分の意思で判断し、一つ一つのプレーを自信で選び取らなければならない。AIという高度な技術が支え、熟練の感覚で決断する、その融合こそが現代の野球の面白さなのかもしれない。









