人類は長年、火星に人を送り込むことを夢見てきた。しかし、火星へ行くには、現在の技術では片道でもおよそ7~10カ月、往復や滞在を含めれば2~3年規模の長い時間がかかる。

もし、宇宙船をより効率よく、かつ長時間にわたって加速し続けられる推進技術が実用化されれば、この移動時間を短縮できるかもしれない。さらに、少ない推進薬で火星へ向かえるようになれば、その分を居住設備や生命維持装置、食料、科学機器などに振り向けることもできる。

米国航空宇宙局(NASA)ジェット推進研究所(JPL)は最近、その候補となる新しい電気推進エンジンの試験を続けている。推進薬として金属のリチウムを使う「マグネットプラズマ・ダイナミック (MPD: Magnetoplasmadynamic) スラスター」だ。NASAは今後、この成果をもとに、将来の有人火星飛行に使う原子力電気推進の実現につなげようとしている。

  • NASA/JPLが試験している、リチウムを燃料とするMPDスラスター (C)NASA/JPL

    NASA/JPLが試験している、リチウムを燃料とするMPDスラスター (C)NASA/JPL

MPDスラスターとはなにか?

通常のロケットエンジンは、燃料と酸化剤を燃焼させ、高温・高圧のガスを噴射することで推力を生み出す。非常に大きな推力を出せるため、地上から宇宙へ飛び立つには欠かせない半面、大量の推進薬を必要とする。

一方、電気推進は、電気の力で推進薬を高速で噴射する。推力そのものは小さいが、少ない推進薬から大きな速度変化を得られるのが特徴で、化学推進に比べて推進薬を最大90%削減できる。小さな力を数か月、数年にわたって出し続ければ、最終的には宇宙船を非常に高速まで加速できる。

今回のMPDスラスターも電気推進の一種だ。ただし、これまで宇宙探査機などで使われているイオンエンジンやホールスラスターとは仕組みが異なる。

イオンエンジンは、キセノンなどの推進薬を電離してイオンにし、正負の電圧をかけた格子状の電極が作る強い電場によって、イオンを後方へ加速・噴射する。ホールスラスターも、推進薬を電離してプラズマにし、電場によってイオンを加速・噴射する。

ただし、イオンエンジンのような格子状の加速電極は使わず、磁場によって電子の動きを制限することでプラズマを生成する。つまり、両者とも基本的には電場でイオンを加速する方式だ。

これに対してMPDスラスターは、推進薬をプラズマ化して大きな電流を流し、その電流と磁場との相互作用によって生じる電磁力、すなわちローレンツ力でプラズマを加速する。イオンエンジンやホールスラスターがおもに電場でイオンを加速する静電加速を利用するのに対し、MPDスラスターは電流と磁場による電磁加速を利用するという違いがある。

MPDスラスターそのものは1960年代から研究されてきた技術だ。日本でも1995年に宇宙実験・観測フリーフライヤー「SFU」に搭載された電気推進実験「EPEX」で、MPDアークジェットの軌道上実証が行われている。ただし、実用の推進システムとして広く使われるには至っていない。

MPDスラスターは、大量の電力を比較的小さなスラスターで処理できるという利点があり、1基で数百kWからMW級の電力を扱える可能性がある。大電力を推力へ変換し、既存の電気推進より大きな推力を得られる可能性があることが、NASAが有人火星飛行への応用に注目している理由のひとつだ。

リチウムを使った大出力スラスターの利点と課題

今回NASAが試験したMPDスラスターの特徴のひとつが、推進薬にリチウムを使うことだ。

電気推進では、投じた電力のすべてを宇宙船の推進力へ変えられるわけではない。推進薬を電離してプラズマにするためにもエネルギーを消費する。これまで、水素やアルゴン、アンモニアなどさまざまな推進薬が試されてきたが、電離や分子の解離などにエネルギーが使われ、その分だけ推進効率が低下する。

  • 試験中のリチウムMPDスラスターの様子 (C)NASA/JPL

    試験中のリチウムMPDスラスターの様子 (C)NASA/JPL

この点でリチウムは、最初の電子を取り去って一価のイオンにするために必要なエネルギーが比較的小さい一方、さらにもう一つ電子を奪うためには大きなエネルギーを必要とする。この性質により、余分な電離によるエネルギー損失を抑えやすく、高い効率を得られる利点がある。

もっとも、リチウムは推進薬として扱いやすいとは言えない。一般的なイオンエンジンがキセノンなどの気体を使うのに対し、リチウムは常温では固体の金属であり、まず加熱して蒸気にして供給しなければならない。また、噴射した金属が宇宙機へ付着して汚染を招く問題もある。

JPLは2026年2月24日に最初の試験を行い、リチウムMPDスラスターを5回点火し、目標としていた最大120kWまで出力を上げ、正常に作動することを実証した。ここでいう120kWはスラスターに投入する電力の大きさで、NASAの小惑星探査機「サイキ」で使われている電気推進スラスターの25倍以上にあたる。ただし、NASAは4月に発表したこの試験結果で、推力や比推力、推進効率といった具体的な性能値は明らかにしていない。

また、この試験を通じて、金属蒸気を推進薬とする高出力スラスターを試験するためにJPLが整備した試験設備「CoMeT」が、今後の大出力化に向けた試験設備として機能することも確認した。

NASAはその後も試験を続け、8月11日には追加試験を実施したことを明らかにしている。

  • 金属蒸気を推進薬とする高出力スラスターを試験するためにJPLが整備した試験設備「CoMeT」。今回の試験はこの中で行われている (C)NASA/JPL

    金属蒸気を推進薬とする高出力スラスターを試験するためにJPLが整備した試験設備「CoMeT」。今回の試験はこの中で行われている (C)NASA/JPL

原子力との組み合わせで火星をめざす

NASAは現在、アルテミス計画を通じて月での有人探査や長期滞在に必要な技術や運用方法を実証し、その成果を将来の有人火星探査につなげる計画を描いている。今回のMPDスラスターも、そうした将来の有人火星探査を支える技術として開発が進められている。

研究チームは今後数年以内に、スラスター1基あたり500kWから1MWの出力レベルを達成し、最終的には有人火星探査ミッションに利用することをめざしている。

NASAでは、火星への有人ミッションには2~4MWの電力が必要になると想定しており、複数のMPDスラスターを2万3,000時間以上にわたって作動させる必要がある。また、スラスターは非常に高温で動作するため、部品が長時間の運転に耐えられることを実証することが重要な課題となる。

  • 原子力電気推進宇宙船と、宇宙空間で組み立てる大型放熱システム「MARVL」の想像図 (C)NASA/Tim Marvel

    原子力電気推進宇宙船と、宇宙空間で組み立てる大型放熱システム「MARVL」の想像図 (C)NASA/Tim Marvel

今回の試験では、点火中に中心部のタングステン電極が約2,800度にも達した。こうした高温環境で数万時間にわたって性能を保つには、電極の摩耗や熱による材料の劣化を抑え、部品の長寿命化を実現する必要がある。また、リチウムを長期間にわたって安定して供給する技術も課題となる。

さらに、スラスターだけ完成しても火星へは行けない。NASAは、このMPDスラスターを、原子力を電源とする原子力電気推進システムの一部として使うことを想定している。原子力電気推進では、核分裂炉で熱を生み、それを電気へ変換して、数MWもの電力をスラスターへ送り込む。宇宙空間で原子炉を安定して作動させる技術に加え、熱を電気に変換する発電システムや、大量の廃熱を宇宙空間へ逃がす放熱システムなども必要になる。

また、NASAが検討しているのは、化学推進を完全に置き換えることではなく、それぞれの長所を組み合わせる方法だ。大きな推力が必要な場面では化学推進を使い、惑星間航行では高効率の原子力電気推進を長時間作動させるという仕組みだ。

課題は多いが、この技術が実用化できれば、その効果は大きい。NASAでは、原子力電気推進を採用することで、従来の軌道では往復3年以上かかる有人火星ミッションを、約2年まで短縮することをめざしている。

もし、化学ロケットだけで火星へ向かおうとすれば、宇宙船を加速するために大量の推進薬が必要になり、その推進薬自体を宇宙へ運ぶために、さらに巨大なロケットや多数回の打ち上げが必要になる。高効率の電気推進を使えば、同じ任務をより少ない推進薬で実現でき、その分を居住設備、生命維持装置、食料、科学機器などへ振り向けられる可能性がある。

半世紀以上にわたって研究されてきたMPDスラスターが、有人火星飛行という具体的な目的のもとで、ふたたび大出力電気推進の候補として注目されている。さらなる大出力化と長寿命化を実現し、人類を火星へ運ぶ実用エンジンへと発展できるか、今後の研究開発の進展が期待される。

参考文献