その瞳は、もともと宇宙を見上げるためのものではなかった。

米国の安全保障を支える「偵察の眼」として生まれた望遠鏡は、数奇な運命をたどり、いま、人類が宇宙そのものを見渡すための眼となった。

  • ナンシー・グレイス・ローマン宇宙望遠鏡の想像図 (C)NASA's Goddard Space Flight Center

    ナンシー・グレイス・ローマン宇宙望遠鏡の想像図 (C)NASA's Goddard Space Flight Center

2026年8月30日、米国航空宇宙局(NASA)の「ナンシー・グレイス・ローマン宇宙望遠鏡」が、米フロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられた。

ローマンが見つめるのは、宇宙の膨張を加速させているダーク・エネルギー、直接見ることのできないダーク・マター、そして銀河系に無数に存在する太陽系外惑星だ。個々の天体だけを見つめるのではなく、宇宙を広く、繰り返し見渡す。そこから、宇宙がどのように膨張し、その中で銀河などの構造がどのように育って現在の姿に至ったのかを読み解こうとしている。

地上を見下ろす眼から、宇宙を見渡す眼へ

ローマン宇宙望遠鏡の源流は、2010年にまでさかのぼる。同年、米国の全米研究評議会(NRC)は、今後10年間の天文学・天体物理学の研究や大型計画の優先順位を示す「ディケイダル・サーベイ」で、広い空を赤外線で観測する宇宙望遠鏡「広視野赤外線サーベイ望遠鏡(WFIRST)」を、宇宙分野の大型計画の最優先に位置づけた。

検討が進むなか、2012年に計画を大きく変える出来事が起きた。米国の偵察衛星を開発・運用する国家偵察局(NRO)が、偵察衛星への搭載を想定して製造したものの、使っていなかった直径2.4mの望遠鏡2基をNASAに提供したのだ。NASAはその利用方法を検討し、そのうちのひとつをWFIRSTに活用する案を進めた。

この思いがけない贈り物は、WFIRSTの能力を大きく変えた。当初案より大きな主鏡を用いることで解像力が高まり、広い視野と高い解像力を両立できるようになった。さらに、恒星の光を抑えて、その周囲にある惑星を直接観測するコロナグラフ装置を搭載する構想も加わった。NASAはこの構成の検討を進め、やがて現在のローマン宇宙望遠鏡へと発展させた。

そして2020年5月、NASAはWFIRSTを「ナンシー・グレイス・ローマン宇宙望遠鏡」と改称した。その名の由来となったナンシー・グレイス・ローマン博士(1925~2018年)は、NASAで初めて主任天文学者を務めた人物だ。地球の大気に邪魔されない宇宙空間に望遠鏡を置き、その観測データを広く研究者に開放することの重要性を早くから訴え、NASAの宇宙天文学の礎を築いた。

  • ローマン宇宙望遠鏡の名の由来となった、ハッブルの母ことナンシー・グレイス・ローマン博士 (C)NASA

    ローマン宇宙望遠鏡の名の由来となった、ハッブルの母ことナンシー・グレイス・ローマン博士 (C)NASA

とりわけ、のちの「ハッブル宇宙望遠鏡」につながる大型宇宙望遠鏡の構想を推進した功績から、「ハッブルの母」とも呼ばれている。またローマン博士は1959年という早い時期に、地球大気の制約がなければ、系外惑星、すなわち他の恒星を回る惑星を直接観測できる可能性についても論じていた。半世紀以上を経て、その名を冠した宇宙望遠鏡が、まさに系外惑星の直接観測へ向けた技術を宇宙で試すことになったのだ。

  • 打ち上げを待つローマン宇宙望遠鏡 (C)NASA/Jolearra Tshiteya

    打ち上げを待つローマン宇宙望遠鏡 (C)NASA/Jolearra Tshiteya

鋭い眼と広い視野で、宇宙を見渡す

こうして生まれたローマン宇宙望遠鏡は、2026年8月30日、スペースXの「ファルコン・ヘヴィ」ロケットで宇宙へ旅立った。現在は地球から約150万km離れた太陽―地球系第2ラグランジュ点(L2)へ向かって飛行しながら、機器の起動や較正などを進めている。すでに高利得アンテナや遮光用カバーの展開、コロナグラフ装置の起動にも成功した。

今後、打ち上げから約100日後にL2周辺の軌道へ入り、5年間の基本ミッションを進める予定だ。さらに5年間の延長運用にも対応できるよう設計されている。

ローマンの最大の特徴は、高い解像力と、きわめて広い視野を併せ持つ点にある。主鏡の直径は2.4mで、ハッブル宇宙望遠鏡と同じ大きさだ。ただ、鏡面はハッブルの主鏡よりも滑らかに仕上げられ、重量も4分の1以下に抑えられている。さらに、科学観測の要求に合わせて形状や表面を改修し、近赤外線を効率よく反射する銀のコーティングも施されている。

主力の「広視野観測装置」(WFI)は、18個の検出器からなる約2億8800万画素のカメラで、波長0.5~2.3µmの可視光の一部から近赤外線までを観測する。撮像だけでなく、プリズムやグリズムを使った分光観測も行える。

一度に見渡せる範囲は約0.28平方度で、ハッブルに匹敵する感度と赤外線での解像度を保ちながら、ハッブルの赤外線カメラと比べて約200倍の視野をもつ。NASAによれば、同程度の感度と赤外線での解像度を保ちながら広い空を調べる場合、ハッブルに比べて観測に必要な時間を最大で約1,000分の1に短縮できるという。

こうした特徴によって、ローマンはハッブルやジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)とは異なる観測を可能にする。ハッブルやJWSTが限られた範囲をじっくり観測することに力を発揮する一方、ローマンは、ハッブルに匹敵する赤外線での解像度をもちながら、はるかに広い範囲を一度に見渡すことができる。

そのため、個々の天体を捉えるだけでなく、膨大な数の銀河や恒星をまとめて観測し、宇宙の全体像を描き出すことに力を発揮する。最初の5年間だけでも、ハッブルが最初の30年間に撮影した範囲の50倍以上を撮像すると見込まれている。

  • ローマンとハッブルの観測範囲の比較。同じアンドロメダ銀河の領域を覆うのに、ハッブルのWFC3では432回の撮像が必要なのに対し、ローマンのWFIでは2回の撮像で済む (C)NASA, ESA, PHAT Team

    ローマンとハッブルの観測範囲の比較。同じアンドロメダ銀河の領域を覆うのに、ハッブルのWFC3では432回の撮像が必要なのに対し、ローマンのWFIでは2回の撮像で済む (C)NASA, ESA, PHAT Team

もうひとつの搭載装置である「コロナグラフ装置」は、恒星から届く強烈な光を特殊なマスクで遮り、さらに形をわずかに変えられる鏡などを使って残った光の乱れを取り除くことで、すぐそばにある暗い惑星や塵の円盤を直接捉える装置だ。ローマンでは技術実証装置に位置付けられており、将来の宇宙望遠鏡に必要となる高コントラスト撮像技術を宇宙空間で確かめることに主眼が置かれている。

広大な空を繰り返し観測するローマンは、膨大な情報を生み出す。地球へ送る観測データは1日約1.4TBに達し、5年間の基本ミッションで蓄積される処理済みデータは約20PBにものぼる見込みだ。

(次ページにつづく)

  • ローマンに搭載されたコロナグラフ装置の概念図。恒星の強い光を抑えて周囲の惑星を浮かび上がらせる (C)NASA GSFC SVS

    ローマンに搭載されたコロナグラフ装置の概念図。恒星の強い光を抑えて周囲の惑星を浮かび上がらせる (C)NASA GSFC SVS