九州大学(九大)と科学技術振興機構は5月20日、これまで濡れにくい撥水面上では水がすべりやすいと考えられてきたが、「周波数変調型原子間力顕微鏡」を用いて詳細に調べた結果、固体面の濡れやすさによらず、水はほとんどすべらないことを実験的に明らかにしたと共同で発表した。
同成果は、九大大学院工学府の石田遥也大学院生、同・大学院 工学研究院の手嶋秀彰准教授、同・高橋厚史教授、米・イリノイ大学 アーバナ・シャンペーン校のVishwanath Ganesan博士、同・Nenad Miljkovic教授らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、米国化学会が刊行する、ナノサイエンス/テクノロジーを扱う学術誌「Nano Letters」に掲載された。
例えば、表面が原子レベルで平らなガラスの上を水が流れる際、ガラスに直接接する最下層の水分子は、固体との強い引力によって横方向に動くことができなくなる。この水平方向の速度がゼロとなった最下層の水分子が、すぐ上の水分子にブレーキをかけるため、水は底に行くほど遅く、表面に行くほど速く流れる現象が起きる。これが、流体力学の大前提である「すべり無し境界条件」だ。
しかし、ナノテクノロジーやシミュレーション技術の進歩に伴い、固体面に接する流体分子が横方向に移動する「すべり」現象が報告されるようになってきた。すべりやすい面ほど流体に働く摩擦が小さくなるため、その応用は大きなメリットをもたらす。例えば、海水淡水化膜、冷却デバイス、環境発電装置などの技術における性能向上が期待されている。
だが、流体が実際に固体面上にすべるのかという点については、まだ決着がついていなかった。従来は、水を弾きやすい「撥水面」では、水がすべりやすくなると広く考えられてきたが、これまでの実験では報告ごとに結果が大きく異なっている状況だった。なお撥水面とは、水滴を置いた際の気液界面と固液界面との成す接触角が90度よりも大きい面を指し、90度未満の「親水面」と区別される。
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(a)すべり発生時における固体近傍の液体流速分布。すべり長さは、固体内部にまで延長した流速がゼロになる点と固体表面間の距離と定義される。(b)固体-水界面におけるすべり長さの過去の実験データを接触角に対して整理した結果。赤線はシミュレーションの傾向が示されている。(出所:九大プレスリリースPDF)
その一方で、計算機シミュレーションを用いた理論研究の報告では、表面の濡れやすさによらず、水のすべりは極めてわずかだと予測されており、この実験とシミュレーションの相違は、長らく未解明のままだったとする。
この相違の主因と考えられてきたのが、微細な表面の凹凸やナノバブルの存在だ。これらがあると、実際には水がすべっていなくても、測定上はすべっているように見える“見かけのすべり”が生じることがある。しかし従来手法では、水のすべりやすさと表面の微細構造を同時に調べることが困難で、真のすべりと見かけのすべりを区別できないことが大きな課題となっていた。そこで研究チームは今回、水のすべりやすさを表す「すべり長さ」の計測感度を高め、ナノスケールの表面構造とすべり長さを同時にマッピングすることに挑んだという。
今回の研究では、微小な力を高精度に計測できる「周波数変調型原子間力顕微鏡」(FM-AFM)が用いられた。これにより、すべり長さの計測感度を従来の159倍へと大幅に高めることに成功。また、従来よりも小型の探針を使用することで、ナノスケールの表面構造とすべり長さの同時マッピングを達成。表面構造やナノバブルが存在すると、すべり長さが過大に見積もられてしまうことが実証された。
次に、親水から撥水に至る多様な平滑表面におけるすべり長さが系統的に調査された。その結果、ほぼすべての表面ですべり長さがゼロであることが判明し、「撥水面ほど水がよくすべる」という単純な関係は成立しないことが示された。ただし、グラファイト上でのみ43.2±5.8nmのすべり長さが計測されたものの、塩化カリウムを添加した電解質水溶液中ではゼロになることも確認された。この特異なすべり現象はシミュレーションで予測されていたものだが、今回初めて実験的に証明することに成功した形だ。
今回の研究は、長年続いてきた「本当に水は撥水面をすべるのか?」という論争に対し、実験に基づく信頼性の高い回答を与えるものだ。今回の成果により、水のすべりは単に濡れやすさではなく、固体面の原子スケール構造や液体の組成、電解質条件に強く左右されることが明らかにされた。
従来は計測精度の限界からすべり長さの信頼性は低かったが、今回確立された手法により、今後はすべり長さを固有の物性値としての取り扱いが可能になる。さらにこの手法は、塩を含む電解質溶液や冷媒、イオン液体、あるいは帯電表面やポリマー、低次元材料など、シミュレーションが困難な多様な固液界面のすべり現象を実験的に検証する協力なツールになり得るという。得られる知見は、幅広い分野における表面設計への応用が期待できるとしている。

